タイトルの通り、イギリス一風変わった短編小説を集めたアンソロジー。
一番有名なのがディケンズで、あとは解説を読む限りどちらかというと埋もれた作家の短編が20話おさめられている。巻末には西崎さんの短編小説考も掲載。恥ずかしながら、ジェラルド・カーシュをのぞくとほとんど知らない作家だった。イギリスの短編小説は幽霊もののを何冊か読んだことあるけれど、当たり前だけど知らない作家なんてたくさんいるものだ。
この本はゴーストストーリーも収録されているけど、あくまでもくくりは短編小説なので話の種類は結構豊富。とはいえ、どこかしら奇妙だったり、不思議だったり、怖かったりする。
編集者と翻訳者は西崎憲さんという方で、翻訳のほかにご自身で本を書かれたり、音楽レーベルを主催しているとのこと。私は以前ジェラルド・カーシュの「瓶の中の手記」という短編集を読みいたく感動したことがあった。この本もAmazonでリコメンドされて、西崎さんのことを調べたら、「瓶の中の手記」を翻訳されていたのが西崎さんだということが分かったので、その人が選んだ短編ならさぞ面白かろうと買った次第です。
さすがに20編もあるので都度あらすじを書いていく訳にもいかないけれど、共通してどの話もやはりどこかしら非日常を書いている。お姫様を悪い魔法使いとドラゴンから守るお話もあれば、日々の生活に倦んだ少女が都会の生活にあこがれて今の生活を捨てようとするお話などなど。何編かは本当にほんわかする話だったり、幸せな今後を予感させるものもあるのだけれど、だいたいはやはり程度の差があれど、非日常が描かれていて、それは黒い亀裂のように物語を横断していて、いったいその亀裂の無効には何があるのだろうか、と思い不安にさせるお話。
最高にオチが効いている「後に残した少女」、これは最後の主人公の感情がいい。え?って思うけどよくよく読み返すと彼女の気持ちがわかる気がする。
また、カーシュの「豚の島の女王」は、孤島に突然成立した奇形のユートピアがちょっとした心の動きで壊れてしまうお話で、何回読んでもいい。
「コティヨン」はある館の仮装ダンスパーティーでの出来事を書いた作品。いかにもイギリスの趣があるゴーストストーリー。古典的な舞台装置がたまらない。
「写真」これは怖い!はっきりとした名言はないけど、病に苦しむ少年におこった悲劇。親の気持ちも分かるから切ないけど…
中でも特に良かったのが、ジーン・リースの「河の音」。これはたった5ページの短編で、どうもバカンスにどこか川のそばのコテージに泊まっている男女の会話でそのほとんどが構成されているのだけれど、妙に噛み合ない会話、そしてなにより不安に満ちた女性の独白が素晴らしい。恐いというより不安になる。
もしあたしが言葉にしたら、それは消えてくれるかもしれない。彼女は考える。たまにあんたはそれを言葉にできる—だいたいのところを—だから取り除くことができる—だいたいのところを。たまにあんたは自分を納得させることができる。今日の自分はこわがっていることを自覚している、と。あたしはつるつるした、きれいな、あんなふうな顔がこわい。ねずみの顔が、映画館で笑うときの笑い方がこわい。エスカレーターがこわい。人形の目がこわい。でもそういうこわさは言葉にならない。そのための言葉はまだ発明されてない。
本文から抜粋してみた。なんとも不安である。ただなぜ不安なのかが分からない。言葉自体は普通だけど、意味が分からないところだろうか。なんだか神経を病んでいるように思える。取り留めない思考がきりもみ状態になって狂気に落ちていくようだ。そしてさらに恐ろしいのがまさにこの淵が正気のすぐそばに口を開けているという点かもしれない。
変わったお話が読みたい人にお勧め。
2013年5月19日日曜日
2013年5月18日土曜日
Disgorge(mex)/Forensick
メキシコのブルータルデスメタル/ゴアグラインドバンドの2ndアルバム。2000年発表。
実はこのアルバムこの種の界隈では名盤と名高い、ゴア野郎必携のアルバムなのだけれど、発売されてから13年経ってやっとこさ買いました。
以前とにかく速いメタルに傾倒した時期があって、自然にグラインドコアからその派生ジャンルのゴアグラインドを知り、その音楽性には文句なしに歓迎ものだったのだが、ゴアグラインドといったらもちろん死体ジャケなわけで、ヘタレな私はとにかくその手の画像が苦手なので、このアルバムも含めて買うのを敬遠していたのでした。Carcassの1stと2ndも持っていて大好きなのですが、CDの死体コラージュをみる度ヒエーとなりますし、かの高名なLast Days of Humanityもベスト盤しか持ってないです。ゴア野郎界隈では有名なディストロであるはるまげ堂さんで通販したら、あるときおまけに死体ジャケのCDがついてきたことがあって、もちろんうれしかったのですが、パッキングをあけたときは驚いたものです。(でろんでろんでございました…)
話がずれてきてしまいましたが、Disgorge(mex)(オランダやアメリカに同名のバンドがいるらしく、お尻に国名を付けるのだそうです。)はもちろん以前から知っていて、youtubeなんかで聴いていたのですが、やはり何回聴いても格好いい訳で、これはいよいよ買わねばなるまいと決心して購入した訳です。
まあ〜ジャケットが恐ろしいですね。子供というのがなんともかんとも。
ちなみにこのアルバムのボーカル(その後脱退されております。)がこれまた有名なAntimoさんという方なのですが、本人も怖いったらないです。
さて音楽性ですが、曲はだいたい3分後半から6分(だいたい4分)位なので、ひょっとしたらゴアグラインドというよりブルデスなのかもしれません。
音質はお世辞にも良いとはいえなく、ちょっとこもっています。ギターは重々しく、水気をはらんだ金属質な音で密度が濃い。基本低音ですが、たまに「ミョー」「ヒュー」となるのがアクセントになってとても良いかんじ。ベースもひたすら重く、うねるようで気持ち悪し(褒め言葉です)。なんといってもドラムが格好よく、こういったジャンルなのでとにかく速くて手数が多いのですが、音の一つ一つがとても気持ちいい。一撃が重いバス、ぽこぽこ鳴ってよく回るスネア、キンキン鳴るシンバル。私は楽器が弾けないので実際よく分からないのですが、このドラムはとても演奏うまいんじゃないでしょうか。おそらくドラム音単体で聴いても格好いいと思います。1曲の中でもメリハリとバリエーションがあって面白いです。
ボーカルもグロウルというのでしょうか、地を這うようなぐおーぐおー音から、吸い込むようなぎゅるぎゅる音、びちゃびちゃ音、バリエーション豊富で気持ち悪いったらないです。(もちろん褒め言葉です。)
ひたすらブルータルな曲展開ですが、要所要所が結構グルービィだったりして結構聴きやすいです。よく聴くとリフも作り込まれていて意外にまじめなデスメタルかも知れません。とにかく奇をてらったところがない、ストレートに下品な作風なので取っ付きにくいというのはあまりないのではないでしょうか。
この手のジャンル好きな人には自信を持っておすすめです。
その他のひともジャケットが大丈夫なら買って間違いなし。
(3曲目はscidなんですかね、それともsadなのかな…)
