2017年10月29日日曜日

THE DILLINGER ESCAPE PLAN FINAL JAPAN TOUR 2017@渋谷Cyclone

The Dillinger Escape Planというバンド名の元ネタは私もはじめは勘違いしていたのだが、(セクシーな女スパイが隠し持っている)小さい銃のデリンジャー(Derringer)ではなくて、1930年台のアメリカの銀行強盗John Dillingerのこと。この人はFBIからは公共の敵を意味するPublic Enemy(同名のヒップホップユニットの創始者Chuck Dはここからグループ名を取った)と称されたくらいの凄腕の強盗で、義賊ということで民間にもすごく人気があったそうな。とくに逃げ際が彼の持ち味で指名手配されて多額の賞金がかけられているのに全然捕まらなかった。The Dillinger Escape Planはそんな「デリンジャーの逃亡計画」と意味。(完全に余談だが、スティーブン・キングがジョン・デリンジャーの落陽を書いた短編小説がとても面白いので興味のある人は「第四解剖室」という短編集をどうぞ。)TDEPの音楽は破天荒でスタイリッシュで、カオティックで親しみやすく私も大音量で聞きながら彼らと迫りくる警官から来るまで逃亡するような気持ち(妄想)に浸ったものだ。

さて台風が接近してまたしても荒天に見舞われる日本列島、The Dillinger Escape Plan最後の日本公演二日目に。今度のライブハウスは20週年を迎えるという老舗の渋谷サイクロン。ハロウィンで浮かれる渋谷の街は二重の意味で私のようなオタクには歩きにくいがなんとか到着。ライブハウスのハキハキとして対応も丁寧。キャパシティは300人。前売りはソールドだが、当日券で30人位入れたとのこと。(雨の中せっかく来てくれたので、ということでした。)というわけでさすがにパンパン。サイクロンはステージは一段高いところにあるものの、ほぼフロアとの隙間がない。この日は客演なしの一本勝負ということで前日以上の荒れ模様が予想され、やはり主催Realising Mediaの今西さんから怪我人ゼロでいきましょう!とアナウンス。

The Dillinger Escape Plan
期待感からか「デーリンジャー!デーリンジャー!」とコールも始まる。相変わらずちょっと焦らしてからメンバーが登場。この日も圧縮が半端なかった。死ぬとか思ったけどそれどころではなかった。死んでいる場合ではない。1曲めは前日から異なり5thアルバム「One of Us is Killer」から冒頭「Prancer」。そこから順当に「When I Lost My Bet」。からの4th「Ire Works」からの「MIlk Lizard」なのでもう0から100に一気に加速したフロアが沸点を超えて煮え立っている。ステージが近い、狭いライブハウスなのでサーフの数が半端ない。後ろから飛び出して人の頭の上を転がって、ステージ前面に行くわけだけど、Cyclamenのメンバーお二人に加えてボーカルのGregが太い腕でぐっとサーファーを捕まえて押し出していく、またはステージに上げると、華麗にさばいていく。私はと言うとぎゅうぎゅうで手を挙げると下げる隙間もない、のでほぼ腕をうえに振り上げっぱなし。ダイバーの何かが顔面にぶち当たり、早々にコンタクトレンズが脱落したのでほぼ半目でステージを見上げることに。Gregは相変わらずライブハウスの中を縱橫に動き回る。アンプの上、人の上どころか最終的には人の頭の上を通って、はるかステージ後方2回のPAスペースの作にぶら下がっっていた。(その間ももちろん叫ぶし、歌う。)Gregはとにかく終始笑顔で楽しそうだった。ちなみに客もほとんど笑顔。いかついお兄さんもすごい笑顔。唯一のオリジナルメンバーであるBenは笑顔は見せないのだけどやっぱり動き回りアンプの上に登り、ジャンプし、最終的にはなぜか客の頭の上に直立でとどまり、ギターを引いていた。天草四郎ですら水の上を歩いたのに、なぜか微動だにしないBen。どういう仕組なのでしょうか。Gregと二人で1本のマイクにシャウトを決めたり、とても良いコンビ。
演奏は相変わらず劇的にタイトで「Prancer」でもその魅力を発揮していたが、休符の使い方がとんでもなく大胆で外すと露骨にミスが目立ってしまうところをきっちり決めていく。音質は流石に前日のLiquidroomに譲るものの、この日はベースの出音がでかくて個人的には荒々しい迫力が良かった。セットリストも抑えるところは抑えつつ、やや変更してきたイメージ。看板の二人以外のメンバーも良い感じにはっちゃけていた。(もう一人のギタリストKevin Antreassianの黒いボディに蛍光緑のピックアップのギター存在感あったな〜〜。Vigierというブランドみたい。)とにかく正確性の上に快楽がある、というドグマのもとに荒々しくもかっちりとした楽曲を披露していく。メンバーは各々暴れて目配せとかもしてないようだが、よくまああんなにきっちり合っていくものだ。パワーバイオレンスとは全く異なる極端性、つまり速い遅いの二元論に加えて、ジャズを意識させるアンビエントパート、特にコアな音楽界隈では軟弱と切り捨てられかねないわかりやすいメロディという別次元を加えた多次元宇宙的な世界観を高尚さ、そしてメタルっぽさと明確に切り離したハードコアのフォーマットで繰り出していく。まさに不可能への挑戦、無限を計算し続ける艱難辛苦の果にある、お手軽に音楽が作れる現代における時代の徒花めいた非効率的な音楽にこそ、そんな複雑さ、考え抜かれた思考と試行錯誤の先に、その先にこそThe Dillinger Escape Planにしか出せない、頭のおかしいくらい複雑な曲なのに一体感のある音楽がある。音源で聞く正確性、そしてフロアとステージの高さをなくす親しみのあるステージング。”ヤバさ”が取り上げられがちだが、要するに演者と客という両者の柵を取っ払う、演者からの観客に対する接近こそが一体感の秘密かもしれない。盛り上げたいならまず自分からを地で行くステージングだ。客が拳を振り上げ、一緒にメロディを歌う(叫ぶ)というフロアの状態は、危険なピットができるハードコアとは異なり、日本のkamomekamomeのライブにちょっと似ているなと思った。インタビューによるとボーカルのGregは思い注意欠陥障害(ADHDのこと)でステージに上ると頭が真っ白になるそうなのだけど、この過激なステージングは彼にとっては世界の付き合い方の一つなのだろうか。
Gregから「今回のツアーで最高のライブだ」とアナウンスがあり、アンコールでは初日にやらなかった「Mullent Burden」を披露。爆速。その後1stからの「43%Burnt」で〆。やはり1st「Calculating Infinity」の曲はまだニュースクール的なハードコアリフがあってめちゃかっこいい。かなりゴリッゴリきて気持ちよい。

終わってみると私は本当に汚い話で申し訳ないのですがパンツまで汗びっしょり。おそらく重篤な怪我人は出なかったのではなかろうか。フロアに明かりがつくとみんな名残惜しそうにそれでも笑顔だったのが印象的だった。
主催の今西さんに握手して、また渋谷の浮かれた人混みをビショビショで帰ったのですが、今ならマスコアパンチが打てそうないい気分だったので問題なし。

バスから降りて家まで歩いている時に急にバンドが解散したらあの素晴らしい楽曲群をもう誰も演奏しないのかと思って悲しくなり泣けてくる。(私は愚かなので人が死ぬときもその後に残される知識や本とかのことを考えないとその喪失が実感できない。)私がもうずっと大好きだったバンドがなくなってしまうのである。そうしたら音源を聴いて一人で拳を突き上げようと思う。彼らの曲は永遠だ。この日は本当に破天荒なデリンジャー・ギャングたちが運転する車の後部座席に乗って派手で荒々しくも華麗な逃走劇を楽しんでいるような感じだった。当局の銃弾が飛び交う中、猛スピードで車がバウンドしていく。ばかみたいなスピードで窓の外を風景が流れていく。彼らの笑顔がすぐ先にあって、おこがましくも私もその悪事に一枚噛んでいるような背徳感のある楽しさがそこにあった。そうして時間が来ると、彼らは私を真っ黒いフォードから下ろし、またあっという間にまた駆け抜けていった。そうしてきっともう今年の終わりにはこの世界からあっという間に、そして華麗に脱出していくのだろう。ありがとう。The Dillinger Escape Plan。
主催のRealising Mediaの皆様本当にありがとうございました。

