カミュの「異邦人」を読んだのは多分ご多分に漏れず大学生の頃だったと思う。名作ということに加えてCoaltar of the DeepersがカバーしたThe Cureの「Killing an Arab」の元ネタということで手に取ったのではなかったか。正直内容をそこまで覚えているわけではない。あれから結構な月日が経ちなんとなく手に取ったのがこの一冊。
アルジェリアのオラン市で鼠が死ぬようになった。日に日に街角で死んでいく鼠の死体が増えていく。なにかおかしいとは気がついたのだが、それがペストとわかったときにはすでに人間の死者も出ていた。ペストは伝染性が高く市は隔離・閉鎖された。医師のリウーは仲間とともにペストの治療・鎮火に心血を注ぐが死者の数は増えるばかり。
カミュを語るときとにかく「不条理」という言葉が出てくる。元々「筋道が通らないこと」という意味だったが、ここに哲学的な意味をカミュは加えたらしい。曰く「カミュによれば,〈不条理〉とは世界の属性でも人間の属性でもなく,人間に与えられた条件の根源的なあいまいさに由来する世界と人間との関係そのものであり,理解を拒絶するものと明晰な理解への願望との果てしない対決である。」とのこと。ペストというのは自然の理なので不条理というのは納得出来ないなと思っていたのだが、要するに人間が解せない(報われない)世界との関係性をそれというならたしかにこの小説は不条理をテーマにしていると言っていい。簡単に概要を説明するとリウーたちはペストの蔓延という状況を打破するべく超頑張る。なんせ異常な感染力だから自分たちだって超危ないけど超頑張る。でも全然報われない。という感じ。つまり「頑張れば報われる」というのが条理なのだと思うけど、これって結構勝手な論理だからまあそんなことはない。頑張っても報われないことはままある。この場合リウーたちもひとりでにペストが落ち着くまで家にこもっていればよかったのでは?というのが効率的な見解かもしれない。
でももし自分や親族がペストになり医者を呼んでも「全体的に沈静化するまでは打つ手ないです」と言われたら納得できるだろうか?「治療したら治るかもしれないだろ!」と怒るのではなかろうか。で、治療するのがリウーたち。「治療してもしなくても統計的にはそんなにかわらないんですよね」って病に伏せた人たちやリウーたちに言える人がいるだろうか??普通の人なら言わない。人は神のようには決して生きられない。そもそも人間(の精神)自体が不条理なのだ。人は神のようには決して生きられない。振られた賽の目が幾つになるか、振ってみなければわからないのだ。「6が出るのは6分の1だから振らないほうが良い」というのは効果的な時とそうでない時がある。説明できないから、論理的でないからといって納得出来ないときもあるということを、頭の片隅には置いておく必要がある。
なるほど、不幸の中には抽象と非現実の一面がある。しかし、その抽象がこっちを殺しにかかって来たら、その抽象だって相手にしなければならないのだ。
人間が(時に論理的でなく、時に努力が報われるという)不条理で動いているのだとしたら、現実との間に齟齬が生じてくるのは当たり前であって(それこそが条理なので)、そこの葛藤を描いているのがこの小説。私はリウーたちの背中に崇高さを感じた。
名作たまには読まないとだめだなと思った。こういう本を読みたいんだよな。
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