実はこのアルバムこの種の界隈では名盤と名高い、ゴア野郎必携のアルバムなのだけれど、発売されてから13年経ってやっとこさ買いました。
以前とにかく速いメタルに傾倒した時期があって、自然にグラインドコアからその派生ジャンルのゴアグラインドを知り、その音楽性には文句なしに歓迎ものだったのだが、ゴアグラインドといったらもちろん死体ジャケなわけで、ヘタレな私はとにかくその手の画像が苦手なので、このアルバムも含めて買うのを敬遠していたのでした。Carcassの1stと2ndも持っていて大好きなのですが、CDの死体コラージュをみる度ヒエーとなりますし、かの高名なLast Days of Humanityもベスト盤しか持ってないです。ゴア野郎界隈では有名なディストロであるはるまげ堂さんで通販したら、あるときおまけに死体ジャケのCDがついてきたことがあって、もちろんうれしかったのですが、パッキングをあけたときは驚いたものです。(でろんでろんでございました…)
話がずれてきてしまいましたが、Disgorge(mex)(オランダやアメリカに同名のバンドがいるらしく、お尻に国名を付けるのだそうです。)はもちろん以前から知っていて、youtubeなんかで聴いていたのですが、やはり何回聴いても格好いい訳で、これはいよいよ買わねばなるまいと決心して購入した訳です。
まあ〜ジャケットが恐ろしいですね。子供というのがなんともかんとも。
ちなみにこのアルバムのボーカル(その後脱退されております。)がこれまた有名なAntimoさんという方なのですが、本人も怖いったらないです。
さて音楽性ですが、曲はだいたい3分後半から6分(だいたい4分)位なので、ひょっとしたらゴアグラインドというよりブルデスなのかもしれません。
音質はお世辞にも良いとはいえなく、ちょっとこもっています。ギターは重々しく、水気をはらんだ金属質な音で密度が濃い。基本低音ですが、たまに「ミョー」「ヒュー」となるのがアクセントになってとても良いかんじ。ベースもひたすら重く、うねるようで気持ち悪し(褒め言葉です)。なんといってもドラムが格好よく、こういったジャンルなのでとにかく速くて手数が多いのですが、音の一つ一つがとても気持ちいい。一撃が重いバス、ぽこぽこ鳴ってよく回るスネア、キンキン鳴るシンバル。私は楽器が弾けないので実際よく分からないのですが、このドラムはとても演奏うまいんじゃないでしょうか。おそらくドラム音単体で聴いても格好いいと思います。1曲の中でもメリハリとバリエーションがあって面白いです。
ボーカルもグロウルというのでしょうか、地を這うようなぐおーぐおー音から、吸い込むようなぎゅるぎゅる音、びちゃびちゃ音、バリエーション豊富で気持ち悪いったらないです。(もちろん褒め言葉です。)
ひたすらブルータルな曲展開ですが、要所要所が結構グルービィだったりして結構聴きやすいです。よく聴くとリフも作り込まれていて意外にまじめなデスメタルかも知れません。とにかく奇をてらったところがない、ストレートに下品な作風なので取っ付きにくいというのはあまりないのではないでしょうか。
この手のジャンル好きな人には自信を持っておすすめです。
その他のひともジャケットが大丈夫なら買って間違いなし。
(3曲目はscidなんですかね、それともsadなのかな…)
ラベル:
DIsgorge(mex),
デスメタル,
音楽
2013年5月12日日曜日
R・D・ウィングフィールド/クリスマスのフロスト
イギリスの作家によるミステリー/警察小説。
シリーズ物の第1作で日本では1994年に出版されたようだ。
所謂人気シリーズで「週刊文春」や「このミステリーがすごい」で第1位に選ばれたこともあるそうだ。私がもっているのが42版だから、その重版回数から人気のほどが伺える。
残念なことに著者のR・D・ウィングフィールドさんは既になくなってしまっているらしい。調べてみると変わった人だったようで、長らくラジオドラマの脚本家を生業としていたらしいが、マスコミ嫌いでほとんど写真が残っていないそうだ。
イギリスの郊外、ロンドンから70マイル離れた町デントン(架空の町。)に警察長の甥で刑事に昇進したクライヴが派遣されてくる。
着任早々美貌の娼婦の娘が行方不明になり、クライヴは成り行きでデントン署の名物警部フロストのもとで働くことになる。
よれよれのスーツに身を包み、下品な冗談を連発する冴えない中年のフロスト、机の上は書類でいっぱい。捜査会議には遅刻する。独断専行で捜査に乗り出す。度を超したワーカホリック。全く尊敬できない上司に腐るクライヴはしぶしぶフロストに従うが、難航する捜査に焦る捜査陣をよそにひょうひょうとしたフロストの推理は冴えていく。果たして事件の真相は…
とにもかくにも主人公さえない中年刑事フロストのキャラクター造形が素晴らしい。
刑事物や探偵もので一見冴えないが、実は切れ者、というキャラクターはなくはないと思う。一番有名なのは刑事コロンボだろうか。もっさりしたコロンボはそれでもどことなく気品があるが、フロストは徹底的に気品がない。超下品。(ちなみに同僚に指で浣腸して大笑いするたぐいの下品さ。悪ガキである。ガキならかわいげがあるが、いい大人だから厄介だ。)かなりどぎついことをぽんぽんいうし、上司の命令は無視する。尊敬という概念がないようだ。本音しかいわないようだが、本当のところはどこか見えない。
しかし読み進むにつれてフロストの評価がかわってくる。どこか憎めないやつだと思うけど、何がそうさせているのかは分からない。言葉に惑わされてはいけない。よくよく読み進めていくとどうだろう。フロストの鋭さ、執念深さ、不退転の不屈さ、そして刑事としての観察眼と勘の鋭さ。フロストは一見敏腕刑事から一番離れているようだ。しかし実際にはどうだろう?繰り返すが言葉に惑わされてはいけない。面白いのは本人が昼行灯を気取っているのではない。頭はすごい切れるが、おそらく天然なのだ。
ここで引用を一つ。
「正義なんてものは、ただのことばだ。あの若者がしらを切り通していたら、あるいは嘘をついて、いきなり婆さんが車の前に飛び出して来たんだと言い張ったら、罪に問われることはなかった。ただの目撃者だからな。だが、彼は自分のしでかしたことを正直に告白した。ひと一人殺してしまったことに対して、誠実に心を痛めている。それでも、あの若者は処罰を食らうことになるんだ。それもかなり重い処罰をな。」
作中のフロストの言葉である。車で老人をひき殺してしまった若者に対しての。若者は意識不明となった老人の容態がはっきりするまで深夜遅くまで警察署に残っていた。
この言葉がフロストの人となりを表していると思う。事故とはいえひとを殺めてしまうことは悪いことであると思う。罪を悪んで人を悪まず、とは格言だが、これを実践できる人物というは虚構の世界でもまれなのではなかろうか。優しいのとは違う。むしろ厳しいんではないかと思う。ただし公平なのだ。フロストというひとは。神のような公平さではないし、ひとによって態度も変えるけど、彼というひとはラベルを貼ってもののように取り扱わない。一番根っこの部分にその公平さがあると思う。そしてそこが魅力的なのだ。
有名なシリーズではあるからご存知のひとも多いかと思う。
まだ読んでいないひとは読んでみてください。おすすめです。
