2018年にBlack Smoker Recordからリリースされた。Black SmokerといえばThink Tankのメンバーが運営する日本(主に)ヒップホップの作品をリリースするレーベルなのでかなり意外だ。DJ NOBUというアーティストとBlack Smokerがコラボしていくつか音源を生産するラインを作ったらしく、その第一弾がこのアルバム。
前作「Through the Mirror」で話題をさらったバンドがKurt Ballou順番待ちの列に並ぶことなく、Boriのメンバーとさっさと新作を作ってしまったわけだ。その間たった1年。
バンドがアナウンスしたところだと、このアルバムの楽曲はいきなりライブでプレイしないそうだ。それくらい過去作品とは趣が異なる。
事前に作られたMVを見ればわかるが、ギターがストラトタイプのものからGibsonのSGタイプのものに変更されている。要するにギターの音が変わっている。バンドが作品によってギターを変えることなど珍しくもなかろうが、Endonの場合は少し違う。ノイズから始まったバンドだから、そことぶつからないようにギターの音はあえて軽くて乾いたサウンドで設定されていた。前作ではそれが滑らかに動いてメロディアスさ=わかりやすさを曲に付加していたけど、今作ではギターがうるさい。バッチリ低音が出てていてディストーションをかけたベースのような役割になっている。かと思えばめちゃくちゃロックなリフが出てきて曲を導いたりもする。(6曲目「Final Acting Out」)
さらにこれは一番大きいかもしれないが、今作では曲によっては歌詞がある。ラストの「Not for You」に関していえば日本語の歌詞がかなりはっきり聞き取れる。結構事件でバンドの根底を揺さぶるような大きな変化じゃないかと思う。(あとで述べる。)
Endonを始め知った時そのバンド名(〜ドン)、ボーカリストの坊主頭と振る舞い(出血していたこともあったと思う。)、出音からなんて恐竜的(野蛮な動物的な意味合いで)なバンドなんだろうなと思ったものだ。その明確に認識が変わったのが前作であり、ノイズをバンドアンサンブルでやることでその向こう側、ポストノイズの地平線が見えるようなこれは全く革命的なアルバムだった。また積極的にバンドがわが色々なメディアで発信したメッセージもこちらを煽りながらも、色々な意図や主張を垣間見せる知的なものだった。バンドに憧れたノイジャンたちがいよいよバンド化した、というのはだからわかりやすいストーリーだった。例えるなら手のつかない不良がいよいよ更生した、みたいなイメージだろうか。今作におけるギターの音の変化や貸しの導入もおおよそその流れもあると捉えることもできる。MVやアートワークも極彩色で空電する白黒ノイズが色を手に入れた感もある。Endonはセルアウトしたのか?コマーシャル化したのか?音楽を金に変えるゲームにいよいよ本腰を入れ出したのだろうか。私はどうしても否だろうなと答える。部分的には分かりやすさがあっても、「Boy Meets Girl」全体で見れば非常に混沌としているからだ。このアルバムをわかりやすいハードコアバンドのアルバムです、と形容するのは無理がある。曲順を追ってドラマティックに展開していく「Through the Mirror」に比較すると圧倒的に整理されていない。雰囲気的には「MAMA」やもっと遡って「Acme.Apathy.Amok.」に通じるところがある。原点回帰ではなくて、随所に歴史の重みを感じさせる技巧がみれるが、全体的にはやはり拡散していくように自由で不規則だ。鏡を抜けた先に家を焼いて見せたあの光景はなんだったのか、という唖然とした気持ちだ。ここにあるのは野生だ。短い曲はさらに早く短く、ロック的な鋭角さを持ち合わせ、長い曲はさらに遅くなった。(1曲しかないのだが、存在感があって個人的には「Acme.Apathy.Amok.」を一番彷彿とする。)ただメロディに代表されるキャッチーさは(またもや)意図的に配され、全体的にはノイズバンドの面目を躍如する出来である。
今作では前作と違ってあまりバンド側からのステートメントがないので、そちら方面からこのアルバムの意図を見ることができない。個人的にはあえて前作に唾棄するような意図があるように思えるし、その過激さこそ変わらないバンドの本質のようにも思う。だとするとバンドとしては全くぶれていないわけだし、勝手にバンドに思い入れしていた私の頬をこのアルバムが叩いたわけだ。呆然としつつニヤニヤしてしまうのはきっと私だけではないと思う。いいね。いいね。
あとは来年のライブを見ればまたこのアルバムを立体的に考えることができるだろうなと思っている。みんなかって聞いたのかな?感想を知りたいですね。
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