The Dillinger Escape Plan Final Japan Tour 2017@恵比寿Liquidroom

音楽好きなら自分の既存の世界観をぶち壊して、興味を次の次元に持ち上げてくれたアルバムというのがかならずあると思う。手にとって聴いたときは「なんじゃこら??」となって全然わからないのだが、しばらく聴いているとこんな世界があったのか!!と虜になる。そしてそのアルバムがゲートウェイになってまた様々な音楽を掘っていく。私は中学生の時に買ったnin inch nails「The Fragile」、それから大学生の時に買ったThe Dillinger Escape Planの「Miss Machine」がそれだ。出会ってからそれぞれ15年以上、10年以上たっても未だによく聴く私の音楽の救世主だ。
そんなThe Dillinger Escape Planは今年の年末での解散を発表している。多くのベテランバンドをディスるつもりは毛頭ないが、長いキャリアでなかなか初期の名作群を超越しながら新作を出すというのはとても難しい。ジャンルは違うが「シャッター・アイランド」などで有名なアメリカの作家デニス・ルヘインもそういう趣旨で人気シリーズに幕を下ろしていた。だから全盛期で解散、というのはなんとも潔く、そして格好良い、気持ちはわかる。そんな彼らが解散直前に日本に来ることになった。TDEPは来日経験は何回かあるのだが私は見たことがないので今回が初めての機会ということで2つの公演のチケットをとった。
招聘しているのはRealising Mediaで過去に色々な海外のバンドの来日公演を手がけ、なんと招聘率は100%だ。これは海外のライブ行く人なら結構驚異的な数値だとわかると思う。大きな会社でなくDIYでやっているところでなんせ連絡先が個人的っぽいGmailなんだよね、本当すごいです。
1日目は恵比寿Liquidroomだ。収容人数は900人と大きめだが、ほぼ前売りは売り切れ寸前だったようだ。私は初めて行くライブハウスだがきれいで、それなりに大きさのあるトイレが有るのは良いな〜と思った。
前の方で見るから物販は終演後にしようと思ったのだが、これが間違いで終演後には私の着れるサイズはほとんど売り切れておった。前売りもあったのでこれを使っとくべきだったと後悔。

Cyclamen
この日は対バンがあってそれが日本(結成はイギリスでメンバーのうち一人は半分タイに住んでいるんだけど)のCyclamen。主催者の今西さんのバンドである。
2日間のライブの段取りも完璧だったと思うし、そんな情熱が柔らかい言葉にでるMCを披露し、ライブがスタート。ドラムにギターが二人、そしてボーカルの4人組。(少なくとも曲によっては)ベースの音を同期させていたと思う。
いわゆるDjentと呼ばれるカテゴリーの属するバンドだと思うが、非常にプログレッシブでテクニカルなメタルを演奏する。まずは変拍子を含めた曲展開の複雑さ、それを支えるタッピングを始めとする(もっと他にもすごいテクがあると思うんだけど)テクニック。ボーカルもウィスパー、裏声からスクリーム、シャウトなどを多彩にこなしていく。歌詞はおそらく日本語でハード一辺倒ではなく、(最近発表された女性ボーカルを大胆にフィーチャーした曲はとても格好良い)アンビエントなパートの導入や、キャッチーなメロディーを取り入れたりしている。ハードコア感は希薄だが、こういった要素は紛れもなくTDEPからの影響も大きいはず。結構な曲数をポンポンこなしていくが終わってみると30分しか立ってない。プログレッシブになると曲が長くなりがちだが、Cyclamenは多分非常にコンパクトに纏めることにこだわりがあるみたいで、結果私にような門外漢でも楽しめた。終盤の方でやった曲間でゆったりとしたテンポ、音になる曲が個人的には良かった。タッピングってうるさいフォーマットでしか聴いたことがないので、ああいうゆったりとしたクリーンでもかっこいいというのは驚きだった。

The Dillinger Escape Plan
いよいよ本命の登場となる。私は特に意識せずに空いているところを探してステージの下手、ギタリストのBen側に。とにかく事前に主催者から相当激しいことになるから気をつけてくれとアナウンスされ、twitterでは運動会などと揶揄されている。ちなみにこの日はいかつい黒人のセキュリティがステージ全面に控えていた。前は相当きついことになるだろうが、やはりこれは前に行かねば。サウンドチェックの人が出てきたりしてなかなか始まらない。ライブが始まる前はいつも軽い緊張感があるのだが、この日は速く始めるか、もしくはいっそ中止になったからとアナウンスしてほしいくらい、期待感で心臓に負担がかかる始末。ロン毛の細身のスタッフ(ライブ中は写真を取っていた)がバンド準備OKという意味のライトをチカチカやった瞬間は一生忘れられないだろう。脳から出たアドレナリンが一瞬で体に充填されていくあの感じ。ステージが暗くなり、メンバーが登場。すかさず最新作にして最終作の「Dissociation」から冒頭の「Limerent Death」。開放された真空に空気が殺到するようにステージに客が詰めかけ圧縮される。私はここから終演後までほぼ頭が真っ白になった。ぎゅうぎゅうどころの騒ぎでない乗車率300%オーバーの中飛んだり跳ねたりの運動会である。
TDEPはとにかくハードコアにしては楽曲が複雑すぎるが、それでもどこまで言ってもハードコアでしかないというバンドで、明らかに演奏がタイトである。ライブハウスの非常に優良な音環境もあって音質はほぼ完璧だ。複雑な曲がいっぺんの狂いもない(ように思える)状態で再現される。一見盛り上がりとは無縁の様相が想像されがちだが、全く逆なのがとにかく面白い。バンドのメンバーは客に劣らず動き回る。アンプの上に登る、その上で歌うもしくは演奏する、飛び降りると。こんなに動きつつも演奏は劇的にタイト。
クラウドサーファーが大挙として発生し、ステージ全面に落ちては捌かれていく。何人かはステージの到達してからのダイブを披露していた(ように思う)。Gregもアンプの上から何メートルしたかにめがけてダイブをかまし、サーフしながらも途切れることなく歌い続けステージに復帰する荒業をやってのけていた。
私本当メロディアスなパートがある曲ほとんど歌える事に気がついた。(なんちゃって英語だけど。)ということですげー歌ってしまった。本当すごい音痴なので周りにいた人には申し訳ない気持ちがあるんだけど、多分みんな歌ってたから大丈夫。Milk Lizardとか大合唱でした。
新旧アルバムからかなりまんべんなくプレイしていたように思う。みんなもそうだと思うけど「Setting Fire to the Sleeping Giant」は最近のセットリストにはあまりないようだったのでまったくもって心躍るサプライズだった。
最終的にはドラムのBilly Rymerがシンバルを持ったまま客席にダイブし、サーフしながらシンバルを叩いていた。お祭りか。

TDEPはマスコアと称されることもあって、複雑な曲展開を持っており、激しいパートは激しく、ジャズの要素を取り入れたアンビエントパートに、一転メロディアスなパートも持っている。それをめまぐるしい速度で1曲の中で演奏していく。だからカオティックと呼ばれるわけなんだけど、じつは非常に整合性の取れたかっちりとした世界で異常な技術に支えられた演奏力でカオスを再現している(時点で正確には混沌とは言えないわけなんだけど)バンド。この日思ったのはとにかくリアルであること。弦楽器の音は非常にバリエーションが有るのだけど、どれもわかりやすい重低音などに偏向していない。どれも楽器のもとの音が生き残っている感じ。ジャギジャギしているところは非常に生々しい。メチャクチャな速さでうるさいパートを演奏していても、ギターの音は程よく中音がきいた生々しい音だったりする。これはすごい。ハードコア(のある分野の特性)はどんどんタフになっていくけど、TDEPはそうでない。本当にタフならある意味それを証明する必要はないから、いわばタフであるという物語になってくるのがハードコアの一側面である(実際にはタフでないと言っているわけではないです。)としたら、TDEPはその運動には寄与していない。じゃあハードコアじゃないじゃんって人がいたらこのステージを見てくれよ!と思う。(無理を承知で。)別に派手に人が暴れるからハードコアで、だから(ボーカルが人の頭の上を歩いて行く動画などで注目されがちだけど)TDEPはハードコアバンドだというのではない。それ(ライブ)は結果です。そもそも今MInor Threat聴いて音がしょぼいのでハードコアじゃないという人はいないのではないでしょうか。つまり音や曲(だけ)でハードコアはできてないってことが言いたい。向上心があるのが(現状を変えたいと思うのが)ハードコアだと私は思うんですけど、TDEPは複雑な曲を演奏するけど、音自体は非常に飾りっ気のないもので声もメロディも別に特別な飛び道具を使っているわけではない。手元にあるものを研ぎすませて限界に挑戦していくのがこのバンドで、だからどこまで言っても”リアル”なハードコアなのだ。一体無限を計算しきれるわけはないだろう?1stからこのバンドの精神性は一貫していますね。メンバーはタイトさが高尚さを持たないように腐心して(天然かもしれない)、ステージ上でもそのように振る舞う、そして結果一体感のあるライブになるのでは。

ぼろぼろになって物販に行くとほとんどSかMが売り切れで仕方なくパーカーのMだけ購入。頭の中がお花畑状態で帰宅。
恵比寿の駅に私より年下のおしゃれなスーツきた男性がモデルみたいな女性と歩いていてこんな世界あるのか!と思いながら帰宅。

2017年10月22日日曜日

Jlin/Black Origami

アメリカ合衆国はインディアナ州ゲイリーの女性プロデューサーの2ndアルバム。
2017年にMike ParadinasのPlanet Muからリリースされた。
ジューク/フットワークというテクノのジャンルがあり、私は日本のCRZKNYというアーティストからたまたま知ったのだが、それに属するのが彼女。2015年リリースの1stアルバムがWIREというイギリスの雑誌で年間ベストに選出されたり、日本盤が出たりとかなり注目されている人のようだ。たまたま目にしたアルバムのジャケットが良かったので購入した次第。ジューク/フットワークはシカゴで生まれたジャンルらしく、その中でもRP Booという人がとても有名、このJlinという人はそのBooが取りまとめるD'Dynamicsという集団に属しているらしい。(クルーってやつらしい。)
ジューク/フットワークは足技を中心とするダンスとの切り離すことのできない関連性(ダンスバトルの伴奏としての役割があるそうな)がある複雑で速い(一拍三連のリズムが特徴らしい)テクノ音楽。よく「ゲットー」という言葉がでてくる。