ラベル:
R・D・ウィングフィールド,
ミステリー,
本
The Ocean/Pelagial
ドイツはベルリンを中心に活動するエクスペリメンタルメタル/プログレッシブスラッジメタルバンドの6thアルバム。
ちなみにバンド名はThe OceanとThe Ocean Collectiveというのと2種類あります。権利の関係かな。
Metal Blade Recordsから2013年にリリースされた。
Metallumのバンドのページを見ると過去のメンバーが多い!結構入れ替わりが激しいようだけど、中にはConvergeのNateさんや、Cave InのCalebさんが名を連ねている。どうもゲストボーカルをつとめていたようだけど、私はそのアルバムは聴いたことがないです。
さてこのアルバム、ちょっと面白い特徴がいくつかあります。
まずは2枚組というところ、といっても片一方のディスクはもう片方の歌なしバージョンが収録されております。懐かしのカラオケバージョン(今も日本のシングルにはカラオケバージョンが入っているのだろうか…)か!という感じですが、このバンド演奏が非常に面白いんですよ。プログレシッブな展開もそうですが、リフが非常に凝っていて、かつ非常に豊富なんです。一曲でもほかのバンドの2曲くらいの密度があるような勢いです。だから歌なしのインストだけ聴いても普通に楽しめます。そういった意味ではこの2枚組というやり方もバンドの自信の表れかもしれません。
もう一個の特徴ははというと、まず曲名をみていただきたい。
01. Epipelagic
02. Mesopelagic: Into the Uncanny
03. Bathyalpelagic I: Impasses
04. Bathyalpelagic II: The Wish in Dreams
05. Bathyalpelagic III: Disequillibrated
06. Abyssopelagic I: Boundless Vasts
07. Abyssopelagic II: Signals of Anxiety
08. Hadopelagic I: Omen of the Deep
09. Hadopelagic II: Let Them Believe
10. Demersal: Cognitive Dissonance
11. Benthic: The Origin of Our Wishes
というように曲のタイトルの前に何やら見慣れない単語がくっついていますね。
実はこれどうやら海の深度を表す単語だそうです。
1曲目が一番浅い海面付近の層、どんどん潜っていて最終的には深海にたどり着く、という曲順になっています。
ちなみにアルバムのタイトル「Pelagial」とは海の深さの層自体をまとめて表現した言葉だそうです。
(詳しくはこちらを。http://en.wikipedia.org/wiki/Pelagic_zone)
言わばコンセプチュアルなアルバムといっていい訳です。
さてバンドの名前がThe Oceanですから、このアルバムはバンドにとって特別な、俺たちの本質を、深みを見せてやるぜ!的な満を持して出された集大成的なアルバムであるということがわかりますね。これは聴く前から否応無しに期待が高まるというもの。
実際に聴いてみるとこれが素晴らしい。
このバンドの良さはその多彩さだと思うのです。ブルータルなメタルをベースにしながら、その範疇にとどまらない変幻自在性を持ち、そしてその縦横無尽さを決して散漫にさせず一つの曲にまとめあげる抜群のバランス感覚を持っている。非常にテクニカルなのですが、曲全体の完成度を重視しひけらかしのようなパートは皆無。
重いギターが重厚なリフをならすかと思えばいつの間にか静かなアコースティックギターがアンビエントな音色を奏でている。まさに刻一刻とその表情を変える海の様です。
電子音やキーボードがごくごく自然に挿入されて曲を豊かなものにしており、また選任ボーカルがとても良い。デス声ではない野獣的な咆哮から、吐き捨てるようなスクリーム、歌心のあるクリーンボーカルまで多彩にこなします。
深度を増していくと、比例して高まる水圧に押しつぶされるようなある種暴力的なアルバムかと身構えていたのだが、彼らの表現した深さというのは単に垂直方向だけでなかったようだ。進めば進むほど広がりを増していくようだ。しかし音の粒は重く、濃厚だ。まさに深海。深海には私たちが知らないような脅威の世界が広がっているそうだ。冷たく暗いかと思えば、火山が口を開け、燃え盛る溶岩で海水が沸騰している。そうして奇天烈な生物が闊歩している。次に何が待ち受けているか分からない暗闇の世界はまさに、変幻自在のプログレッシブ性を持つこのバンドにあっているといえる。進むにつれて水圧を増していく世界。気づくとあたりは真っ暗になっている。潜行の果てにたどり着いた深海の底はどういった世界なのか。ぜひ聴いて確かめていただきたい。
こりゃーすごいアルバムです。めちゃくちゃおすすめ。
ちなみにバンド名はThe OceanとThe Ocean Collectiveというのと2種類あります。権利の関係かな。
Metal Blade Recordsから2013年にリリースされた。
Metallumのバンドのページを見ると過去のメンバーが多い!結構入れ替わりが激しいようだけど、中にはConvergeのNateさんや、Cave InのCalebさんが名を連ねている。どうもゲストボーカルをつとめていたようだけど、私はそのアルバムは聴いたことがないです。
さてこのアルバム、ちょっと面白い特徴がいくつかあります。
まずは2枚組というところ、といっても片一方のディスクはもう片方の歌なしバージョンが収録されております。懐かしのカラオケバージョン(今も日本のシングルにはカラオケバージョンが入っているのだろうか…)か!という感じですが、このバンド演奏が非常に面白いんですよ。プログレシッブな展開もそうですが、リフが非常に凝っていて、かつ非常に豊富なんです。一曲でもほかのバンドの2曲くらいの密度があるような勢いです。だから歌なしのインストだけ聴いても普通に楽しめます。そういった意味ではこの2枚組というやり方もバンドの自信の表れかもしれません。
もう一個の特徴ははというと、まず曲名をみていただきたい。
01. Epipelagic
02. Mesopelagic: Into the Uncanny
03. Bathyalpelagic I: Impasses
04. Bathyalpelagic II: The Wish in Dreams
05. Bathyalpelagic III: Disequillibrated
06. Abyssopelagic I: Boundless Vasts
07. Abyssopelagic II: Signals of Anxiety
08. Hadopelagic I: Omen of the Deep
09. Hadopelagic II: Let Them Believe
10. Demersal: Cognitive Dissonance
11. Benthic: The Origin of Our Wishes
