平成というすでに過ぎ去った時代を怪談という切り口で捉えようとする試み。
冒頭を飾る前作で時代性というものをたしかに私は感じ取ったのだった。
二冊目のラインナップは下記の通り。
①小川洋子「匂いの収集」
②飯田茂実「一文物語集(244~255)」
③鈴木光司「空に浮かぶ棺」
④牧野修「グノーシス心中」
⑤津原泰水「水牛群」
⑥福澤徹三「厠牡丹」
⑦川上弘美「海馬」
⑧岩井志麻子「乞食(ほいと)柱」
⑨朱川湊人「トカビの夜」
⑩恩田陸「蛇と虹」
⑪浅田次郎「お狐様の話」
⑫森見登美彦「水神」
⑬光原百合「帰去来の井戸」
⑭綾辻行人「六山の夜」
⑮我妻俊樹「歌舞伎」
⑯勝山海百合「軍馬の帰還」
⑰田辺青蛙「芙蓉蟹」
⑱山白朝子「鳥とファフロッキーズ現象について」
確実に作品の趣が1と変わってきている。
時系列で作品を収録しているから平成という中でも意識の流れに変遷がある事がわかる。
前回の感想でも書いたけど、前作収録作品が書かれた(性格には世に出た)平成初期には確実に親しい他人、家族や恋人が大いなる謎であり、その感情はふとしたきっかけで恐怖に変わることが、あったはずだ。そのぼんやりとした不安を怪奇小説に消化している作品がいくつか見受けられた。
ところが時代がかわってこの短編集だとそのたぐいのものはないかな。強いて言えば①は恋人がわからない、という要素はあるけれどもどちらかというと不穏な伏線が落とし穴のような恐怖に落ち込む典型的に落ちが聞いた怪談といえる。
どちらかというと私が感じたのは自己の内部に踏み込んでいく作品が多いこと。
平成中期は他者から離れて自己に向き合う、いわば精神病的な時代だった。
現実とのギャップが心身に軋みを生み出し日常生活に支障が出る。自己と深く向き合う中で本当の自分、または新しい自分に出会い、問題の解決に一歩踏み出す、というような。
浮世離れした少年が預言者のような男にであり、本来の自分を見出していく④、アルコール中毒になり会社と社会から脱落した男が非現実で闘争し治癒に向かう⑤、忌み嫌う父親の血が自分の中に流れていることを自覚し、そして同一化していく⑥、ぼんやりと霞がかかった日常を生きる女が本来の荒々しい自分を取り戻す⑦までが、そういった流れになっていて非常に興味深い。私小説的になりがちなこういう物語で、暗いおとぎ話のような鈍い光を放っている⑦は特に好きだ。
一方で怪談が現代に息を吹き返して豊穣な花を咲かせたのも平成中期だったのかと。
平成を代表する怪談の一つ「リング」シリーズのスピンオフである③、「ぼっけえきょうてえ」の作者の田舎の土着ホラー⑧、大阪の下町を舞台にした近代ノスタルジックホラーの⑨、人と神の交わり、そして神の摂理の前に人間としてただただ呆然とするしかない⑪と⑫などなど。題材としては古典的と言っても良い恐怖の要素を現代という、怪談が成立しにくい明るい舞台装置の中で見事に復活させていて、どれも面白い。
特に浅田次郎は「鉄道員」などだけ読んで良くも悪くも読みやすい本を書く人だと思っていたが、実は全然違った。こんなに美しい文体を書けるとは。なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。怪奇小説の短編集があるということで必ず読む。
世の中が電気と知識の敷衍によって便利になっていき、幽霊たちの居場所はなくなるようだが、この本を読むと恐怖という感情は普遍的で現代平成の世になってもちっとも減じていないようである。
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