なんせCRZKNYしか聞いたことが無いから、彼の作り出す音楽と比較するしかないんだけどCRZKNYの目下の最新作「Meridian」とは結構音楽性は異なるな〜という印象。
結構色々要素はあるのだが、まずJlinは結構音の数が多い。ほぼほぼビートしかないような音楽で、つまりわかりやすいメロディラインがほぼ皆無なので、そういった意味では低音が高調された無骨な音楽のだが、Jlinの場合はそんな中でも結構音の数が多い。細かく多い感じ。金属質の小さい物体転がっていくような、速くて軽いビートはなんとも心地よい。(バスドラムの)キックがあまり多用されていない、というか主眼に置かれていないのもこの手のジャンルでは珍しい(のかな?)。これはようするにフットワークというジャンルゆえだろうと思う。面白いのはミニマルでありながらも結構展開があって曲が動いていく。これもやはりダンスミュージックゆえなのではと思う。展開があるのでダンサーにとっては縛りでもあり、新しい動きのきっかけにもなるだろうからこういった曲を使えば、きっと面白いダンスバトルになるだろうと思う。
もう一つの特徴は声のサンプリング。とにかく不気味なくらいサンプリングを重ねてくる。子供がふざけてサンプラーを叩いているみたいな無邪気さなのだが、結果的に声から感情が失われていき、無機質かつ不気味になってくるのが面白い。
全体的にはなんとも言えない異国的な情緒にあふれている。表題曲なんてちょっと和風なテイストがあるかな?と思ったけど全体的には、金属質なビートが特にもっとアフリカンだ。孫引きになってしまうのだがこの記事によると「フットワークのルーツはアフリカにある」とおっしゃっているようでなるほどな〜という感じ。アフリカという広大な大地を暗く、冷たくパッケージした感じ。こういう書き方だと悪いイメージだけど、きっとそうじゃない。ただ情熱を前出しすれば愛情が大きいわけではないと思う。

暗くて冷徹なのだが、忙しないビートが癖になる感じ。例えばハードかつミニマルなテクノとは部分部分共通項があっても、仕上がりは結構別物。ちょっとダルい感じを演出するのは最近の音楽という感じ。

2017年10月21日土曜日

デニス・リーマン/囚人同盟

アメリカの作家による長編小説。
1998年に出版された小説で、原題は「The Getback of Mother Superior」。
Mother Superiorとは聞き慣れない言葉だが、これは邦訳すると「女子修道院長」となるそうだ。
これはいわゆる塀の中、つまり監獄の中を舞台にした小説でそういった意味では、ピカレスク小説ということができる。
この手のジャンルでは”リアル”であること(というよりは”リアルらしく見えること”)が、その小説の中身を保証する指針というか、もっというとハクになるわけだけど、この小説に関しては著者のデニス・リーマンはの輝かしい経歴でとんでもないハクがついている。
というのもリーマンその人は武装強盗などで都合53年の実刑判決がでているからだ。執筆当時は保釈の予定もなかったので当然この本は塀の中で書かれたものになるわけだ。
犯罪者が書いた小説というと、私が好きなジェイムズ・エルロイだか彼は投獄歴があるがプロの犯罪者ではなかったはずだ。この間呼んだエドワード・バンカーはれっきとしたプロの犯罪者だった。
デニス・リーマンはあとがきを読むにプロの犯罪者かは議論の余地があるが、少なくとも重大な犯罪歴があるというのは間違いない。つまりこの本は重犯歴のある犯罪者が書いたリアルな犯罪小説だったことだ。

俺ことフラット・ストアはワシントン州タコマ市にあるマクニール島刑務所で刑期を務める元犯罪者だ。罪状は詐欺など。同じ牢屋には他にも個性的な面々が揃っている。
刑務官を除けば犯罪者しかいない刑務所で五体満足で生き残るのは難しい。なんてったって殺しも日常茶飯事だ。
そして刑務所長一派は立場を利用して私腹を肥やすことしか考えていない。
俺ことフラット・ストアも仲間たちもそんな世界で更生とは無縁な生き方をして、出所の日を待ちわびている。そんな房に変わった新入りが入ることになった。ガッシリとした体躯、ハンサムな顔立ち、知性を伺わせる立ち居振る舞い、軽やかな弁舌、全てが刑務所に似つかわしくないこの男は当初刑務所が派遣したスパイかと疑われたが、どうも違うらしい。マザーとあだ名されたこの男には何かしらの計画があるらしい。フラット・ストアたち同房の仲間はマザーの計画に巻き込まれていくことになる。

およそ刑務所で計画といったら脱獄計画に間違いない。
名作と名高い「ショーシャンクの空に」(原題は「塀の中のリタ・ヘイワース」というスティーブン・キングの小説だ)もそうだったし、「プリズン・ブレイク」もそうだった。
ところがこの話はそうではない。もう一度原題に戻るけど、Getbackとは復讐という意味もある。だから邦題は「女子修道院長の復讐」ってことになる。
この女子修道院長というのは謎の登場人物、通称マザーのことだ。このマザーという男が俺含め犯罪者の面々を彼の復讐に巻き込んでいくのだ。これがすごく面白い。
始めに言ってしまうとこの本には一つ短所があってそれは長いってことなんだな。なんせ著者は刑務所に入っているから時間はすごくあるのでそれもあってか結構長い小説になっている。600ページあって、無駄なシーンが多いわけではないけど、結果的に前半のテンポがやや悪くなっている感は否めないと思う。
ただしそれ以外は本当に面白い。
幾つか理由がある。(というか私にもある程度説明できると思う。)

まず一つ、登場人物が面白い。
全員犯罪者でそれもあまり学がない(マザーを除くと一人だけ例外がいる)低所得者、低学歴という犯罪者の累計のような人が登場人物の大半である。
シンナーだったりギャンブルだったりに中毒になっている奴らもいる。
ルールがないのが怖いのではなくて、常人には理解できないルールが怖いのだ。
そういった意味では一件理屈の合わないルールで動く囚人たちは魅力的で、恐ろしい(恐ろしいゆえに魅力的だ。)
主人公サイドの犯罪者に関してははっきり明言されていないが、おそらく殺人者はいないはずだから読者が嫌悪感をいだきにくいというのもある。(これは人によるだろうが。)

そしてもう一つは世界が面白い。
この話は殆どが塀の中で進行する。
刑務所というのは(それもアメリカの)常人には理解できない場所だ。
登場人物同様ここも特別ルールで動いている。
ジョジョの奇妙な冒険ストーン・オーシャンを読んだことのある人なら刑務所内の貸し借りの厳格さを知っているだろうが、あんなルールが厳格にある。
タバコが通貨のように扱われ、男色行為が存在し、ルールを破ったやつは死ぬことになる。
刑務所内で殺人なんて馬鹿な、と思う人もいるかもしれなし、今はどうだかわからないが、きっと昔は当たり前のようにあったのだろう。
犯罪者が死んで誰が気にするのだ?
刑務所の中ではもっと暴力がわかりやすく支配している。外から見たら馬鹿らしいが、命がけで虚勢を張らないと行きていけない世界なのだ。
ここは更生する場所ではなくゴミ溜めであって、刑務官はゴミが溢れないように檻の外をうろついては警棒の一撃をくれるくらいなのだ。
ただしなかには魅力的な刑務官もいるのが魅力的で、ステレオタイプでなくこの小説が面白いところなのだ。
デニス・リーマンにとってはこの異様な世界が彼の家であって、世界なのだ。
考えてみてほしい、大の男が6人で一つの監房に入れられ、用を足すにも全員の目の前でだ。最初っからまともな世界とは全く異なる。

それから話の筋が面白い。
異様な世界で異様な男たちが奮闘する話なのだが、構図的にはこうだ。
マザー率いる社会の底辺が、そんな彼らをカモにする上層構造と対決する。
びっくりすることに勧善懲悪の筋になっていて、核になっているのが「復讐」である。
忠臣蔵を始め一体日本人というやつは復讐譚が好きだが、巌窟王を引き合いに出すまでもなく外国に住む人々もそうらしい。
エドワード・バンカーは悪辣な人間が悪辣なことをするというアタリマエのことを書いたが、
リーマンは違う。塀の中で無限と思われる時間(繰り返すが懲役53年)の中で育まれた一種の夢みたいなものを真っ白いページに書きつけたのだ。
いわばファンタジーなわけだが、ゴミみたいな奴らが集まり、ちょっとずつ変わりながら、悪を打ち倒すとなればこれはもう人々が大好きな物語である。
物語の類型というか、基本的にバリエーションなんてこれしかないというくらいの、いわば物語そのものの核である。
落ちこぼれがラグビーとか野球やる話、すきでしょ?
私はそういうの全然好きじゃなかったけどこの「囚人同盟」は面白い。
特に後半の所長とのやり取りはまさに手に汗握る。
またもやジョジョに例えるなら、ジョジョリオン冒頭から引用して「呪いを解」く物語でもある。
犯罪者に生まれ、犯罪者にしかなれなかった者たちが、身に染み付いた悪という呪いを自力で解くのがこの物語なのだ。熱くないわけがない。そして同時に優しい物語でもある。