というように曲のタイトルの前に何やら見慣れない単語がくっついていますね。
実はこれどうやら海の深度を表す単語だそうです。
1曲目が一番浅い海面付近の層、どんどん潜っていて最終的には深海にたどり着く、という曲順になっています。
ちなみにアルバムのタイトル「Pelagial」とは海の深さの層自体をまとめて表現した言葉だそうです。
(詳しくはこちらを。http://en.wikipedia.org/wiki/Pelagic_zone)
言わばコンセプチュアルなアルバムといっていい訳です。
さてバンドの名前がThe Oceanですから、このアルバムはバンドにとって特別な、俺たちの本質を、深みを見せてやるぜ!的な満を持して出された集大成的なアルバムであるということがわかりますね。これは聴く前から否応無しに期待が高まるというもの。
実際に聴いてみるとこれが素晴らしい。
このバンドの良さはその多彩さだと思うのです。ブルータルなメタルをベースにしながら、その範疇にとどまらない変幻自在性を持ち、そしてその縦横無尽さを決して散漫にさせず一つの曲にまとめあげる抜群のバランス感覚を持っている。非常にテクニカルなのですが、曲全体の完成度を重視しひけらかしのようなパートは皆無。
重いギターが重厚なリフをならすかと思えばいつの間にか静かなアコースティックギターがアンビエントな音色を奏でている。まさに刻一刻とその表情を変える海の様です。
電子音やキーボードがごくごく自然に挿入されて曲を豊かなものにしており、また選任ボーカルがとても良い。デス声ではない野獣的な咆哮から、吐き捨てるようなスクリーム、歌心のあるクリーンボーカルまで多彩にこなします。
深度を増していくと、比例して高まる水圧に押しつぶされるようなある種暴力的なアルバムかと身構えていたのだが、彼らの表現した深さというのは単に垂直方向だけでなかったようだ。進めば進むほど広がりを増していくようだ。しかし音の粒は重く、濃厚だ。まさに深海。深海には私たちが知らないような脅威の世界が広がっているそうだ。冷たく暗いかと思えば、火山が口を開け、燃え盛る溶岩で海水が沸騰している。そうして奇天烈な生物が闊歩している。次に何が待ち受けているか分からない暗闇の世界はまさに、変幻自在のプログレッシブ性を持つこのバンドにあっているといえる。進むにつれて水圧を増していく世界。気づくとあたりは真っ暗になっている。潜行の果てにたどり着いた深海の底はどういった世界なのか。ぜひ聴いて確かめていただきたい。
こりゃーすごいアルバムです。めちゃくちゃおすすめ。
2013年5月11日土曜日
ユッシ・エーズラ・オールスン/特捜部Q-キジ殺し-
デンマーク人の作家によるコペンハーゲンを舞台にした警察小説第2弾。
今回もはみ出し刑事やさぐれ系カール・マークと謎のシリア系移民アサドが、さらに新しいメンバーを加えた新体制で過去の厄介な未解決事件に挑む。
コペンハーゲン警察本部の地下室に設置された未解決となった事件の再捜査のみを行う部署、特捜部Q。メンバーは同僚の死、半身不随を経て一時は情熱を失った敏腕刑事カール・マーク、そのアシスタントの陽気な移民アサド。さらにまた厄介で反抗的な女性アシスタント、ローセが加わる。
ある日カールの机の上に出所不明の未解決事件のファイルが届けられる。
20年前まだ未成年の兄と妹が残忍にも殴り殺された事件。犯人は自首し、刑務所に入っており、未解決事件ではない。誰が?なんのために?成り行きで始まった捜査線上に浮かんだのは超一級のセレブリティたちだった。たびたび妨害される捜査に、ひねくれ者のカールのやる気は燃え上がり、巨大すぎる容疑者たちを徹底的に追いつめていくことを決心する。
警察小説である。
警察小説とは何か。
ひとつに警察小説は勧善懲悪の小説である。犯罪を捜査し、容疑者を逮捕する警察機構は社会における善である。警察組織に属するものが主人公となれば、必然的に社会的な悪である犯罪者と対決することになる。善対悪という単純な二元論的な構図になる。
ただし多くの警察小説では善である警察官たちは自分のたちの善が完全ではないことや、時に悪に対して無力であることに疑問を持ち、悩み、迷う。司法取引や権力者からの圧力によって犯罪者を野放しにせざるを得ない場合、法の隙をつかれ今おこっている犯罪行為から目を背けなければいけない場合。これらのいわば妨害に対してどういうアクションをとるのか、あくまでも法の守護者として立ち向かうのか、自分の善という立場を否定することを承知で自ら(部分的に)悪にその身を染めるのか。この善に対する疑問や、善そのものの揺らぎが単純な物語に深みを加え、その後の主人公のとる行動がまさに警察小説の醍醐味と問題提起になると思う。
また彼らが相対する悪は本当に悪なのか。多くの場合主題となる殺人に至るまで殺人者には殺人者なりの事情がある。ただの愉快犯や快楽殺人者たちには同情すべき点は皆無だとしても、例えば肉親を殺された弱いものたちが、法に絶望して武器を取るとなればどうだろうか。復讐である。復讐は甘美であると思う。復讐や私刑が私たちの社会で悪(=犯罪)であることは間違いない。しかし特に日本では過去一部で復讐が奨励されたこともあって復讐譚となると、その復讐たちに対して彼らが犯罪者であることを加味しても同情や、それ以上のある種の応援したくなるような気持ちを持つことがあると思う。
言わば昨今の警察小説は自らのアイデンティティに疑問を抱える2者の対決である。俺が善だ!俺は極悪非道の人非人だ!と叫べない2者だ。法律や警察が弱者を守る慈愛の手だとしたら復讐者はこの手からこぼれてしまった者たちだ。警察組織の末端たちは彼らを守れなかったのだ。しかしどんな事情があれど彼は警察官である。これがドラマにならないはずがない。
前置きが長くなってしまったが、この小説、善と悪の入り交じりっぷりが半端ない。
主人公カールは善である。清々しいくらいの善だと思う。読むと彼が好きになる。なんて愛すべき男だろう。面倒くさがりやで怠け癖があって、おっちょこちょいでスケベ。強引でやり過ぎ。ただ悪は許さない。時に暴力的だが、常に弱者と同じ視点を持ち、悩み続ける。
一方の悪が悪い。邪悪である。前作と違い今作では犯人たちが序盤から明らかになる。コロンボではないがカールたちが彼らを追いつめていく過程がこの小説のほとんど大半である。彼らはボンボンとしてこの世に生を得、悪の限りを尽くし、そのまま信じられないほどの金持ちになり(ただし彼らは無能な馬鹿ではない、むしろ憎らしいくらい冴えている)、巨大な権力で捜査の邪魔をする、前作を読んで思ったけど作者はねじが外れた(しかしきちんと社会生活を送っている)化け物のような犯罪者たち(サイコパス?ちゃんとした定義を知らないけど)を描くのが得意である。なんという胸くその悪さ。なんてむかつく奴らだろうか!許せない!となれば主人公カールたちを応援したくなる気持ちもことさら強くなる。さすがの筆致で物語を面白くしていると思う。
さてカールたち、セレブたちに加えて、もう一人この小説では重要なキャラクターが出てくる。女性である。かつてのセレブたちの仲間である。今は別行動をとっている。彼女は誰なのか?彼女の行動の動機は何なのか?そして彼女は善なのか?悪なのか?
