2014年8月24日日曜日

ローレンス・ブロック/倒錯の舞踏

アメリカの小説家による探偵小説。
原作は「A Dance at the Slaughterhouse」で1991年の作品。アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞を取っている。
マット・スカダーシリーズの第9作目、以前紹介した「八百万の死にざま」は第5作目だった。向こうはハヤカワだったけど、こっちは二見書房。というかスカだーシリーズは基本二見書房が出しているっぽいね。「八百万〜」が例外なのかも。

ニューヨークで無許可の探偵業を営むマット(マシュウ)・スカダー。元警官だがとある事件を切っ掛けに職を辞し、アルコールに溺れ家族を失う。今はAA(=断酒会)に通い酒を断っている。ある夫婦が帰宅途中に強盗に教われ妻は殺され、夫は怪我を負った事件が発生。女性の兄である男性から生き残った夫が真犯人であるという証拠をつかんでほしいという依頼を受けたスカダー。被疑者に接近すべく向かったボクシング会場で見覚えのある男性を見かけたスカダー。どうしても頭から離れなかったその男は、かつてスナッフフィルムで見た殺人者ではないだろうか?スカダーは依頼人もいないその事件の捜査を単独で開始する。

「八百万の死にざま」では常にアルコールの誘惑に頭輪悩まされていたスカダーで、探偵小説と言っても犯罪そのものよりもスカダー個人の葛藤にフォーカスが当てられていたように思う。結果凄まじく内省的で陰鬱なハードボイルドの名作が誕生した訳なのだが、今作はスカダーはアルコールへの特別な感情はあるものの(未練とは少し違うと感じた。)、酒は完全に断っている。アル中は決して治らないと聞いたことがある(嘘か本当かは分からない。)が、スカダーは自身がアル中であることを受けいれなんとか世界と折り合いを付けつつ毎日を生きているようだ。その分今作では犯罪そのもののに焦点が当てられ、読み物としては圧倒的に読みやすいものになっていると思う。
スナッフフィルムというと現代においてはある種都市伝説みたいなものだが(話にはよく出るが実物を見たものがいないという意味合いで。(存在しないとは決して思わないが。))、それを上手く事件の発端に使い、スカダー(と読者は)はそれに導かれるように都会の暗部に潜むどす黒い犯罪に沈み込んでいく。この事件の特徴として依頼が存在しないのだが、だれにも知られない犯罪を免許を持たない孤独な探偵が暴いていく、という構図が既に格好いいではないか。
探偵は警察と違う。しかしアメリカでは一般人でも銃をもつことが出来るから、我が国ほど両者の違いは明確ではないが(現実では全く違うことは勿論だからあくまでもフィクションとして。)、「八百万の死にざま」では探偵スカダーは警察官でいられなくなったアウトサイダーだったが、本作ではちょっとその役割が異なる。社会の絶対的善である警察組織が明白に存在する悪に対して無力になったとき、全く立場の違う第三者がことを収める、今作ではそんなグレーな役割が探偵という職業にふられている。面白いのがスカダーのキャラクターで、ハードボイルドな殺し屋にしては年を取りすぎているし、酒は(飲み見たいのに)飲めない、もてはするのだろうが恋人の様な関係の様な女性がいるし、なによりそういった役割を勤めるには人が良すぎるし温厚すぎる。しかし、だからこそスカダーが後半下す判断に一般人である我々が共感できるのである。ある意味敢えて法に背いて悪人を裁くバットマン的な世界観であるのだが、ダークヒーローと呼ぶにはあまりにも普遍的なおじさんがその役割を悩みつつなんとかこなしていく物語である。しかし結果的に物語を湿っぽく感傷的なものにさせないローレンス・ブロックの筆致、そして物語の構成力というのは中々どうしてすごいものだなと、読み終えて改めて気づいた。

この物語を含めて次作、それからその次作の3冊で倒錯三部作というらしい。今作が面白かったので、是非次の作品をと思ったら絶版になっていたという。なんか最近このパターン多い…仕方なく同じブロックの「殺し屋」を買ったんだけど、伊坂幸太郎さんの推薦が書かれた帯がついていた。伊坂さんは押しも推されぬ人気作家だけど、そんな彼のお気に入りの作家でも本では絶版になっているのだから、なんだか悲しい気持ちになるね。
とまあ愚痴みたいになってしまいましたが、非常に面白いハードボイルド。ブロック読みたい人は「八百万〜」よりまずこちらの方が良いかも。オススメ。

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