2018年1月8日月曜日

ミシェル・ウェルベック/プラットフォーム

フランスの作家による長編小説。
前回「地図と領土」が大変面白かったので読み終えないうちからこちらを購入。「服従」が売り切れだったので反射的に選んだようなものだが、あとから調べると色々と曰く付きの物語だ。まず買収観光という問題を取り扱っているし、それからイスラム過激派の台頭を予見した(この本は2001年に発表されている。)ということらしい。「地図と領土」はウェルベックにしては性描写が抑えめということだったので、結果的には都合良かったなと言う感じ。

フランスで公務員として働くミシェル。年は40代。友達は一人もいない。長続きするような恋人もいた例がない。仕事が終わったら寝るまでテレビを見る。たまに本を読む。生まれてこの方何かに熱中したわけではない。長期休暇の折には海外旅行に出かけることもある。タイのパックツアーに赴いた先でヴァレリーという女性に出会い、そしてミシェルの人生は好転していく。旅行会社に務める彼女のためにミシェルは売春観光というアイディアを提供する。

スキャンダラスな話題に事欠かない作家らしいが物語はかなりしっかりしている。これは空虚な中年に差し掛かった男が情熱を取り戻し、人生を奪還するという成長の物語でもある。人生の伴侶を見つけてそれまでの人生観を一変させるという稀有な体験を味わう恋愛小説でもある。喪失と再生の物語でもある。(異論はあると思うが。)「地図と領土」でも書いたと思うが、ウェルベックの小説は読み手がそこに”何か”をわかりやすく認めることができる、という意味で非常に優れている。主人公ミシェルの抱える著しい情熱の欠如が一体何なのかということだけで相当面白い問題である。父親との、そして母親との関係故なのか、情報過多で軽視される肉体的接触の減少が産んだ弊害がもたらす現代病なのか。そしてセックスというのも常に人間の興味を惹きつけるもので、私達というのは特に芸術の分野ではそのセックスというものに付加価値をつけたがるものなのではないだろうか。そういった意味ではキャッチーでやはり何かありそうな物語だ。(当然ウェルベックの各物語は思わせぶりで結局何もいっていないという人もいるのではなかろうか。私は別にそういうったことは求めていないので全然かまわない。)別に悪口ではなく、実際の自分たちの抱える様々な問題を簡潔な形で、この小説の中で私達が見いだせるだろうと思うのだ。つまり、私達の悩みをうまく整形して描いているのだ、ウェルベックという人は。

私は子供の頃に一回海外にいったきりだが、なんとなく海外で売春をするというのはよろしくないと思う。たまに日本人旅行者の渡航先での買春に関する文章(「好色で無遠慮な日本人的な」)を見るとやっぱりやめたほうが良いよな〜と思っちゃう。この本は売春観光を描いているから、買ったあとに気がついたけどあまり反りが合わないかもな、と思ったがそうでもなかった。というのもウェルベックはこの本の中でセックスと言うものを非常に良いものとして描いている。表現は過激だが(でもあまり下品ではないと感じた。ただし非常に大胆であるが。)、例えば女性に対する強要、暴力(ただしSMの表現はあり、そしてウェルベックはセックスが持つ善きものから外れているとして批判しているように思えた。)はほぼない。ミシェルと恋人ヴァレリーのセックスは素朴であり、そしてそれゆえに神聖ですらある。一方でミシェルが、そして西側の人間が体験する売春も相手側の女性も非常にしたたかなものである。彼らは暴力で売春観光の目玉として集められたわけではないし、現実的な、つまりお金という目的のために体を提供しているように書かれている。もちろんこれは小説であり、私も売春観光いいじゃない、そこには搾取と言うのはないのだ!とは全く思わない。つまりこれはミシェル・ウェルベックの考える一種のユートピア、存在しない現代にはとうに失われて久しい安息の地として売春観光を考えているのではないか。(もしくはやはり愚かしく、人を見下す西洋人の傲慢さを書いているのかもしれぬ。)

「地図と領土」の主人公は生まれながらの芸術家だった。一方この「プラットフォーム」の主人公は冴えない中年男性である。そういった差異も面白く、また語り手、つまり切り口をガラリと変えても、人と社会(個から見た全体という視点で)の抱える問題に関してサラリと書いてしまうあたりがすごい。

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