前作ではカールたち、犯人、そして題名にもなっている檻の中の女が出てきた。そして私はこの話(前作の方)は一人の戦い続けた女性の物語だと書いた。そうして今回も戦う女性が出てくる。彼女の生い立ちが細かく描写されて、主人公であるカールたちすら振り回されている脇役にすらみえてしまう。ただし彼女は彼女は善なのか?悪なのか?前作の女性はわかりやすかった。では彼女は善なのか?悪なのか?彼女は陰陽対極図のようだ。真逆の2つの要素が混ざり合い解け合っている。悪が彼女の個性であり、浄化されていない罪が彼女の行動動機のひとつなのだ。彼女をとちらかのサイドに所属させることは無理だ。
警察小説とは何か。
警察小説とは白黒つける物語だといってもいい。
この話では善悪の彼岸がはっきりしている。しかしそこにグレーなトリックスターを登場させることで物語が混沌とし、はっきりとしているはずの絶対線すら怪しくなってくる。彼女は戦っていて、常に揺れ動く存在である。
彼女に善性なんて微塵もないという意見も正直あると思う。悪性が巨大すぎるし、動機が個人的にすぎるから。でもわたしはたった一つの要素で彼女が善性をもっているのだと確信している。たった一つの要素が何なのか。それはぜひ読んで確かめていただきたい。
私はこの本を読み終えて閉じたとき、まさに快哉を叫びたいような心持ちだった。
善いと悪い、が混在しているからだ。ただ結末を読者にゆだねるというのではなく。最後まで紳士に書ききって、君はどう思うだろう?と問いかける作者の顔が見えるようである。
最後の最後事件が解決した後、カールは2つの行動をとるんだけど、これがどちらも感動した。迷い続け、悩み続ける、粗暴だが心優しいカール・マークは昨今の警察小説界隈に現れた新しいヒーローだと思う。
すばらしい小説。すばらしい物語。たくさんの人にぜひ読んでいただきたい。
今回もはみ出し刑事やさぐれ系カール・マークと謎のシリア系移民アサドが、さらに新しいメンバーを加えた新体制で過去の厄介な未解決事件に挑む。
コペンハーゲン警察本部の地下室に設置された未解決となった事件の再捜査のみを行う部署、特捜部Q。メンバーは同僚の死、半身不随を経て一時は情熱を失った敏腕刑事カール・マーク、そのアシスタントの陽気な移民アサド。さらにまた厄介で反抗的な女性アシスタント、ローセが加わる。
ある日カールの机の上に出所不明の未解決事件のファイルが届けられる。
20年前まだ未成年の兄と妹が残忍にも殴り殺された事件。犯人は自首し、刑務所に入っており、未解決事件ではない。誰が?なんのために?成り行きで始まった捜査線上に浮かんだのは超一級のセレブリティたちだった。たびたび妨害される捜査に、ひねくれ者のカールのやる気は燃え上がり、巨大すぎる容疑者たちを徹底的に追いつめていくことを決心する。
警察小説である。
警察小説とは何か。
ひとつに警察小説は勧善懲悪の小説である。犯罪を捜査し、容疑者を逮捕する警察機構は社会における善である。警察組織に属するものが主人公となれば、必然的に社会的な悪である犯罪者と対決することになる。善対悪という単純な二元論的な構図になる。
ただし多くの警察小説では善である警察官たちは自分のたちの善が完全ではないことや、時に悪に対して無力であることに疑問を持ち、悩み、迷う。司法取引や権力者からの圧力によって犯罪者を野放しにせざるを得ない場合、法の隙をつかれ今おこっている犯罪行為から目を背けなければいけない場合。これらのいわば妨害に対してどういうアクションをとるのか、あくまでも法の守護者として立ち向かうのか、自分の善という立場を否定することを承知で自ら(部分的に)悪にその身を染めるのか。この善に対する疑問や、善そのものの揺らぎが単純な物語に深みを加え、その後の主人公のとる行動がまさに警察小説の醍醐味と問題提起になると思う。
また彼らが相対する悪は本当に悪なのか。多くの場合主題となる殺人に至るまで殺人者には殺人者なりの事情がある。ただの愉快犯や快楽殺人者たちには同情すべき点は皆無だとしても、例えば肉親を殺された弱いものたちが、法に絶望して武器を取るとなればどうだろうか。復讐である。復讐は甘美であると思う。復讐や私刑が私たちの社会で悪(=犯罪)であることは間違いない。しかし特に日本では過去一部で復讐が奨励されたこともあって復讐譚となると、その復讐たちに対して彼らが犯罪者であることを加味しても同情や、それ以上のある種の応援したくなるような気持ちを持つことがあると思う。
言わば昨今の警察小説は自らのアイデンティティに疑問を抱える2者の対決である。俺が善だ!俺は極悪非道の人非人だ!と叫べない2者だ。法律や警察が弱者を守る慈愛の手だとしたら復讐者はこの手からこぼれてしまった者たちだ。警察組織の末端たちは彼らを守れなかったのだ。しかしどんな事情があれど彼は警察官である。これがドラマにならないはずがない。
前置きが長くなってしまったが、この小説、善と悪の入り交じりっぷりが半端ない。
主人公カールは善である。清々しいくらいの善だと思う。読むと彼が好きになる。なんて愛すべき男だろう。面倒くさがりやで怠け癖があって、おっちょこちょいでスケベ。強引でやり過ぎ。ただ悪は許さない。時に暴力的だが、常に弱者と同じ視点を持ち、悩み続ける。
一方の悪が悪い。邪悪である。前作と違い今作では犯人たちが序盤から明らかになる。コロンボではないがカールたちが彼らを追いつめていく過程がこの小説のほとんど大半である。彼らはボンボンとしてこの世に生を得、悪の限りを尽くし、そのまま信じられないほどの金持ちになり(ただし彼らは無能な馬鹿ではない、むしろ憎らしいくらい冴えている)、巨大な権力で捜査の邪魔をする、前作を読んで思ったけど作者はねじが外れた(しかしきちんと社会生活を送っている)化け物のような犯罪者たち(サイコパス?ちゃんとした定義を知らないけど)を描くのが得意である。なんという胸くその悪さ。なんてむかつく奴らだろうか!許せない!となれば主人公カールたちを応援したくなる気持ちもことさら強くなる。さすがの筆致で物語を面白くしていると思う。
さてカールたち、セレブたちに加えて、もう一人この小説では重要なキャラクターが出てくる。女性である。かつてのセレブたちの仲間である。今は別行動をとっている。彼女は誰なのか?彼女の行動の動機は何なのか?そして彼女は善なのか?悪なのか?
前作ではカールたち、犯人、そして題名にもなっている檻の中の女が出てきた。そして私はこの話(前作の方)は一人の戦い続けた女性の物語だと書いた。そうして今回も戦う女性が出てくる。彼女の生い立ちが細かく描写されて、主人公であるカールたちすら振り回されている脇役にすらみえてしまう。ただし彼女は彼女は善なのか?悪なのか?前作の女性はわかりやすかった。では彼女は善なのか?悪なのか?彼女は陰陽対極図のようだ。真逆の2つの要素が混ざり合い解け合っている。悪が彼女の個性であり、浄化されていない罪が彼女の行動動機のひとつなのだ。彼女をとちらかのサイドに所属させることは無理だ。
警察小説とは何か。
警察小説とは白黒つける物語だといってもいい。
この話では善悪の彼岸がはっきりしている。しかしそこにグレーなトリックスターを登場させることで物語が混沌とし、はっきりとしているはずの絶対線すら怪しくなってくる。彼女は戦っていて、常に揺れ動く存在である。
彼女に善性なんて微塵もないという意見も正直あると思う。悪性が巨大すぎるし、動機が個人的にすぎるから。でもわたしはたった一つの要素で彼女が善性をもっているのだと確信している。たった一つの要素が何なのか。それはぜひ読んで確かめていただきたい。
私はこの本を読み終えて閉じたとき、まさに快哉を叫びたいような心持ちだった。
善いと悪い、が混在しているからだ。ただ結末を読者にゆだねるというのではなく。最後まで紳士に書ききって、君はどう思うだろう?と問いかける作者の顔が見えるようである。
最後の最後事件が解決した後、カールは2つの行動をとるんだけど、これがどちらも感動した。迷い続け、悩み続ける、粗暴だが心優しいカール・マークは昨今の警察小説界隈に現れた新しいヒーローだと思う。
