極めてメタル的な映画だった。明らかにブラックメタルのバンドロゴを意識したタイトルもそうだが、それだけじゃない。全体的にやりすぎでくどい演出に、ゴア表現。それらは手段であって目的ではない。メタル的って何か、メタルって何を表現しようとしているのか。解釈は様々だが私にとってはこうだ。世界に対する曖昧な嫌悪感。我ながら苦笑してしまうような表現だけど待ってほしい。この映画のラスト、愛する妻の幻影を見てニコラス・ケイジ演じるレッドは笑った。でもすぐに彼女の不在に顔つきが変わり、そして見知った地球が地獄のような景色に変わる。レッドは狂ってしまったのだろうか。違うね、断然違う。レッドにとってこの世が地獄なのだ。理解し合える誰か(マンディ)がいない地上なんて地獄にすぎないのだ。この考え方がメタル的なんだ。だから私はこの映画が好きになってしまった。
マンディは浮世離れした女性でレッドにとって現世の苦しみを忘れさせる運命の女だった。だから彼女がスクリーン上に現れる時、ある意味では不自然に光り輝いていたのだ。彼女がレッドの前から去った後、ほとんど画面は歪んでなかったはずだ。レッドはある場面では麻薬を吸引していた。それはそうだ。この世は地獄で、マンディという薬がなくなったしまったのだから、彼は半ば狂った徹頭徹尾ソリッドな現実の世の中で正気で孤独だったので残酷さに向かい合うためには、それが必要になったのだった。
敵役のツマラなさは確かにある。全く魅力的でなく、人間的に面白みがない。どいつもこいつもぱっと見個性的だが中身がない。それはそうだ。彼らはこの世の中の悪い部分の代表で、それゆえ誰もないし誰でもある。彼らはただこの世界のいやらしさの結晶であり、レッドはお手製の武器(某バンドのロゴをもじったような巨大な斧)で彼らを粉々に打ち砕くのだ。
しっかり教会も燃やすのだが全体的にはドゥーム・メタルだ。ドゥームすなわち呪い。登場人物たちは全員呪われてているが、それはこの世が不浄だから。全員が悪人になりきれず、一体このくそダメでどうしたら良いのかわからなくて右往左往しているような不安定な感じがある。まさにドゥーム。そうなるとあのラストもむしろ勝ちようのない戦いに沈み込んでいくカタルシスのまったくない感じがしてきてさらにドゥームに拍車(音圧=重圧)をかけてくるようだ。
ニコラス・ケイジはなんとなく昔から好きで、今更「ツイン・ピークス」にハマったのでそのままデヴィッド・リンチの「ワイルド・アット・ハート」を見たらめちゃくちゃ格好良くてさらに好きになってしまった。今作では彼は「苦しい」とか「辛い」とか一言も言わないが、全身から憎しみとそして再現ない疲れと寄る辺のない絶望が感じられてすごく良い。下半身ブリーフで慟哭する姿はなんとなく可愛い。
マンディ役のアンドレア・ライズブローは綺麗を通り越して怖い感じ。年齢不詳な感じで明らかに魔女っぽいけど、二人でテレビを見ているシーンはなんだか妙に可愛かった。コミュ障っぽいところもあって得体の知れない美女じゃなくてちゃんと愛嬌のある人間として書かれていてよかった。
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