翻訳家平井呈一が翻訳した海外のホラー小説を集めたアンソロジー。
平井呈一といったらなんといってもブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」の翻訳だ。真っ赤な表紙のあの本。それから明らかにドラキュラに対応した真っ青な表紙のレ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」を読んだ学生時代。アーサー・マッケンの「怪奇クラブ」。それから猫が表紙に書いてある平井呈一自身が書いた「真夜中の檻」も読んだ。
そんなわけで若干のノスタルジーもあって手にとったこの本、ごくたまにある面白すぎて読みすすめるのがもったいない、という気持ちを味わえる良い本だった。
中でも心底震えたのがF・マリオン・クロフォードの手による「死骨の咲顔」。まさに鬼気迫るこの怖さはなんだろうと思ったら、齢100歳の幽霊屋敷に使えるおばあさんの口調だった。まるで金田一耕助シリーズに出てくるようなおばあちゃん口調なのだ。年振り、少しなまっているような、半ば死んだ言葉たち。もちろん原著は英語で書いてあるわけだから、(単語のチョイスはあるだろうが)訳者である平井が言葉を当てはめ、補いこの雰囲気を作っているのである。
ここに平井呈一の凄みを感じたわけで、つまり英語をそのまま翻訳しても堅い文章にしかならない。例えば現代ならGoogle翻訳にかけたような少し奇妙な日本語である。これに意識というフィルターを掛け、意訳の工程を経て硬かった文を柔らかく、違和感なくしていくのが翻訳者の仕事だろうか。
それだとしたら時代背景や小説の設定、それから読者のことを慮って更に言葉を選んでいくのが翻訳家平井呈一の腕なわけだ。
もちろん原文からの距離は離れるから、それは批判があるかもしれない。しかし断言してもよいが波の翻訳者が前述の「死骨の咲顔」を翻訳しても絶対にこんなに怖くはならないだろう。
平井呈一は原著を再構築する作家的な側面を持っているといいいたいわけではなく、極めて尖ったどこまでも翻訳者なのである。
彼の目的は唯一つ、原著の面白さを英語を解さない日本人に伝えて怖がらせること。
そう思って読みすすめると付録の生田耕作との対話でやはり翻訳に対する強いこだわりを見せていて、これは非常に納得感があった。
つまりただ訳すだけでは全くだめだと、翻訳者は日本の言葉をとにかくたくさん身につけてないといけない、そしてこの教養を存分に奮って翻訳しないとならない。そういった意味では平井は自身を職人だと考えている。
かねがね思っていたのだが、ラブクラフトの仰々しい文体は現実離れした恐怖や怪異を読者に伝えるための一つのやり口であって、そういった意味では怪異を呼び出す呪文なのだ。平易な文章で恐怖を惹起させる巧みな作者もいるだろうが、やはり凝った文体が生み出す圧倒的な没入感を伴う恐怖というのは他に代えがたい。
ラブクラフトといえばこの本に収録されているのはいわゆるクトゥルー物ではなくて「アウトサイダー」というのも面白くて、つまり平井が考える恐怖が肉体的な恐怖ではなく、考えること、根本的にはその暗がりに何変えたいのしれないモノがいるのではないか?と考える恐怖であることを示している。そういった意味で収録されている作品にははっきりとした共通項があるようである。
こうなるとか怪異自体とそれに影響される人間の認知のゆがみというか揺らぎが、もう一つの恐怖の源泉でもある。
じっとりとした恐怖を味わいたいならこんなにうってつけの一冊もないだろう。
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