ペルー出身の作家の長編小説。
原題は「El Hablador」で1987年に発表された。
ノーベル文学賞も受賞したラテンアメリカ文学では巨人のような存在なのだろうが、私は読むのは初めて。ラテンアメリカ文学というとボルヘスはいったん脇に置くと、パッと思い浮かぶのがガルシア=マルケスくらいだろうか。とにかく特徴的な人物がひしめき合って独特の熱気を醸し出しているようなイメージ。一方このバルガス=リョサはちょっと違う。出てくる人物たちは(概ね大学出ということもあって)洗練されていて物腰も柔らかく、そして思慮深い。じゃあ知的な小説かというとそれも違って、タイトル通りペルーのジャングルに住むマチゲンガ族という少数民族を扱っているので、小説の半分くらいが濃密なジャングルのむせかえるような熱気にあふれている。
物語としてはやや捉えどこが難しいと思っていて、はっきりとした筋があるわけではない。25年以上前に別れた友人の足跡を確認する話であると言えるし、少数民族であるインディオの生活に極端にクローズアップしたルポ風の作品でもあると言える。ただ構造はっきりしていて、それは近代社会とそして密林である。両者の間には曖昧な緩衝地帯、つまり白人側の密林を侵略してやろうという野望の前線基地があるものの、実は結構明確に境界があり、その向こう側というのは近代的な文明生活を営むものたちからするとほとんど未知の、野蛮な世界なのだ。両者の摩擦というのもこの本のテーマなのだが、そこには闘争というカタルシスはなく、常に移動する臆病な民族であるマチゲンガ族はただただ近代文明に押しやられて搾取されるか、争いを恐れてジャングルのさらに奥地に潜っていくかなのだ。
この話を読んで思い出したのがマイク・レズニックのSF小説「キリンヤガ」だ。これは遥か未来にアフリカの少数民族が自分たちだけの惑星で自らの後進的な文化を守ろうとするもの。しかし近代に触れた人々は否応なく近代化してしまうのだった、という内容。文明というのは概ね線的に捉え得られているので、良し悪しが出る。つまり進んでる方が遅れている方より優れているのである。だから先進的な文明にいるものは、後進的な文明に属する人々に技術や知恵を譲渡して感化してやらないといけない。その分け与えるという行為は多くの場合宗教的情熱に後押しされて、賞賛されるべき素晴らしい行為(=美徳)とされる。ところが主人公の友人顔に大きな痣があるユダヤ人のマスかリータは否というのであった。要するに文化というのは線的ではなく、それぞれが独自の系統を歩んでいるというのだった。文明を尊重するというのは異なるそれらに対して何もしない事にほかならないというわけだ。
バルガス=リョサはマチゲンガ族を至上のものとして持ち上げるわけでもなく、語り部の口調でありのままに紐解いていく。なるほど惹かれるものはあっても、全てを投げ捨ててその中に入っていく気には正直私にはなれなかった。過酷すぎるのだ。またバルガス=リョサはこれをただただ犠牲者となり消えていくものとしても描いていない。ここにあるのは私たちと違う人たちなのだと、ただそういうわけなのだった。三浦建太郎の漫画「ベルセル」で主人公が宣教師にこういったことがあった。「神にあったら言っとけ。ほっとけってな。」教科するというのは、それまで持っていたものを捨てさせることに他ならない。
文明の最先端にいる文化人である主人公とマスカリータはその後結局一度の再開することがなかった。彼らはもう別の文化に属する人たちになったのだ。異なる文化同士の断絶(その断絶こそが良しとされる。)と、そしてある人は自分次第で全く違う誰かになれる、ということが示唆されており、それは過酷なようでいて実は優しい世界である。
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