すばらしい小説。すばらしい物語。たくさんの人にぜひ読んでいただきたい。
ラベル:
ミステリー,
ユッシ・エーズラ・オールスン,
本
2013年5月6日月曜日
Cathedral/The Last Spire
イギリスのドゥームメタルバンドの10thアルバムにして最終作。
2013年MetalbladeとRiseAboveから。
Cathedralは元Napalm DeathのボーカルLee Dorianさんが中心になって1989年に結成されたバンド。Napalm Deathといえばトリビアの泉にも出演してたりで知名度の高い、グラインドコア(すごい速いメタル)の帝王ともいえるバンドだから、Leeさんは極端に速いジャンルから極端に遅いジャンルにすぱっと転換したことになるね。
さてこの最終作はかなり一筋縄でいかないアルバムになっている。
まず一言でいえばかなりおどろおどろしい仕上がりになっているのだが、所謂一般的なこの手のバンドがおどろおどろしさを演出される場合は、極端に重く遅い音に、聞き手の恐怖感をあおるようなデス声や金切り声などが重なって、一種近寄りがたい雰囲気を持った曲を作り上げるのだがオーソドックスな手法の一つになっているのだ。
一方でこのアルバムの楽曲群は、演奏はもちろん遅くて重いのだが、とてもバランスのとれた聞きやすい音作りになっている。Black Sabbathを思わせる溜めのあるギターリフ、クラシックなロックテイストの強いギターソロ、これまたちょっと古めかしい怪しい雰囲気のシンセサイザー。曲を構成する要素ひとつひとつは間違いなく、長年ドゥームメタルバンドとしての先駆者としては知り続けてきたこのバンドならではのいぶした銀のような貫禄と重量感を併せ持った歴史を感じさせるようなものである。しかし保守的で古くさい時代遅れの楽曲群ではない。曲の構成がかなりモダンで、曲によってはアバンギャルドともいえるようなフレーズや試みがちりばめられている。プログレとまでとはいわないけど、結構気持ち悪い(もちろん褒め言葉です)大胆な展開も結構あって、比較的長い楽曲が多いけど全く飽きさせない。
また、Leeさんのボーカルがよい。デス声でもない、どちらかというと結構歌心のある歌唱法であるけど、独特の邪悪さがあって、まるで底意地の悪い悪魔の誘い文句か、確信に満ちた偽予言者の語る黙示録のようではないか。歌詞を読んでみるとかなりおどろおどろしい救いのない世界を歌っている。
私はこれが黎明期からずっとジャンルを引っ張ってきたバンドの実力かと、ちょっとびっくりした。伝統と自分たちのカラーを守りつつ、時代に迎合するのではなく、新しく変化し続けていく。正直お見それしましたという気持ちでいっぱいです。
文句なしにおすすめ。
2013年MetalbladeとRiseAboveから。
Cathedralは元Napalm DeathのボーカルLee Dorianさんが中心になって1989年に結成されたバンド。Napalm Deathといえばトリビアの泉にも出演してたりで知名度の高い、グラインドコア(すごい速いメタル)の帝王ともいえるバンドだから、Leeさんは極端に速いジャンルから極端に遅いジャンルにすぱっと転換したことになるね。
さてこの最終作はかなり一筋縄でいかないアルバムになっている。
まず一言でいえばかなりおどろおどろしい仕上がりになっているのだが、所謂一般的なこの手のバンドがおどろおどろしさを演出される場合は、極端に重く遅い音に、聞き手の恐怖感をあおるようなデス声や金切り声などが重なって、一種近寄りがたい雰囲気を持った曲を作り上げるのだがオーソドックスな手法の一つになっているのだ。
一方でこのアルバムの楽曲群は、演奏はもちろん遅くて重いのだが、とてもバランスのとれた聞きやすい音作りになっている。Black Sabbathを思わせる溜めのあるギターリフ、クラシックなロックテイストの強いギターソロ、これまたちょっと古めかしい怪しい雰囲気のシンセサイザー。曲を構成する要素ひとつひとつは間違いなく、長年ドゥームメタルバンドとしての先駆者としては知り続けてきたこのバンドならではのいぶした銀のような貫禄と重量感を併せ持った歴史を感じさせるようなものである。しかし保守的で古くさい時代遅れの楽曲群ではない。曲の構成がかなりモダンで、曲によってはアバンギャルドともいえるようなフレーズや試みがちりばめられている。プログレとまでとはいわないけど、結構気持ち悪い(もちろん褒め言葉です)大胆な展開も結構あって、比較的長い楽曲が多いけど全く飽きさせない。
また、Leeさんのボーカルがよい。デス声でもない、どちらかというと結構歌心のある歌唱法であるけど、独特の邪悪さがあって、まるで底意地の悪い悪魔の誘い文句か、確信に満ちた偽予言者の語る黙示録のようではないか。歌詞を読んでみるとかなりおどろおどろしい救いのない世界を歌っている。
私はこれが黎明期からずっとジャンルを引っ張ってきたバンドの実力かと、ちょっとびっくりした。伝統と自分たちのカラーを守りつつ、時代に迎合するのではなく、新しく変化し続けていく。正直お見それしましたという気持ちでいっぱいです。
文句なしにおすすめ。
2013年5月4日土曜日
ジェイムズ・トンプソン/極夜 カーモス
フィンランド在住の作家によるフィンランドを舞台にした警察小説。
面白いのは作者がアメリカ人であること。
フィンランド北部キッティラ。12月の極夜真っ最中、雪原でソマリアからの移民で女優が殺された。腰を半分切断され、喉を搔き切られ、胸の一部を切り取られ、さらに腹部には「黒い売女」と刃物で刻まれていた。
警部にして署長のカリは捜査に乗り出すが、捜査上に浮かんだのはかつてのカリの妻を奪った男だった。周囲からは私怨で動いていると批難されるカリ。そんな彼をあざ笑うように第二の殺人が発生し、当初解決したと思われた事件の捜査は難航していく。
まず、タイトルにもなっている極夜(カーモス)という耳慣れない単語が気になるところ。
極夜(きょくや、英: polar night)とは、日中でも薄明か、太陽が沈んだ状態が続く現象のことをいい、厳密には太陽の光が当たる限界緯度である66.6度を超える南極圏や北極圏で起こる現象のことをいう。(Wikipedeiaより)
要するに一日中日が沈まない白夜の反対、一日中日が昇らない期間のことらしい。白夜はなじみがあるけど、極夜に関してはあまり聞かない気がする。帯にはフィンランド発ノワール・ミステリーと書かれているが、これはなかなか言い得て妙だと思った。もちろん殺人を扱った所謂ノワール小説であることは間違いない。しかし加えて極夜である。文字通り真っ暗な世界の物語である。この上なくノワールである。雪に包まれた世界というとイメージは真っ白だけど、極夜だから実際は暗い。そこがまず異界的である。
始めに書いたが、この小説、面白いのは書いた作者がアメリカの方であるということ。フィンランド人の女性と結婚されて、ヘルシンキで暮らしながら小説を書いているとのこと。ちなみに入れ墨の入った結構な強面な方で、小説家になる前はバーテンダーを始めとして様々な職業を経験されたとのこと。これらの経験もよく小説に活かされていると思います。
通常の北欧の小説は大抵北欧出身の作者によって書かれているから、北欧の常識は特にそれと意識されずに描かれていることになる。というのも彼らが通常に生活している普通の日常だから、要するに特筆すべきことではない。ところが北欧といったら日本に住んでいる私たちからした結構別世界である。ましてやフィンランドの北極圏である。極夜である。なんとオーロラも普通にみれてしまう。そんなところ、普通ではない。(もちろん私たちからしたらですよ!住人からしたらこっちが普通じゃないんだから。)文化も大きく違う。本書のなかで主人公がいうことにはフィンランドの殺人件数はとても多い。なんと一人当たりの殺人件数はアメリカと一緒だというのだから、なんとなく私たちが抱いている北欧のイメージとちょっと違う。