なるほど有名になるにはあまりに粗野で、あまりに汚すぎる。
リーマンはきっと素直な人で、もしくは非常に皮肉な諧謔のある人で囚人という立場を存分に利用して物語を綴った。
物語自体は典型的だが、結果非常にアクのある個性の強い物語になっていることは確かだ。
ただし、おためごかしが鼻につく人だっているはずだ。
あるいは悪という概念(仮想の、本質ではない)に惹かれる人もいるかも知れない。
ひねくれた自己評価の低い人間なら、ありがちな成功譚にはたとえフィクションでもつばを吐きかけるだろう。
しかしこの本は違うかもしれない。
「囚人同盟」という本はそんな一部の人に深く刺さるかもしれない。
心当たりがある人は是非読んでみていただきたい。非常におすすめ!

skillkills presents 「The Shape of Dope to Come Release Tour Final」@Club Asia

この日ありがちなことにライブがかぶっていたが、私が行ったのはこのライブ。
Zazen Boysのライブが見たいというのが第一で、Skillkillsはよく目にするものの訊いたことも見たこともないバンドなのでこれは良い機会と思ったわけ。この日はSkillkillsの新作のリリースツアーのファイナル日。
なんとか仕事を放り出して会場に当日券で文字通り潜り込むと、Zazen Boysのライブがまさに始まったところだった。

Zazen Boys
ベーシストの吉田が今年限りで脱退することがアナウンスされたが、ステージングは落ち着いたものだった。照明をほぼ全開にしたステージは明るくそしてあけっぴろげであった。
私は30を半ばなのだから、思春期に洋楽の洗礼を受けてもNumber GirlとスーパーカーはOKという謎の方程式により、よくよくNumber Girlの音楽を聞いていた。(こういう輩は多いのでは。)初めて接したときの印象が強いのは音というよりMutomaJapanでみたフロントマン向井による手書きのMVの漫画テイストだったんだが。
このZazen Boysというのは完全に周囲とは隔たった音楽を追求するバンドで、私はこの手のジャンルに詳しくないのでよくわからないが、ロックをベースにプログレやファンクやジャズなどが引き合いに出されるようだ。(要するにNumber Girlとは異なる音楽性でそれ故私は少し敬遠していた。)
複雑ってことなのだが、音源聞いても分かる通り非常に肉体的な音楽だ。楽曲全体がリズムでできているようになっていて、相当ややこしいのだが私のような音楽的な知識がない輩でも踊りたくなっちゃうような音楽だ。生で見て思うのはとにかくZazen Boysの音楽は身軽である。難解になると技術の鎧がどんどん分厚くなるが、このバンドは音をどんどん抜いていっている。結果的に難解なリズムの骨組みのみが残っている。音の数は決して多くないが、余計に間が重要になってきてそしてそれらがとにかくきっちりあってくる。ドラム一つとっても今拍子はなんだろう?ってくらいで、楽器隊がそれぞれ別に何かやっているのが、何かわからんが偶然合っちゃって曲ができているような感じすらする。めちゃくちゃ緊張感があるのだが、ユーモアを交えたゆるさ(演奏以外の)があって、高尚な音楽にならずにあくまでも楽しい音楽にとどまり続ける。私が音源で聞いている曲も一回ばらばらにして再構築しているように、もはや別の曲では?というくらいの再現度。即興性も取り入れつつ、コールアンドレスポンスを取り込んだり(「Whisky&Unbubore」という曲、途中なんとなくNumber Girlの「Eight Beater」を彷彿とさせる)、酩酊の楽しさがにじみ出るようなステージングを進めていく。ステージの後ろの方でゆらゆら体をしているのが楽しかった。次はもっと前でみたいな。

Killer-Bong
続いてはBlack Smokerの首魁Killer-Bong。見るのは2回めで前回はコントラバス奏者とのコラボレーションだったので、単独を見るのは今回が初めて。
卓の上に据えられたサンプラー(?)2台位とマイクのみ。照明は落とされているが、プロジェクターを使った強烈な光線が暗闇を線上に切り裂いていく。この日のVJはENDONのライブでもおなじみのロカペニス。
このKiller-Bongという人はおそらく即興をやる方で、予めサンプラーに閉じ込めた膨大な料の元ネタをその場で曲に組み立てて、それにラップを載せていく。いわばその場でつくるヒップホップだ。(ただし既存の曲も演奏する。)ヒップホップというカルチャーで言うまでもなくサンプリングは重要な要素だから、実は基本に忠実なラップミュージックをプレイしているのだが、あまりこういうやり方を演る人というのは聞いたことが無い。元ネタはキックやハイハットなど単発のビートの部品、ジャズなどから引っ張ったピアノやホーンなどのリフなん小節か。これを組み合わせてあっという間にトラックを作っていく。Killer-Bongは低音の聞いた独特の声質をしていて、それが言葉の継ぎ目をあえて明確にしない、唸るようなラップをやっているものだから、おそらくリリックは日本語なのだろうが、よく聞こえない。ただ一本調子に呻吟するのではなく、節回しのようなラップも披露して、めっぽう格好良い。どうも酩酊しているようなトリップ感がある。そして自分の声すらその場でサンプリングしてオーバーダブを繰り返していく。ヒューマンビートボックスほど明快に音楽化されていないので、相当前衛的な仕上がりのトラックになる。この日は「うわあ〜、よんよんよん」みたいな叫び声をサンプリングして繰り返し流していた。
始まっていきなり卓をひっくり返すKiller-Bong。卓の上にはなみなみと注がれた飲み物があったのだが、機材と一緒にグチャー。スタッフが袖から何人も集まってきて必死に直しているのだが、本人は気にした様子もなくいま出る音で演奏し続ける。機材が壊れるのでは…とハラハラするが、本人はあまりそこら辺に頓着がないようだ。(なんかのインタビューで自分の部屋にものがほとんど何もない、と言っていたと思う。)マイクから音が出なければ叫び出す、というはっちゃけぶり。とにかく余裕のある人でトラブル感まったくなく、機材が元通りになってからも言葉を拾いながら演奏を続けていく。最後の方ではSimi LabのトラックメイカーHi'Specとの共作「やくそくのうた」を披露。リリックは変えてくるが、繰り返される「歌うんじゃねえ、ただ歌うんだ〜」というフレーズが即興的な自分のスタイルを象徴しているように思う。かっこよかった。

Skillkills
最後はこの日主役のSkillkills。名前はよく耳にするけど聴いたことないバンド。ドラム、ベース、ラップからなる三人組で、生音のヒップホップを演奏する。とにかくベーシストががっしりとした体躯に、横を刈り込んだ爆発頭にサングラスという出で立ちでよく目立つな〜と思った。見た目にパワーが有る。
三人のバンドだが、ビートの上に上モノを同期させる。”ラップ”ミュージックというくらいだから、トラックがすごくかっこよくてもやはりいちばん目立つのはラップなのだが、Skillkillsはバックトラックが(サンプリングに対して)ライブなのでその強みを活かしてよく動く、音も大きい。ただし「やかましいヒップホップ」という表現は半分しか当たってない。生で聴いてみるとその音のデカさにびっくりするものの、よくよく聴いてみるとやはりヒップホップに忠実であることもわかる。まずヒップホップなので音の数は決して多くない。例えばラップ・メタルなんかとは明確に異なる。Skillkillsの演奏はどこまでいってもヒップホップのトラックであり続ける。鳴らし方が違うだけだ。なのでビートは非常にタイトだ。この2つは人が演奏しているが、まさにマシンのようなタイトさ。この日Zazen Boysも激タイトだったが、あちらはバカテクが楽器それぞれ独立しているのになぜか一つの曲ができました、という感じだが、Skillkillsはドラムとベースの一体感が半端でない。日本の伝統建築のようにオーガニックな要素がガッチリはまって、粘りの強い強烈なビートを作り出している。Skillkillsも”間を抜”くことによってグルーヴのあるビートを生み出していて、特にドラムの人の「ここぞ」ってときの遅らせ方が絶妙。そこ絶対叩くよね?ってところを一つか2つ送らせてくるような感じ。とにかく気持ちよくて、前半の曲ははくの終わりを告げるシンバルのクラッシュが本当必殺!という感じだったし、後半シンバルメインの決めにスネアを叩く、というリフも非常にかっこよかった。
そしてここに乗るラップの正確さ!びっくりするくらいここもタイトに決めてくる。もっとルーズなのかと思ったが、たゆまぬ努力を感じさせる言葉のビートへの落とし方よ。ガチガチ合致する。それでいて即興要素をいれてリリックをいじってくる。これは気持ち良い。リリックも独自の世界観を構築するものでユーモアを交えつつ、一体感を煽ってくるポジティブさ。ロックフォーマットは良くも悪くもわかりやすく、感情の高まりをシャウトによって吐き出せるが、Skillkillsはずっとラップで感情をじわじわ上げてくる。フックもすごく格好良いが、フックのためのバースにならずにバースで上げてフックに持ち込むというヒップホップの格好良さがギュッと詰まった演奏だった。
途中のMCもシンプルかつ素直で本人たちがとても楽しい、という気持ちが伝わってくる良いものだった。今までのツアーでは(本人たちがいないので)できなかったという、Killer-Bong、それからZazenの向井さんを迎えた曲は一つのクライマックスでフロアが前にギュッと圧縮されていた。

