2016年9月10日土曜日

チャールズ・ウィルフォード/拾った女

アメリカの作家によるノワール小説。
オシャレな装丁と「ローレンス・ブロック絶賛!」という煽りで購入。
原題は「Pick Up」。

芸術家を志しながらも挫折したハリーはサンフランシスコでカフェの店員などの半端な仕事でその場しのぎの生活をしていた。大切なのはアルコール。彼はアルコール中毒だった。ある日カフェで仕事をしているとブロンドの髪をした見目麗しい女が入って来た。相当よっている。美しい見た目もさることながら何かを彼女に感じたハリーはすかんぴんの彼女の食事代を払い、ホテルまでおくってやる。女の名前はヘレン。危険だと思ったハリーだが、結局彼女と付き合う事になる。ハリー以上のアル中のヘレンは厄介な女だった。ある金はすべて酒を飲んでしまう。2人の生活は破滅に向かって落ち込んでいく。

ノワールということもあって暴力は出てくる。ドラッグは酒のみ。マフィアは出てこない。いわゆる暴力と裏社会を舞台にしたノワールではない。アル中で金のない、社会からドロップアウトした2人が大都市サンフランシスコで肩を寄せ合って生きていく、その決して長くない暮らしを描いている。アル中で有り金全部さけに突っ込む2人はどう考えてもろくでなしの類いなのだが、この物語を読んでいるとそんな2人が妙にいとおしく見えてくるから不思議だ。”良い暮らし”(といってもたいした暮らしではないんだけど)をしているこちらが何か彼らに対して悪い事をしている様な気持ちにすらなる。何故彼らの幸福が続かないのだろうか?彼らは何故長生きできないのか?という問いは面白い。そこに「彼らがクズだから」と自信満々に返答する人間は好きじゃない。私はアル中ではないが弱いところがいっぱいあって、今はただ運に恵まれて普通に生きている事が出来ていると思っているからだ。あなたは私より立派だろうが、あなたもそうではないと何故言い切れるのだろうか。
幸福な生活に思いがけない不幸が舞い込んでくるのは悲劇だが、この先悪い事しかないだろうなと思ってもその生活から抜け出せないのは希望がないと分かっているという意味でもっと地獄だ。愛するヘレンに頼まれて彼女の肖像画を仕上げるハリー。2人は幸福だった。とてもとても短い間。
酒を飲むのは自分の意志の問題だから(といってもアルコール中毒は依存症(病といってもいいのか)だから事情は変わってくるのだが)、主人公達は社会に迫害された被害者とは思わないんだけど、それでもなにかしら哀切のような感情がむらむらと浮かんで来て、何ともいえない気持ちになるのである。私はなにか芸術作品かそれ以外に触れた時、このなんとも言葉にできない気持ちがわき上がってくるのがなんともいえず好きだ。(それをなんとか言葉にしようという試みがこのブログという訳です。)
物語の本筋とはちょっとそれるのだが、個人的に面白かったのは「酒を飲むと頭が明晰になってくる」という表現だ。具体的な作品名を挙げる事が出来ないのが悔しいのだが、ほかにもアル中の登場人物が出てくる物語でこのような表現を何回か見た事がある。私はあまり酒が飲めないのだが、酒を飲むとどっちかというと頭は霞みかかったようにぼんやりしてくる。感覚も鈍くなる様な気がする。だからこういう真逆のことを言うのはなんだか面白い。そしてアルコール中毒というのは恐ろしいものだと思う。

駄目な人間が読めば感じるところは多いだろうが、私はむしろ自分は駄目でない人間だと思っている人にこそ読んでほしいのだが。彼らの多くは向上心のない物語だと思うのかもしれないが、なかにはきっと大いに感じ入る人もいるのではないだろうか。とても面白かった。是非どうぞ。

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