この本はそこの違いのところを詳しく描いている。作者はアメリカ人である。異邦人だからこそフィンランドの国のいいところと、悪いところ双方が他国と比べることによって、ある種生粋のフィンランド人より客観的にみることができるのである。
休みはたっぷり取り、福利厚生が行き届き、移民を多く受け入れる夢の国である一方、住民は寡黙で時に冷徹といえるくらい他人に干渉しない。移民への差別は消えず、近親者間での暴力犯罪が多く、アルコールに溺れるものが多く、さらに自殺者も多い。一日中太陽が顔を出す白夜がある一方、終日暗闇に包まれる極夜がある。作者はこのフィンランドの国が持つ二面性を残酷な殺人事件をつかって冷静に暴いていく。(もちろんフィンランドだけが二面性があるとは思いません。どんな国にもいいところと抱える問題点があります。)フィンランド人である主人公カリ、その妻ケイトをアメリカ人に設定したことで、フィンランドの抱える問題点をかなり個人的なレベルにまで落とし込んで説明されている。おそらく男女は別ですが作者自身の経験が活かされているのだと思う。
圧迫された真っ暗闇に文字通り閉じ込められた人々は鬱屈していき、暴力や行き過ぎた性行為が沸点を超えたように頻発していく。もちろん小説だから多少の誇張はあるにしても、とても厳しい世界で、人間陽の光に当たらないと駄目になる、などといいますが、意外に的を得ているのかもしれません。
小説の構造について言及してきましたが、物語の方も面白いです。容疑者は元妻をとった男で、元妻本人も事件で重要なキャラクターを演じます。要するにきわめて個人的な事件に主人公は立ち向かっていく訳ですが、出てくるキャラクターが実に多彩かつ生き生きしている。問題を抱え強いストレスにさらされながら折れない主人公を始め、頼りになる同僚、金持ちでバカな容疑者、怪しい被害者の両親、関係のよいとはいえない父親、どこかしら病んだ所の多い一風変わった隣人たち。どいともこいつも怪しい、けど後一歩足りない。異常な状況下に異常な登場人物たち、いったい誰が犯人なのだ?ミステリーの醍醐味ですね。
知っているようでよく分からない、フィンランドという国を知れるという意味でも、変な教科書を読む夜よっぽどためになる気がします。もちろん小説としても文句なしに楽しめるおすすめの一冊。
面白いのは作者がアメリカ人であること。
フィンランド北部キッティラ。12月の極夜真っ最中、雪原でソマリアからの移民で女優が殺された。腰を半分切断され、喉を搔き切られ、胸の一部を切り取られ、さらに腹部には「黒い売女」と刃物で刻まれていた。
警部にして署長のカリは捜査に乗り出すが、捜査上に浮かんだのはかつてのカリの妻を奪った男だった。周囲からは私怨で動いていると批難されるカリ。そんな彼をあざ笑うように第二の殺人が発生し、当初解決したと思われた事件の捜査は難航していく。
まず、タイトルにもなっている極夜(カーモス)という耳慣れない単語が気になるところ。
極夜(きょくや、英: polar night)とは、日中でも薄明か、太陽が沈んだ状態が続く現象のことをいい、厳密には太陽の光が当たる限界緯度である66.6度を超える南極圏や北極圏で起こる現象のことをいう。(Wikipedeiaより)
要するに一日中日が沈まない白夜の反対、一日中日が昇らない期間のことらしい。白夜はなじみがあるけど、極夜に関してはあまり聞かない気がする。帯にはフィンランド発ノワール・ミステリーと書かれているが、これはなかなか言い得て妙だと思った。もちろん殺人を扱った所謂ノワール小説であることは間違いない。しかし加えて極夜である。文字通り真っ暗な世界の物語である。この上なくノワールである。雪に包まれた世界というとイメージは真っ白だけど、極夜だから実際は暗い。そこがまず異界的である。
始めに書いたが、この小説、面白いのは書いた作者がアメリカの方であるということ。フィンランド人の女性と結婚されて、ヘルシンキで暮らしながら小説を書いているとのこと。ちなみに入れ墨の入った結構な強面な方で、小説家になる前はバーテンダーを始めとして様々な職業を経験されたとのこと。これらの経験もよく小説に活かされていると思います。
通常の北欧の小説は大抵北欧出身の作者によって書かれているから、北欧の常識は特にそれと意識されずに描かれていることになる。というのも彼らが通常に生活している普通の日常だから、要するに特筆すべきことではない。ところが北欧といったら日本に住んでいる私たちからした結構別世界である。ましてやフィンランドの北極圏である。極夜である。なんとオーロラも普通にみれてしまう。そんなところ、普通ではない。(もちろん私たちからしたらですよ!住人からしたらこっちが普通じゃないんだから。)文化も大きく違う。本書のなかで主人公がいうことにはフィンランドの殺人件数はとても多い。なんと一人当たりの殺人件数はアメリカと一緒だというのだから、なんとなく私たちが抱いている北欧のイメージとちょっと違う。
この本はそこの違いのところを詳しく描いている。作者はアメリカ人である。異邦人だからこそフィンランドの国のいいところと、悪いところ双方が他国と比べることによって、ある種生粋のフィンランド人より客観的にみることができるのである。
休みはたっぷり取り、福利厚生が行き届き、移民を多く受け入れる夢の国である一方、住民は寡黙で時に冷徹といえるくらい他人に干渉しない。移民への差別は消えず、近親者間での暴力犯罪が多く、アルコールに溺れるものが多く、さらに自殺者も多い。一日中太陽が顔を出す白夜がある一方、終日暗闇に包まれる極夜がある。作者はこのフィンランドの国が持つ二面性を残酷な殺人事件をつかって冷静に暴いていく。(もちろんフィンランドだけが二面性があるとは思いません。どんな国にもいいところと抱える問題点があります。)フィンランド人である主人公カリ、その妻ケイトをアメリカ人に設定したことで、フィンランドの抱える問題点をかなり個人的なレベルにまで落とし込んで説明されている。おそらく男女は別ですが作者自身の経験が活かされているのだと思う。
圧迫された真っ暗闇に文字通り閉じ込められた人々は鬱屈していき、暴力や行き過ぎた性行為が沸点を超えたように頻発していく。もちろん小説だから多少の誇張はあるにしても、とても厳しい世界で、人間陽の光に当たらないと駄目になる、などといいますが、意外に的を得ているのかもしれません。
小説の構造について言及してきましたが、物語の方も面白いです。容疑者は元妻をとった男で、元妻本人も事件で重要なキャラクターを演じます。要するにきわめて個人的な事件に主人公は立ち向かっていく訳ですが、出てくるキャラクターが実に多彩かつ生き生きしている。問題を抱え強いストレスにさらされながら折れない主人公を始め、頼りになる同僚、金持ちでバカな容疑者、怪しい被害者の両親、関係のよいとはいえない父親、どこかしら病んだ所の多い一風変わった隣人たち。どいともこいつも怪しい、けど後一歩足りない。異常な状況下に異常な登場人物たち、いったい誰が犯人なのだ?ミステリーの醍醐味ですね。
知っているようでよく分からない、フィンランドという国を知れるという意味でも、変な教科書を読む夜よっぽどためになる気がします。もちろん小説としても文句なしに楽しめるおすすめの一冊。
ラベル:
ジェイムズ・トンプソン,
ミステリー,
本
2013年5月3日金曜日
モンス・カッレントフト/冬の生贄
スウェーデン人作者によるスウェーデンを舞台にしたミステリー、警察小説。
いわゆる警察小説とは一風おもむきを異にしたかわった作品。
30代の女性刑事モーリンは若い頃できた思春期の娘がいるシングルマザー。
スウェーデン南部の町リンショーピン市警の犯罪捜査課につとめる。別れた夫とは今でも会うが、地元紙の記者と恋人ともいえない関係を持っている。
ある日、荒野に一本たつ巨木に巨漢の男の死体が、裸でつり下げられているのが見つかる。死体に著しい損傷があり、激しい暴力が振るわれたことが伺われた。やがて地元でつまはじきにされていた男性と判明する。モリーンは相棒のゼケと捜査にあたる。何人、何組かの疑わしき人物たちが捜査線上に浮かぶが、捜査は遅々として進まない。被害者と容疑者の過去を探るうちにモリーン達はそれぞれが持つ暗い一面と歴史を通して真相に迫っていく。