結構思いつきでふらっと行ってしまったんだが非常に楽しかった。普段見ているジャンルとちょっと異なるのでそういった意味でも新鮮だった。Skillkillsの新作「The Shape of Dope to Come」を購入して帰宅。

2017年10月15日日曜日

UNSANE/Sterilize

アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークのノイズロックバンドの8thアルバム。
2017年にSouthern Lord Recordsからリリースされた。
メンバーチェンジや活動休止などもありつつ1988年から一貫してノイズロックを鳴らし続けるバンドUNSANE。中心となるのは唯一のオリジナルメンバーでボーカルとギターを務めるChris Spencer。前作「Wreck」から5年ぶりの新作。オリジナルアルバムのカバーアートは常に血まみれで、今作でもそれは健在。

UNSANEを聴いてて思うのは彼らが演奏するノイズ・ロックというのは文字通り「うるさいロック」であって、ここでいうノイズと言うのはハーシュノイズに代表されるノイズミュージックとは一線を画す。ジャンルとしてのノイズと言うのは常にメイン、オーバーグラウンドに対するアンダーグラウンド、カウンターであって、それをロックやハードコアや、メタルなどに要素の一つとして取り込むやり方も今では珍しくない。今年リリースされた作品だけ見てもFull of Hell、本邦のENDONなどはノイズの影響を受けたうるさい(ロック)バンドだが、本質的なノイズ・ロックとは異なる。UNSANEの場合はそういった意味でのノイズは一切用いない。核となるのは骨太なロックで、芯が太く、ぶれない。ガッツリ硬質な音はオルタナティブ・ロック、メタルにとても良く似ている。例えばHelmetなんかには結構共通したものがあると思がもっとプリミティブだ。ノイズというのはブレみたいなものだから、かっちりしたそういったロックにノイズと言う形容詞をつけるのは面白いが、つまりは極端にうるさいのがUNSANE。
ガシャガシャした質感が残りつつも重量感のあるギター。それと対をなすカッチカチにハードに固めたベース。突っ走り勝ちになる危うさを溜めのある連撃で引き締めるドラム。そして飾りっ気がないが、真に迫ったシャウト主体のボーカル。曲速はミドルでだいたい3分程度。余計なものは一切なく、淡々とロックを演奏していく。ロックから派生したハードコア、メタルは先代の衣鉢を注ぎながら、着々と武器も増やして武装してきているが、UNSANEに関しては流石に音に関しては重たくそしてクリアだが、その他は基本的に装飾が殆ど無い。最小限のメンバーでいわば徒手空拳で勝負を挑んでくる。特にこの音源を聞いて思うのは、ある種のルーズさ。UNSANEより力強く、凶暴そうな音楽はほかにもあるが、UNSANEを聴いているとなんとも言えない居心地の悪さを感じるものだ。まずは不穏さが一つ。油をよくさした工業機械に囲まれているような、居心地の悪さ。そしてもう一つはシニカルなユーモアである。張り詰めているところは異常に張り詰めているのだが、どうも薄ら笑いのような酷薄さ、皮肉さ、空虚さがその背後にあってそれが熱量のある曲を同時に薄ら寒いものにしている。ここらへんはもうすぐ30年を戦い続けるベテランゆえの力配分の妙なのだろうか。
個人的には5曲目「Lung」から7曲目「Distance」までの中盤がたまらない。特に「Distance」はコーラスのところも良いが曲の最後になかなかつかみにくい感情がむき出しになっているようで震える。

ある意味ではノイズ+ロックの本命というか。オルタナティブ世代がかつての栄光の本質が死ぬどころか強靭に生き残り続けることに感涙の涙を流してもよし。最新鋭のサブカルとしてのノイズ世代が、ぶっというるささにぶん殴られて恍惚とした血の味を口の中に感じるのもよし。無慈悲な音に目がない人はぜひどうぞ。

Ben Frost/The Centre Cannot Hold

オーストラリアのメルボルン出身で今はアイスランドのレイキャビークを活動の拠点としているアーティストの5thアルバム。
2017年にMuteからリリースされた。
前作「A U R O R A」から3年ぶりのリリース。間には英国の作家イアン・バンクスによる小説「蜂工場」に影響を受けたコンセプトアルバム「The Wasp Factory」をリリースしているが、これは戯曲というか大胆にボーカルをフィーチャーした異色作になっている。今回はSteve Albiniがレーコでィングを担当している。アルバムに先立ち「Threshold of Faith」というEPもリリースしている。

私は前作「A U R O R A」から入った口で容赦のないノイズに同居する美しさ、いわば荘厳なノイズに痛く感動したものだった。今作もそんな彼の特色が遺憾なく発揮されているが、個人的には前作ほどわかり易い内容にはなっていないと思う。前作の路線を踏襲しつつ、より曖昧に抽象的になったのが今作という感じだろうか。ビリビリ震えながら流動的にその姿を変えていく、いわば生きている轟音、ハーシュノイズを中心に据えながら、黒い絵の具のように排他的ですべてをただ”ノイズ”一色に染め上げてしまう強烈なパワーを制御しつつ、別の要素を主役たるノイズの魅力を減じさせることなく同居させるのが彼の強みで、前作収録の「Nolan」などはノイズとほぼ融合したような凍てつくような美麗なメロディがガリガリとその実体感を増していく素晴らしい楽曲で、まさに魔術師たるBen Frostの魅力がつまりまくった曲だった。今作でもノイズ以外の要素に力を割いており、わかりやすいのはビートの導入、それからノイズにかぶさるメロディ、リフ、ぶれない輪郭を持った明確でソリッドの音使いなど。ノイズアーティストながらどこかしら透明感のあるような美しい風景を作り出してくる。それがあざといくらいの美しさ、メロディとは距離をおいたやはりどこか北の方の極寒の厳しさを同時にはらむコールドなもの、というところがまた良い。コールドかつ背後の美メロという意味ではやはりブラックメタルに通じるところがあるかもしれない。
今作は中盤を過ぎたあたりからノイズの登場頻度と言うか、使い方がちょっと変わってきて、ボリュームレベルを下げて底流に這わせるような使い方をしている。いわばノイズの氷塊がとけだしてそれ以外の要素が顕になっているわけで、そこにあるのは非常に繊細かつアンビエントな曖昧な世界であった。てっきりノイズがなければ美しさが残るかと思えば、果たしてそこにあったのはもっと曖昧ななにかであった。ドローンめいた、僅かな光のような。相反するものをぶつけることがBen Frostの醍醐味かと勝手に解釈していたが、どうやらそれは違うらしく、この人は足し算というよりは掛け算で曲を作っているのだろう。

今作では緩急をつけることでまた新しいことをやっている。とにかくうるさいのがノイズでしょ〜というとちょっと驚くかもしれないが、一旦自分の曲をバラバラにして要素を一つ一つ吟味した上で再構築しているような、チャレンジ精神を感じる。そういった意味ではやや実験的な内容になっているかもしれない。曲単位で見れば彼の醍醐味が遺憾なく発揮されている曲もあるので、前作が気に入った人なら大丈夫だと思う。

2017年10月11日水曜日

Various Artists/ろくろ

日本のレーベルLongLegsLongArms Recordsのコンピレーションアルバム。2017年に同レーベルからリリースされた。
参加しているアーティストと収録曲は以下の通り。(レーベルHPからコピペ。)
1. ILIAS - 存在と理由
2. The Donor - Kagerou
3. KUGURIDO - 桃源郷夜想曲
4. KLONNS - KNIVES
5. KLONNS - SODOM
6. SWARRRM - march
7. unfaded - 漆黒
8. PRIZE OF RUST - Decade
9. PRIZE OF RUST - Spectator
10. ENSLAVE - Killing Me Softly
11. Pterion - Schwein
12. ungodly - 蝕
13. Yvonxhe - Incessant Mournful Tale
14. Vertraft - MEMORIZE
すべて日本のバンドで、バンドの活動拠点は東京、関東にとどまらず関西・金沢・四国と様々。レーベルオーナーが実際にあったバンドからセレクトされている。

