ファースト・コンタクトから30年経ち未だ見知らぬ異星人(どんな姿をしているのか地球人は未だにわかってない)ジャムと戦い続ける地球空軍の話。
読んだことはないが「言葉使い師」という著者もある作者の言葉はある意味では信じていけない。一番わかり易いヒントは主人公に対する描写でとにかく「感情がない非人間的」ことが地の文や会話で強調されるが、実際は正反対の人物造形をしていることがすぐわかる。
本来地を這う人間が空、しかも異星の空で戦闘機で戦うという上と下の構造。これはそれと重なるようにもう一つの階層がある。
それがジャムと人間の関係で実際に相手の姿すらつかめていない地球人がもちろんジャムの下につけている。
作中ではジャムはおそらく機械知性であることが示唆されており、人間とはそもそも体、もしくは媒体と言ってもよいがそれの概念が全く違う。だからお互いにお互いを近くできないのだ。人間が無視されているように感じる、という主人公深井中尉の直感はだから正しい。
敵が機会だから面白いのではなくて、種族が違うのでお互いにわかりあえない、認知できないというのは私が面白いと感じるところ。だから戦争というコミュニーケーションに落ち込んでしまうのは生物的に見て双方ともに共通して愚かである、ということを表している気もする。
この一冊は同じ世界観の物語が連作短編という形で進行するのだが、最後の「スーパーフェニックス」は怪談めいているのだが、実際には上記の媒体の差異による認知のズレを強制的に正そうとする試み、いわばファースト・コンタクトをやり直す、といった趣があってこの本の中でもダントツに面白い。
ぶれていた階層が強制的に重ね合わされる、コネクトされるのだがそこにはやはり違和感しかなくて、これはもう一つの人間の限界を示している。
ある人が何かを造ったときそれを世に出した時点でもう自分のものではなくなってしまうように、人類が作った機械知性ももはや人間の手を離れてしまった。
この先はジャムと手を組んで人間の及び知らぬはるか高みに登ってしまうのだったら、それは面白いなと思う。雪風シリーズはあと2つこのあとに続編が出ているからそれを読めばわかるのだろうけれども。
戦争に人間が必要なのか?とはこの作品によく出てくるワードなのだが、そもそもこれは戦争なのだろうか。はじめから人間は無視されているような気がしてならない。だって飛べないから、というのはあまりに詩的だろうけど。そういう(人間的な)雰囲気も込められている、あくまでも人間の視点で書かれているのが非常に面白い。
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