あらすじを読む限りは、思春期になり大人になろうとする娘となかなか心が通じ合わなくなりはじめる、という問題を抱えた刑事の主人公が自身の問題に向き合いつつ、殺人事件の背後にある真相に迫る、というオーソドックスといえる構造なのだが、前述した通り、ほかの警察小説はかなり違った独特の作りになっている。
まず全体的にとても文体とその中身が感傷的で詩的。通常(といってもあくまでも私が今まで読んできた経験に限られるのであしからず。)警察小説では、もちろん作者によるかきた方により差異はあるものの、比較的明朗で分かりやすい、どちらかというと硬質な文体によって、物語が描かれている。登場人物たちが全員ハリウッド映画のようにロボットのように行動するというのはもちろんなくて、彼らも悩み、迷い、困難に立ち向かっていく訳なのだけれども、時にはある種無慈悲なくらい冷徹な表現によってそれらが表現されていると思う。
ところがこの小説だと、登場人物たち(特に主人公モリーン)の内面の心の動きや思いが、読者にのみ聞こえる独白のようにダイレクトに表現されている。心のもやもやを、明確な言葉に翻訳せずに吐露する、とでもいうべきか。要するにたぶんに詩的で私的だから、美しくもある反面少し分かりにく所もある。青春小説や自分と相対するような純文学のようなおもむきがある。
殺人事件というのは、この手の小説では(ケースによってだいぶ異なるが、)人間の感情や運命(巡り合わせという意味でつかってます。)がどうしようもないような状況に陥ったときに引き起こされる(だから多分に個人的ではある。)現象とのように描かれる。(小説の中では)これは現実におこった物理的な事態なので、全体的な雰囲気を尊重するために、事件に立ち向かうものたちの物語は前に書いたように比較的硬質な文体を選んで表現されることが多いのかもしれない。
ところがこの実際には人の歴史や感情、個人的な問題が事件を引き起こす要因になっているの(ことが多いの)で、冬の生け贄におけるこの一種得意な感傷的な書き方が不思議にマッチしているのでは、と私は思った。
正直読み始めたときはかなりびっくりして違和感を感じたのだけれど、どんどん読み進めるうちにこの殺人事件はこの書き方が最も適していると感じるようになった。
原題の警察小説なのでもちろん科学捜査が登場するが、この小説は登場人物たちが「どんな人物なのか」というところを探っていいくような面が強い。誤解を生む表現かもしれないが、登場人物全員が多かれ少なかれ殺人事件に関わっている。中心には被害者がいて、刑事たちも含めてキャラクターたちが周りに配置され、主人公たちは蜘蛛の巣のような全体の構造を把握しようとする。キャラクター個人にフォーカスして。公共の事件を捜査するというより、むしろ個人史をつくる研究者のようにひとりひとりに迫っていく。
もう一つの特異な点、それは死人が喋る。文字通りしゃべる。ほとんどが独白という形をとるが。殺された巨漢の男は幽霊となり、様々な場所を漂って回り、示唆にとんだ(意地悪な言い方をすると思わせぶりな)私的な告白をする。
いままで読んだこのジャンル中では、このギミックはみたことがないと思う。
かなり不思議な小説であることに間違いないと思うけど、徹底的に内省的な雰囲気は寒々しい舞台とマッチしてほかにはない独特の世界観を作り上げている。
読み返してみるとかわっている部分をあげつらって、批判的な文章になってしまった気がするけど、楽しく読めました。オススメです。
いわゆる警察小説とは一風おもむきを異にしたかわった作品。
30代の女性刑事モーリンは若い頃できた思春期の娘がいるシングルマザー。
スウェーデン南部の町リンショーピン市警の犯罪捜査課につとめる。別れた夫とは今でも会うが、地元紙の記者と恋人ともいえない関係を持っている。
ある日、荒野に一本たつ巨木に巨漢の男の死体が、裸でつり下げられているのが見つかる。死体に著しい損傷があり、激しい暴力が振るわれたことが伺われた。やがて地元でつまはじきにされていた男性と判明する。モリーンは相棒のゼケと捜査にあたる。何人、何組かの疑わしき人物たちが捜査線上に浮かぶが、捜査は遅々として進まない。被害者と容疑者の過去を探るうちにモリーン達はそれぞれが持つ暗い一面と歴史を通して真相に迫っていく。
あらすじを読む限りは、思春期になり大人になろうとする娘となかなか心が通じ合わなくなりはじめる、という問題を抱えた刑事の主人公が自身の問題に向き合いつつ、殺人事件の背後にある真相に迫る、というオーソドックスといえる構造なのだが、前述した通り、ほかの警察小説はかなり違った独特の作りになっている。
まず全体的にとても文体とその中身が感傷的で詩的。通常(といってもあくまでも私が今まで読んできた経験に限られるのであしからず。)警察小説では、もちろん作者によるかきた方により差異はあるものの、比較的明朗で分かりやすい、どちらかというと硬質な文体によって、物語が描かれている。登場人物たちが全員ハリウッド映画のようにロボットのように行動するというのはもちろんなくて、彼らも悩み、迷い、困難に立ち向かっていく訳なのだけれども、時にはある種無慈悲なくらい冷徹な表現によってそれらが表現されていると思う。
ところがこの小説だと、登場人物たち(特に主人公モリーン)の内面の心の動きや思いが、読者にのみ聞こえる独白のようにダイレクトに表現されている。心のもやもやを、明確な言葉に翻訳せずに吐露する、とでもいうべきか。要するにたぶんに詩的で私的だから、美しくもある反面少し分かりにく所もある。青春小説や自分と相対するような純文学のようなおもむきがある。
殺人事件というのは、この手の小説では(ケースによってだいぶ異なるが、)人間の感情や運命(巡り合わせという意味でつかってます。)がどうしようもないような状況に陥ったときに引き起こされる(だから多分に個人的ではある。)現象とのように描かれる。(小説の中では)これは現実におこった物理的な事態なので、全体的な雰囲気を尊重するために、事件に立ち向かうものたちの物語は前に書いたように比較的硬質な文体を選んで表現されることが多いのかもしれない。
ところがこの実際には人の歴史や感情、個人的な問題が事件を引き起こす要因になっているの(ことが多いの)で、冬の生け贄におけるこの一種得意な感傷的な書き方が不思議にマッチしているのでは、と私は思った。
正直読み始めたときはかなりびっくりして違和感を感じたのだけれど、どんどん読み進めるうちにこの殺人事件はこの書き方が最も適していると感じるようになった。
原題の警察小説なのでもちろん科学捜査が登場するが、この小説は登場人物たちが「どんな人物なのか」というところを探っていいくような面が強い。誤解を生む表現かもしれないが、登場人物全員が多かれ少なかれ殺人事件に関わっている。中心には被害者がいて、刑事たちも含めてキャラクターたちが周りに配置され、主人公たちは蜘蛛の巣のような全体の構造を把握しようとする。キャラクター個人にフォーカスして。公共の事件を捜査するというより、むしろ個人史をつくる研究者のようにひとりひとりに迫っていく。
もう一つの特異な点、それは死人が喋る。文字通りしゃべる。ほとんどが独白という形をとるが。殺された巨漢の男は幽霊となり、様々な場所を漂って回り、示唆にとんだ(意地悪な言い方をすると思わせぶりな)私的な告白をする。
いままで読んだこのジャンル中では、このギミックはみたことがないと思う。
かなり不思議な小説であることに間違いないと思うけど、徹底的に内省的な雰囲気は寒々しい舞台とマッチしてほかにはない独特の世界観を作り上げている。
読み返してみるとかわっている部分をあげつらって、批判的な文章になってしまった気がするけど、楽しく読めました。オススメです。
ラベル:
ミステリー,
モンス・カッレントフト,
本
登録:
投稿 (Atom)