LongLegsLongArms Recordsは主にハードコアを取り扱うレーベルだが、主にネオクラストと呼ばれるジャンルをメインに紹介している。ハードコアのなかのサブジャンル、クラスト(コア)のさらにサブジャンルであるネオクラストだからまあ結構マニアックな音楽だと思う。このネオクラストというのが(個人的には)かなり難しいジャンルで説明するのが難しい。説明する時に「ブラッケンド」「激情」「クラスト」「エモ」「エモバイオレンス」なんかの単語を使うとうまくいくような気がする。そんなに歴史のあるジャンルではないと思うので、おそらく私だけでなく演奏する方も難しいな〜とは思っているのではなかろうか。というのも真性のネオクラストバンドというのはまだ日本にはそうそういないのではなかろうか。この音源だとネオクラストを自称している(=明確に指向している)バンドは多分姫路のKUGURIDOだけではなかろうか。その他のバンドはネオクラストという言葉が浸透する前にそういった音楽をやっていたバンド、要素としてネオクラストを取り込んでいるバンド、一聴したところ(ネオ)クラスト感のあまりなさそうなバンドなど。おそらくより浸透性のあるジャンルで言うと、ハードコア、ニュースクール、カオティック、グラインド、ブラックメタル、エモバイオレンス、激情などにカテゴライズされるのではなかろうか。要するにその中にネオクラストの影響(意図的なものと無意識的なもの、両方)を感じ取ったレーベルが、少なくとも日本では未だ黎明期にあるネオクラストシーンにこれだ!と押すのがこのコンピレーションなのではと個人的には思う。まだ良くも悪くも混沌としているネオクラストという概念をそれを取り巻く周辺含めてすくい取ったのがこの「ろくろ」という一つの音源なのではなかろうかと。
レーベルはサンプラーと称してそれに所属するバンドを紹介する音源を作ることがあるが、まさにこの「ろくろ」は紹介する意味合いが強い。(ただ既存の曲を集めたわけではないからサンプラーとは呼べないだろうが。)全部で4万字を超える各バンドへのインタビューもその紹介、もっというと収録するバンドを理解し、咀嚼してそれを第三者(リスナー)に伝えようというレーベル姿勢の表れと見て取ることができる。(私の感想は作品を理解しようという試みなので(つまり読書感想文と同じ一つの解釈にしかならないのです。)、こういった姿勢は非常に共感できるのです。)

収録されている音を聴いてみると前述のような状況なので統一感がありつつもバリエーションの有る個性的な音楽が矢継ぎ早に展開される。(おおむね1曲あたりの収録時間は短め。)ニュースクール・ハードコアに日本なりのハードコアの伝統を融合させた音、ブラックメタルの影響色濃いいわゆるブラッケンドと称されるハードコア、もはやブラックメタルにしか聞こえないブラックメタルなど。このオムニバスの面白いところのもう一つは全国から収録バンドを集めたこと。音楽を語る上で切っても切れないのが”シーン”という言葉だけど、これが横というか平面上で語られるのが地域で、もはや結線されてもいないネットで結ばれた社会では情報が均質化されるが、それでも地方ごとのシーンというものは健在であるようである。その地方ごとの特色がきっとバンドの出す音に表れているのであろう。一言に激情と言ってもテンプレート的な激情の影響を収録曲に見出すことは困難である。(バンドの個性なのかシーンの特色なのかはちょっと判断できないのだけど。)

レーベル名は足長手長(手長足長とも)という妖怪なので「ろくろ」ときくと「これはろくろっ首のことに違いない!」と早合点したのだが、どうも陶芸を作るときのろくろという意味もあるらしい。面白いと思ったのは新しいものを作る際にはたいてい土を捏ねる、という言い方をするが、ろくろはある程度形になっているものを整形するのに使う。多分日本でのネオクラストの土台はである程度出来上がったので、3LAとしてはそれを集めて形を整え、全国にお届けするよ、ということなのだろう。「ネオクラストはわしが育てた」という居丈高の態度ではないのが非常に謙虚だと思う。

まだこれからのジャンルだと思うので、耳が早いひとはチェックしてみると面白いのではなかろうか。降って湧いた進行ジャンルではなく、静かに進行した音楽的傾向を「ネオクラスト」としてすくい取ったイメージだ。なので妙な作為性や違和感は皆無である。

3LA-LongLegsLongArms Records-Presents『ろくろ』@新宿Nine Spices

よくあることなんだけど10月8日は面白そうなライブがかぶって困る日だった。そんな中でも足を運んだのはこちら。このライブは日本のLongLegsLongArms Recordsが主催するもので、先日リリースされたレーベル初めてのコンピレーションアルバムの発売を記念してのもの。アルバムに曲を提供しているアーティストが出演する。さすがにアルバム収録全アーティストとは行かないが、出演陣は下記の通り。
PRIZE OF RUST (茨城)
ungodly (香川)
unfaded (奈良)
SWARRRM (神戸)
Pterion (京都)
KLONNS (東京)
ILIAS (神奈川)
ご覧の通り東京のバンドが一つしかない。奈良、神戸、京都、香川と普段はなかなか見れないような地域で活動しているバンドが名を連ねており、それならこの機会に見るべき!と思ったわけ。もちろんコンピレーションアルバム「ろくろ」の内容が素晴らしいことも理由の一つ。

この日会場のSEではHelmetが流れていた。アメリカのオルタナティブ・ロック(メタル)バンドである。この3LAというレーベルは一風変わったハードコアを世に紹介するレーベルで、もう一つの可能性という意味で「オルタナティブ」という言葉がよく似合う。その集大成の一つが日本全国からバンドを集めて作った「ろくろ」なわけで、それが眼前で見れるということで期待が高まる。
例によって道に迷ったので(馴染みのない駅を使うとかならずぜんぜん違う出口を選択するのが私)私がおっとり刀で会場にたどり着くとすでに一番手が始まっているところだった。

PRIZE OF RUST
茨城(いばらき)のハードコアバンド。この間見たときも同じ3LA企画でやはり同じ会場だった。4人組のバンドでコンピレーションアルバムでもお気に入りだったので二回目に見るのが楽しみだった。改めてライブで見るとニュースークール・ハードコア!という感じ。音が非常にゴツゴツしている。音が非常にメタリックで、ミュートを使った刻み込んでくるリフをあまり多様せず、滑らかにつややかなリフを弾きまくる。このリフが非常にメロディックで、ツインボーカルはシャウトしかしないのでその対比が本当に”叙情的”という感じ。低音低速で力任せにぶん回すモッシュパートみたいなのもあって非常に暴力的だが、歌詞は多分日本語で、モッシュ用ハードコア(それはそれで好きだけど)ではなくて訴えかける何かがある。マイクにかぶりつくように歌う様もそうだが、前のめりにメッセージ性がある感じは日本の激情系からの流れを感じさせる。個人的には日本ならではのニュースクール・ハードコアという感じで、どうしても悩みすぎている激情に比較すると、懊悩はあるけどアクセルを踏み切っているような潔さが魅力。重量感があるけど滑るようなメロディアスなリフを低音で急ブレーキ掛けるところが非常にかっこよかった。

ungodly (香川)
続いては香川のバンド3ピースでボーカルの方がボーカルを取る。「ろくろ」収録の曲しか知らないものでどんな音なのか?白塗りにしている動画があったようだしブラックメタルよりの(ブラッケンドな)ハードコアかな?と思っていたら、結構想像と違った。まずはリフの音の数が多い。刻みまくるような密度濃く詰め込んだリフは、相当テクニカルでかっちりしたスラッシュの影響色濃いデス/ブラックだった。トレモロにそこまで比重をおいているわけではないというか、印象ではもっと刻みまくっていたようなのでボーカルの喉に引っ掛けるようなイーヴィルなシャウト意外はわかりやすいブラックメタルの要素はないし、塊をぶん回すのがハードコアの真髄の一つだとするとそういった意味ではハードコア感はほぼない。ただ(間違っているかもだが)ドラムはツービート主体だったり、曲もアルペジオをなどを効果的に導入しつつ起伏に飛んでいるが、ダラダラ長くないし、あまり耽美/アーティステックな雰囲気もしないので終始殺伐としてて個人的にはそこが良かった。

unfaded (奈良)
つづいては奈良のバンドで、MCでいっていたのだが10年位は活動しているが県外でライブをするのは2回めで東京はこの日が初めてだったらしい。「ろくろ」ではとにかく攻撃的でメロディアスな楽曲がかっこよかったのでこの日楽しみだった。
スリーピースで基本的にギタリストの方がボーカルを取る。この日一番”激情”という感じだったのでなかろうか。内省的な歌詞をうずまきのような轟音にのせて送り出すあのスタイルである。ただいわゆる激情というよりはむしろエモバイオレンスという感じで、具体的には激情でありがちな静かなパートは必要最小限にとどめて勢いとスピードを殺さないように、そして飾らないシンプルさでほとばしる激情を披露していた。歌詞に関しては演奏の合間に吐き出す、というようなスタイルで演奏のよく練られた細やかさが感じられた。うるさいバンドだが、なんとなく寡黙でいぶし銀なスタイル。ギタリストの方はDeath SideのT-シャツを着ていたが、envyからの激情というよりはむしろジャパニーズ・ハードコアの流れを強く感じた。音源を購入したのだがシンプルだが力強い歌詞も勿体つけない音楽性とあいまってシンプルかつ力強いハードコアの進化系という方がしっくり来る。ドラムがやたらと印象的だった。

