2013年5月11日土曜日

ユッシ・エーズラ・オールスン/特捜部Q-キジ殺し-

デンマーク人の作家によるコペンハーゲンを舞台にした警察小説第2弾。
今回もはみ出し刑事やさぐれ系カール・マークと謎のシリア系移民アサドが、さらに新しいメンバーを加えた新体制で過去の厄介な未解決事件に挑む。

コペンハーゲン警察本部の地下室に設置された未解決となった事件の再捜査のみを行う部署、特捜部Q。メンバーは同僚の死、半身不随を経て一時は情熱を失った敏腕刑事カール・マーク、そのアシスタントの陽気な移民アサド。さらにまた厄介で反抗的な女性アシスタント、ローセが加わる。
ある日カールの机の上に出所不明の未解決事件のファイルが届けられる。
20年前まだ未成年の兄と妹が残忍にも殴り殺された事件。犯人は自首し、刑務所に入っており、未解決事件ではない。誰が?なんのために?成り行きで始まった捜査線上に浮かんだのは超一級のセレブリティたちだった。たびたび妨害される捜査に、ひねくれ者のカールのやる気は燃え上がり、巨大すぎる容疑者たちを徹底的に追いつめていくことを決心する。

警察小説である。
警察小説とは何か。
ひとつに警察小説は勧善懲悪の小説である。犯罪を捜査し、容疑者を逮捕する警察機構は社会における善である。警察組織に属するものが主人公となれば、必然的に社会的な悪である犯罪者と対決することになる。善対悪という単純な二元論的な構図になる。
ただし多くの警察小説では善である警察官たちは自分のたちの善が完全ではないことや、時に悪に対して無力であることに疑問を持ち、悩み、迷う。司法取引や権力者からの圧力によって犯罪者を野放しにせざるを得ない場合、法の隙をつかれ今おこっている犯罪行為から目を背けなければいけない場合。これらのいわば妨害に対してどういうアクションをとるのか、あくまでも法の守護者として立ち向かうのか、自分の善という立場を否定することを承知で自ら(部分的に)悪にその身を染めるのか。この善に対する疑問や、善そのものの揺らぎが単純な物語に深みを加え、その後の主人公のとる行動がまさに警察小説の醍醐味と問題提起になると思う。
また彼らが相対する悪は本当に悪なのか。多くの場合主題となる殺人に至るまで殺人者には殺人者なりの事情がある。ただの愉快犯や快楽殺人者たちには同情すべき点は皆無だとしても、例えば肉親を殺された弱いものたちが、法に絶望して武器を取るとなればどうだろうか。復讐である。復讐は甘美であると思う。復讐や私刑が私たちの社会で悪(=犯罪)であることは間違いない。しかし特に日本では過去一部で復讐が奨励されたこともあって復讐譚となると、その復讐たちに対して彼らが犯罪者であることを加味しても同情や、それ以上のある種の応援したくなるような気持ちを持つことがあると思う。
言わば昨今の警察小説は自らのアイデンティティに疑問を抱える2者の対決である。俺が善だ!俺は極悪非道の人非人だ!と叫べない2者だ。法律や警察が弱者を守る慈愛の手だとしたら復讐者はこの手からこぼれてしまった者たちだ。警察組織の末端たちは彼らを守れなかったのだ。しかしどんな事情があれど彼は警察官である。これがドラマにならないはずがない。

前置きが長くなってしまったが、この小説、善と悪の入り交じりっぷりが半端ない。
主人公カールは善である。清々しいくらいの善だと思う。読むと彼が好きになる。なんて愛すべき男だろう。面倒くさがりやで怠け癖があって、おっちょこちょいでスケベ。強引でやり過ぎ。ただ悪は許さない。時に暴力的だが、常に弱者と同じ視点を持ち、悩み続ける。

一方の悪が悪い。邪悪である。前作と違い今作では犯人たちが序盤から明らかになる。コロンボではないがカールたちが彼らを追いつめていく過程がこの小説のほとんど大半である。彼らはボンボンとしてこの世に生を得、悪の限りを尽くし、そのまま信じられないほどの金持ちになり(ただし彼らは無能な馬鹿ではない、むしろ憎らしいくらい冴えている)、巨大な権力で捜査の邪魔をする、前作を読んで思ったけど作者はねじが外れた(しかしきちんと社会生活を送っている)化け物のような犯罪者たち(サイコパス?ちゃんとした定義を知らないけど)を描くのが得意である。なんという胸くその悪さ。なんてむかつく奴らだろうか!許せない!となれば主人公カールたちを応援したくなる気持ちもことさら強くなる。さすがの筆致で物語を面白くしていると思う。

さてカールたち、セレブたちに加えて、もう一人この小説では重要なキャラクターが出てくる。女性である。かつてのセレブたちの仲間である。今は別行動をとっている。彼女は誰なのか?彼女の行動の動機は何なのか?そして彼女は善なのか?悪なのか?
前作ではカールたち、犯人、そして題名にもなっている檻の中の女が出てきた。そして私はこの話(前作の方)は一人の戦い続けた女性の物語だと書いた。そうして今回も戦う女性が出てくる。彼女の生い立ちが細かく描写されて、主人公であるカールたちすら振り回されている脇役にすらみえてしまう。ただし彼女は彼女は善なのか?悪なのか?前作の女性はわかりやすかった。では彼女は善なのか?悪なのか?彼女は陰陽対極図のようだ。真逆の2つの要素が混ざり合い解け合っている。悪が彼女の個性であり、浄化されていない罪が彼女の行動動機のひとつなのだ。彼女をとちらかのサイドに所属させることは無理だ。

警察小説とは何か。
警察小説とは白黒つける物語だといってもいい。
この話では善悪の彼岸がはっきりしている。しかしそこにグレーなトリックスターを登場させることで物語が混沌とし、はっきりとしているはずの絶対線すら怪しくなってくる。彼女は戦っていて、常に揺れ動く存在である。
彼女に善性なんて微塵もないという意見も正直あると思う。悪性が巨大すぎるし、動機が個人的にすぎるから。でもわたしはたった一つの要素で彼女が善性をもっているのだと確信している。たった一つの要素が何なのか。それはぜひ読んで確かめていただきたい。

私はこの本を読み終えて閉じたとき、まさに快哉を叫びたいような心持ちだった。
善いと悪い、が混在しているからだ。ただ結末を読者にゆだねるというのではなく。最後まで紳士に書ききって、君はどう思うだろう?と問いかける作者の顔が見えるようである。
最後の最後事件が解決した後、カールは2つの行動をとるんだけど、これがどちらも感動した。迷い続け、悩み続ける、粗暴だが心優しいカール・マークは昨今の警察小説界隈に現れた新しいヒーローだと思う。
すばらしい小説。すばらしい物語。たくさんの人にぜひ読んでいただきたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