「ボーダー・ライン」の続編を見にいくはずがなぜか「ハード・コア」を見ていた。
原作は狩撫麻礼、画はいましろたかしの漫画「ハード・コア 平成地獄ブラザーズ」を元にした邦画である。監督は山下敦弘でこの人は「リンダ リンダ リンダ」などを撮った人だ。主演でプロデュースを務めるのは山田孝之で、彼が原作に惚れ込んでこの映画を取ることを発心したそうだ。
2時間の映画で途中何回も笑った。しかし最後まで見て残ったのは圧倒的な絶望感でもあった。なんて暗く、そしてひどい映画だろう。誤解を与えるかもしれない表現なのではじめに断っておくが、映画自体はものすごくよかった。でも終わったあと感動して慟哭することはなく、むしろ恐ろしさで戦慄が走った。私は原作を読んだことがなく、軽い気持ちで冴えない中年が頑張る話かな、と思って見に行ったのだ。なぜなら私も冴えない中年だからだ。でも見終わると冴えない中年は死ぬしかないのか…という気持ちになってしまった。
主人公の権藤右近は冴えない男だ。感想を見て見たら「クズ」と称されてもいた。まあそうかもしれない。良い年をして定職につかず胡乱な反社会的な組織でよくわからない仕事(埋蔵金の発掘)を任されている。金もなければ女にもモテない。すぐに頭に血が登る性格で口が悪いし、それより先に手が出てしまう。堕落した生活を楽しんでいるなら良いのだが、自分の境遇には強い不満感を持っている。悪いのは世の中なのだ、その世の中の腐敗の割りを食っているのが純粋な俺なんだ、とそういうわけだ。
彼の何かダメなんだろうと考えたときに思ったのは、暴力的だからでも、怠惰だからでもない。強烈な個性があるし、主張もする割に本当にダメなのは自分の意思がないのであった。彼がよく口にする雇い主である「金城には恩があるから」というのはなるほどわかる。でも右近自身は金城の思想に染まっているわけではない。彼には月7万円というお金のために世話になっているだけで、いわば金城を便利に使っているわけだ。7万円はなるほど大金だが、仕事は他にもある。彼はあえてその境遇に甘んじているわけだ。彼は考えるということが得意ではない。自分の意見がない。というよりは責任は負いたくない。だから埋蔵金を見つけてもそれをどうしたら良いかわからない。(全部自分で欲しくはあるのだが、怖くて雇い主に報告しようかと悩む。)強い言葉で上司の水沼からテロルの覚悟を問われると、なんとなく偉そうな言葉でその場を凌いでしまう。彼は根っからのダメ人間というのではないのだ。彼は確かに牛山に対して優しい。人間ですらないロボオに対してもそうだ。暴力で脅してくるヤクザには我慢ができない。いいやつなのだ。不器用で、でもやっぱり自分の意思がなく、重責からは逃げてしまう。
唾棄すべき世の中に漠然とした憧れがあって、だから牛山とロボオといったキャバクラで踊ったのは彼にとっては最高の体験だった。自分がバカにした仲間と浮かれさわぐ、という行為(いうまでもなく冒頭のバーのシーンの逆の再現)をやっと自分ができたからだ。彼は世の中が嫌いだったわけではない。憧れた世の中に拒否されていると感じているから、その世界に憎しみを覚えているのである。あああああこれはどう考えても私ではないか。
一方彼の弟、佐藤健演じる権藤左近はどうか。彼は意志の人だ。商社に入り金を稼ぎ、女にもモテる。行動力と知識があり、そして強い野心とそれを実現させる速やかな行動力がある。埋蔵金を手に入れた直後、すぐにそれを強奪し、そして実際の金に帰る術を思いつくのも彼だ。左近がいなければ右近は埋蔵金を金城に渡していただろうし、よしんば強奪しても日本円に換金することはできなかっただろう。彼は生まれながらの完璧な人間ではないのだ。居酒屋で激昂した兄右近を殴り返しそしていう、「世界など腐って当たり前。そこで要領よくやっていくしかねえだろ。」彼だってこんな世の中が正しいとなんて思っていなかったのだ。だから埋蔵金が欲しかった。くだらない雇われ人である商社マンから抜け出し、世間を出し抜きそして一人高笑いすることができる。埋蔵金は彼にとって復讐の道具でもあった。彼はなるほど顔が良いが、AIの知識、妙子の本性を見抜く眼力など、全て経験によるもので単に才能の問題ではないことがわかるだろう。彼だって右近のいう腐った世の中で彼なりに辛酸を舐めてきたのだった。
映画をご覧になった人ならわかるだろうが、この映画は終わる前に一度終わっている。最後の最後は優しさであり、それこそ逃げの一手かもしれない。私もこの作品のコメディ要素は究極このラストへの布石だったと思うところもあり不満はないのだが、やはりその前のロボオがいう「こうするのが一番なのです」という言葉とそのあとが忘れられない。同じ時間を与えられて結局何もできなかった右近。最後の最後まで自分の意思がなく、結局自分の大切な人生を他人にいいように奪われた右近。そんな彼はもはやああなるのが一番なのか。そんなわけで自分の中に右近を見出していた私は大いに戦慄したのだった。現実的な恐怖といっても良い。甘い糖衣に包まれたフィクションだなんてとんでもない。(それだけにあの最後の最後が私にはむしろ恐ろしかったのだった。あれこそが現実から身をそらす幻覚剤だからだ。)現実にぶん殴られたようである。全ての冴えない中年はこの映画を見た方が良い。手遅れになる前に。そして私たちは既に半分かそれ以上は手遅れなのだ。
この物語に出てくる存在の中で明らかにロボオがおかしい。だって彼は人間じゃない、彼はロボットなのだから。左近が言っていた言葉にヒントというか答えがある。「AIは命令されれば行動することができるが、その行動がどう言った目的なのかわからないのだ。」皮肉だ。ある意味では意志薄弱な右近もそうなのだが、本質的にロボオは行動の規範が人間とは違うということを言っているわけだ。ところがどうだろう。この映画に出てくる人間は牛山も左近も含めてみんな大なり小なり歪んでいる、おかしい。優しくはあっても結局は人を利用していく。そして人を壊していく。そんな世界の中でただ一人ロボオだけが優しい。彼は人を傷つけない。身を呈して人の幸福を守ろうとする。(最終的には感情が明らかに生まれている。水沼とのシーン。)ロボオの完全な人間性が非人間の中に実現しているという存在は明らかに皮肉であり、そしてこの「腐りきった世界」に対する批判である。狩撫麻礼という方はハードボイルドな方だったそうだ。おそらくこの世界に対して内心複雑な思いを抱えていたのだろう。
本当に素直に「ボーダー・ライン」を見に行けばよかった…と思うくらいの衝撃だった。しかしそれゆえ優しい。どんな気持ちで山田孝之と山下敦弘監督はこの映画を今この時代に撮ろうとしたのか。大変失礼は承知ではっきりいって大ヒットするような作品じゃないと思う。しかし少なくとも私の心臓にはグッサリ刺さった。刺さりすぎて痛いほどに。俳優の方々の限界を超えたような演技も素晴らしかった。
何もしないのもいい。優しいのはもっといい。でもそれだけではダメなのかもしれない。人生はハードだ。タフになれ。冴えない中年、腐りきった世の中に言葉にできない思いを抱えている方はこの映画を見た方が良い。強烈なパンチ力に驚くだろうが、ぼんやりしている場合ではない。
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