SWARRRM (神戸)
続いては「カオス&グラインド」を掲げるSWARRRM。この日は冒頭から激速で一気に耳目を集め、そこから「幸あれ」、そしてkillieとのスプリット音源から「愛のうた」「あなたにだかれこわれはじめる」、ろくろ収録の「March」と大胆に歌を取り込んだバンドの昨今を披露していく。「カオス&グラインド」とは単なるスローガンではなく1曲に1回はブラストビートを入れる、という厳格なルールでもある。このバンドは常に何かに挑戦しているように個人的には感じられる。すべての曲はそれ自体完成品だが、同時に何かに対する一つの試行錯誤の結果に見れる。バンドとしての挑戦の結果が曲として残っているようなイメージだ。常に高みに、だから孤高のバンドと呼ばれるし、目下最新アルバム「Flower」以降での大胆な歌へのアプローチも単純なセルアウトとは絶対解釈されようがない。ルールと言うのは縛るものだが、他のバンドが良くも悪くもとどまり続けるフィールドを、SWARRRMはルールを使ってあっさり(はたからそう見えるだけで実際には苦労を重ねた末にだと思うが)乗り越えていく。ビリビリ震えた。

Pterion (京都)
つづいては京都のバンド。このコンピで初めて知ったのでバンドの情報については殆ど知らなかった。(結成は2017年ということもあり。)5人組でボーカルは専任。ボーカル以外は顔を白く塗っている。ボーカルがガッチリした体躯に編み上げブーツを履き込んで一人だけ素顔を晒している。他のメンバーは顔を塗っているものの服装は結構バラバラでなかなか作為が読み取りにくいスタイルで面白い。
曲が始まってみるとこの日一番ブラックメタルだった、というか完全にブラックメタルだ。ギタリストの一人は多分7弦ギターで、ベーシストと三人で相当テクニカルなリフを矢継ぎ早に繰り出していく。ミュートも使いながらも主体となるのはブラックメタル然としたトレモロを主体としたリフで、不穏なアルペジオや低速パートを使いながら自らの持ち味である激速トレモロパートに持ち込んでいくスタイル。面白いのは「ろくろ」ではYvonxheなんかはアンダーグラウンドなブラックメタルだったが、このPterionに関しては曲に起伏があるし、ドラスティックな曲作りをしていて結構メジャー感というか、そういう感じがあって面白かった。多分メンバーはまだすごく若いと思うが、あまり動かないメンバーに対してボーカリストの人は声にバリエーションがあるし、動きも派手。面白かった。

KLONNS (東京)
つづいては唯一の東京のバンド。ライブを見るのは2回め。ブラッケンドとは距離をおいている的なインタビューが面白かったが、たしかに音源を聞いてみてもライブを見てもバンドの核はハードコアな感じ。メンバー全員が黒い服に身を包みスタイリッシュ。
ぬろぬろ動き回るベースがかっこいいのだが相当な轟音でとにかくやかましい。ドラムもとにかく叩きまくりで、ギターとボーカルには強烈なリバーブ効果がかけられており、特にギターは音がでかい。非常にノイジーだが、例えばノイズ専用の装置を使っていないところなどあくまでもハードコアで勝負という姿勢の現れだろうか。曲も基本的にはシンプルな構成で、たまにギターソロなどを挟むもののほぼ一直線で進行するオールドスクールスタイル。ボーカルも歌うというよりは要所要所に吐き捨てて置いていく、のような歌唱方法。ステージを降りてきて客席に突っ込むという場面もあり、この日一風変わったバンドが多い中で一番やかましく、一番肉体的だったのがこのKLONNSだったと思う。

ILIAS (神奈川)
トリを飾るのはコンピレーションの冒頭を飾るILIAS。ライブを見るのは初めて。専任ボーカルにギタリスト二人を擁する5人組。「存在と理由」というタイトルの1曲からはいわゆる激情系かとおもっていたが、ライブで見るともっと、というかだいぶかっちりとしたハードコアだった。ニュースクールや日本の激情を巻き込んだバランスの音で、ハードコアなりの強面感と叙情感を勢いを殺さずに取り込んでいる。曲によってはガッツガッツした暴れるパートとドラスティックと言っていいくらいのトレモロい叙情的なパートが奇妙に同居している両極端さが魅力的。この日のバンド概ねそうだが、このバンドも激情というよりは絵もバイオレンスという感じで、冗長とした感じは皆無。ボーカルの人のちょっとかすれた歌唱法もあって、場面によってはkhmerの新作がちらっと頭をよぎった。ブラッケンド感は皆無だし、一聴したところクラスト感もそこまで感じられないのだが、(MCでもあったが)あとからそのような流れを聴いて影響を受けたのかもしれない。
この日唯一のMCをちゃんとするバンドでポジティブなメッセージが印象的だった。

音楽を本当に好きな人は国や州、県、など地域で音楽を語り、そのときは所々の「シーン」という言葉が出てくる。今少なくとも日本を含めた先進国だとおおよそインターネットを通じて均等に音楽の昨今を知ることができるが、それでもやはり地方ごとのシーンが出来上がるのは面白い。(すべてが均質化されているならそもそもシーンと言う言葉がなくなるはずだ。)先輩からの伝統だったり、内輪での流行り廃りだったり、きっとそういうものが積み上がって地域ごとの差を生み出しているのだろう。別に全国からバンドを集めようというコンセプトではないだろうが、結果的に「ろくろ」というコンピレーションには相通じる要素を通して全国のバンドが名を連ねたわけで、この日はそんな各所のシーンを垣間見れて面白かった。出演者の皆様はわざわざ遠いところありがとうございました。
Prize of RustとUnfaded、それからungodlyの音源を買って帰宅。

2017年10月7日土曜日

Chelsea Wolfe/Hiss Spun

アメリカ合衆国カリフォルニア州ローズヴィルの女性シンガーの5枚目のアルバム。
2017年にSargent Houseからリリースされた。
前作「Abyss」の発売が2015年だからコンスタントに新作を発表し続けている感じ。私が聞き出したのは2ndアルバムの「Apokalypsis」から。この人は結構アルバムによって音楽性に幅がある用に感じる。インタビューを読むと元々フォークの人らしく、なるほどどのアルバムにもその要素は感じられる。フラフラ流行りに乗っているというよりはフォークを足場に色んな要素を取り込んでいるということだろうか。どうもバンドメンバーと出会うことでその音楽性の幅を広げているようだ。前作「Abyss」はかなりロック寄りの”重たい”アプローチを取ったアルバムだった。今作でもかなり歪んだバンドアンサンブルを取り入れており、基本的にはその路線を踏襲している。個人的にはやはり2ndのフォークとロックの危ういバランスが好きなのでこの路線は歓迎だった。今作私はとても好きだ。

録音はConvergeのメンバーで売れっ子プロデューサーKurt Ballou。(彼はプロデュースはしていない。)それからこの間新作を出したQueens of the StoneageのギタリストTroy Van Leeuwen、SumacのAaron Turnerが参加している。
ギターとベースは歪められ重たい。ノイズを伴ってもったりと演奏されるさまはなるほどドゥームと称されるのもうなずけるが、結構個人的にはオーソドックスなロックフォーマットだなと感じた。というのも彼女の歌が全面に出ているから。Aaron Tunerはゲストとして雄々しいボーカルを披露しているが、Wolfe本人はウィスパーなど歌唱法は色々ありつつも基本的にはクリーンボーカルで節回しのある歌を歌っている。曲によっては大変メロディアスで、やはりここがかっこいい。アンダーグラウンドのメタルやハードコアだとわかりやすいメロディとかは敬遠されることもあるが、彼女の場合はやはりフォークシンガーなのでまずは歌ありきだと思う。ロックというフォーマットは意地悪く言うと虚仮威しといってもいいかもしれないが、わかりやすいという利点があって、でかい音は出しつつもChelsea Wolfe本人の歌声の邪魔はしないで、むしろ音が小さいというフォークの弱点を打ち消している。轟音の中で響くか細い女の人の声というのはシューゲイザーを引き合いに出すまでもなく魅力的で、蠱惑的である。
素晴らしいインタビューによるとタイトル「Hiss Spun」というのは「ホワイトノイズ+酩酊」という意味らしい。なるほど彼女の声はゴシックというかちょっと神がかりなところがあって、速度の遅い靄のかかったような音(轟音とそれからリバーブを効かせた静かな曲、両方が楽しめるが共通点はある程度の”曖昧さ”があるところ)にどっぷり浸れる。調べてみるとhissと言うのは「シューという声」、spunはspinの過去分詞でspinには「吐く」という意味があるらしい。となると「シューと吐かれた声」というふうにも取れる。猫を飼っている人はわかると思うけど、彼らが「シュー」というのは興奮したときの威嚇の声である。この威嚇というのは攻撃性とその背後にある恐れ、つまり弱さがあいまっている。この新作も女の人の情念というのが色濃く出ているが、恨み節や怒りの声というにはやや曖昧である。というのもその背後に”恐れ”があるからではなかろうか。(彼女がうずくまっている姿が印象的なアートワークもなんとなく怯えている猫のようにも見える。)強いのには憧れるが、弱さにも美しさがある。私が弱い人間だからかもしれないが、弱さは人の胸を打つ。いい意味で轟音の中に煮え切らない感情が渦巻いている。それをゴテゴテ賢しげにいじくり回さずに、スパッと吐き出したのがこのアルバムではなかろうか。惑う心中が弦の震えに共鳴して放射されているようで大変心地よい。ロックサウンドは彼女の声の増幅装置として働いている。

Chelsea Wolfeはどのアルバムかっこいいが、今作は3rd以降で一番好きかもしれない。気になっている人は是非どうぞ。非常にかっこいい。おすすめ。

ダン・シモンズ/ハイペリオン

個人的に名作だと誉れ高いが読むのに難解でハードルが高いなという本がSFだと「ソラリス」と「デューン」、そして「ハイペリオン」だった。興味はあるのでそろそろ読もうということでこの間、スタニスワフ・レムの「ソラリス」を読んだらやっぱりとてもおもしろかった。(難解ではなかった。)じゃあ次は「ハイペリオン」!となったわけ。私の大好きな椎名誠さんもたしか「すごい!」といっていたので。読んでみるとやはり大変面白く、そしてやっぱり難解ではなかった。むしろ明快なくらい。

28世紀の人類は地球が不幸な事故で消失したこともあり、銀河に大きく乗り出していた。連邦(ヘゲモニー)が統合的に人類を管理統括し、巨大なAI群テクノコアと連帯して居住可能な惑星に人類を送り出し、瞬間転移システムで遠く離れた惑星を結んでいた。転移システムでの移動・連絡網はウェブと呼ばれる。そんなヘゲモニーの管理する広大な宇宙にもたったひとつ管理外にあるものがあった。惑星ハイペリオンにある時間の墓標である。全く人類には道の材質でできた建造物で、ここでは通常とは異なる時間(過去に向かって進んでいるのではと人類は憶測する)が流れており、おまけに墓標の周囲にはシュライクと呼ばれる化物が出現する。シュライクは巨大輝く体躯に真っ赤な相貌を持ち、全身ナイフが生えたような異様で瞬間移動を繰り返し、近づく生物を気まぐれに殺して回っていた。ある時この未開の(ウェブに取り込まれていない)ハイペリオンにヘゲモニーにくみさない人類の勢力、宇宙の蛮族と呼ばれるアウスターの船団が向かっていることが明らかになった。ヘゲモニーはシュライクの元に最後の巡礼7人を派遣することにする。シュライクは気まぐれに人の願いを叶える、という噂があるのだ。選ばれた7人の男女は長い道すがら各々のハイペリオンにまつわる昔話を語ることにする。

このハイペリオンという物語は面白い構造をしていて、人類が謎の存在、時間の墓標とその周囲に出没するシュライクの本質に迫るという大きな流れが一本貫いているが、同時に7人の主人公たちのうち6人の物語が入れ子になって含まれている。じつは「ハイペリオン」は4部作の冒頭の1冊(文庫だと上下分冊だけど)で、実際巡礼たちの話だけでこの「ハイペリオン」は終わってしまう。(念のため言うが謎は残されるが、この一冊だけでも十分面白いと断っておく。)この6つの物語というのが、もちろん同じ世界観を共有しているという前提はありつつ、オカルトあり、ハードボイルドあり、スペースオペラあり、泣けるSFならではの人情噺ありと実に多彩な魅力に飛んでいる。一個の長編でありながら、連作短編小説のような趣があるわけだ。それでも全く接点のなかった男女の話を聞いてみると、ハイペリオンという星がヘゲモニー、そして人類が掌握する宇宙の中でいかに特別で異質な存在なのかがわかってくる。そしてその謎もほんのすこしずつ詳らかになるという仕組み。これはワクワクする構造であるよね。いわば末端にそれていくような別個の物語が実は巨大な物語の一部で、読み進めることで本筋に修練していく。
さて宇宙に人類が進出したら、というのは巨大な思考実験だ。様々なことが起こり得る。敵対異星人との白熱するバトルだけがSFでは断じてない。光を超える移動方法で時間の概念、公平性がうしなわれるだけでこの作品だけでなく、数々のドラマが生まれてきた。それから巨大な宇宙を果たして統治できるのか?という問題もこの「ハイペリオン」ではやはり取り扱われている。昨今やはり国のなかの一勢力の独立という事柄が世を賑わせているが、やはりこの独立権というのが未来でも重要になってくる。自由というのは一体不思議な概念で、呪いのように人間はこれを追い求めていく。ハイペリオンはそういった意味では深く人類の内部に切り込んでいく作品で、おそらくもしかしたらほんとうの意味で(つまり人類が作ったのではない)神かもしれないシュライクという存在が、この後に続く作品でその存在感を増していくのだろう。一体人間の自由意志と言うは何か?というのがあんにこの4部作の冒頭を飾る「ハイペリオン」では提示されているように思える。

もちろんこの次に続く「ハイペリオンの没落」も読む気でいるが驚いたことにこちらはもう絶版になっているのだな。「ハイペリオン」は重版しているのにちょっと勘弁してほしい。とても続きが気になるようにできているのだから。
面白いSFを読みたい人は是非どうぞ。

2017年10月1日日曜日

Telefon Tel Aviv/Fahrenheit Fair Enough

アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身で今はシカゴで活動している音楽ユニットの1tアルバム。2001年にHefty! Recordsからリリースされた。私が買ったのは
バンド結成15周年ということで2016年に日本のレーベルPlanchaから(日本だけで)再発されたもので、オリジナルの楽曲9曲に未発表音源8曲を追加したもの。
Telefon Tel Avivは1999年にJoshua EustisとCharles Cooperの二人で結成された。幾つか音源もリリースしたが2009年にCooperが亡くなり、残されたEustisはユニットを停止させたが、最近は活動を復活させた。
Telefon Tel Avivは恥ずかしながら全く知らなかったが、実は中の人がやっている音楽を私は2つ持っていて、一つはnine inch nailsのリミックス音源集「Things Fall Apart」でこちらでninの「Where is Everybody」のリミックスをTelefon Tel Avivが担当している。Joshua Eustisはninのライブメンバーでもあったのだ。(知らなかった。)もう一つはThe Dillinger Escape PlanのボーカリストGreg Puciatoが組んだバンドThe Black QueenでこちらではEustisは正式メンバーである。他にもToolのMaynardのプロジェクトPusciferと仕事をしているようだ。
実はこの間来日するというのでDommuneに出演して格好良かったので名盤とされる1stを買ったわけ。ライブはSold Outだったので行けなかった。

丁寧な解説を読むとどうもApex Twinに代表されるようなIDM(踊れない、もしくは踊りにくい作り込まれた電子音楽)に影響を受けた二人が宅録環境で作ったのがこのアルバムらしい。面白いのは録音した音源をマスタリングする過程で二人が想定していた音から結構乖離してしまったらしい。そんな齟齬がありつつ、この音源は名盤とされている。
さてIDMとったら曖昧な言葉なわけだけど結構ハードな音の作りのイメージはある。生音に接近したSquarepusherなんかも初期はとってもハードだ。このアルバムは2000年頃に作られているから、メンバーの二人としてもハードな音として作ったようだが、出来上がった音は決してそうではない。前述の通りの事情がどれくらい影響しているのか知らないが、多分マスタリングを掛ける前の音もハードなIDMとは一線を画すものだったのではあるまいか。このアルバムかなりゆったりしているがビートは鋭く、それこそハードだ。フリーキーなビートといってもいいが、Aphexの繰り出すドリルンベースと称される、ブレイクコアめいた手数の多いそれとは全く異なる。音の隙間が強烈に意識されており、ゆったりしていると言ってもいい。ただし繰り返すがビート自体は鋭く、解説にも書かれているとおり、冥界で音の数が少ないという意味ではヒップホップのそれに似ている部分があると思う。
元々メンバーのふたりともバンドをやっていたようで生音を載せることいて以降はなかったのだろうと思うが、生音(もしくは生音っぽい機械音)例えばアコギやピアノなどを大胆に上モノに使っている。どれも明快にメロディを奏でるというのではないが、淡々としているが温かみのある音で独特の余韻や残響が効果的に使用されている。そのオーガニックさを彩るのが若干の”ノイズ”成分でハーシュノイズの連続するドローン性はほぼない、空電のようにランダムに飛び回るグリッチノイズを効果的に用い、アンビエントな世界観を壊さないように気を使っている。フレーズがミニマルに繰り返され、全体がゆっくり回転しながら遷移していくような気持ちよさがある。
結果的にハードなビートがありつつもゆったりとした、やや曖昧模糊(音の使い方とメロディの隠れ方)な音像になっており、なるほどこれは確かにエレクトロニカに通じるものがある。電子音楽を基調としながら生音などにも範囲を広げてポップか、もしくはなんかアートっぽいことをやっているのが私の勝手なエレクトロニカのイメージなのだが、このTelefon Tel Avivの音源は(あとから聞いているからというのも非常に大きいと思うが)、エレクトロニカっぽくありつつも、アートらしさより生々しさが打ち勝ち、明快なポップ性もあまりない。要するにおしゃれになりきれない、なんならちょっとナードっぽいエレクトロニカになっておりそこが面白い。

アクシデントもあり結果名盤になったという面白いアルバムでこれはこれでもちろん非常に格好いいのだが、そうなると他のアルバムが気になってくるわけで。仕事中にこっそり見たDommuneでもこのアルバムとはかなり毛色の違う音を出していたようだし、他の音源も聴いてみようと思う次第。久しぶりにエレクトロニカという感じの音を聞いたのも面白かった。10年から15年くらい前にエレクトロニカ聞いていたなと言う人は今このアルバムを買ってみると面白いかもしれない。