アメリカの作家、ファンタジストによる短編集。
ハーラン・エリスンはエヴァンゲリオンの最終話のタイトルの元ネタになった「世界の中心で愛を叫んだけもの」が有名だろうか。これは短編集で私は以前に楽しく読んだ。エリスンはSF作家ととしてでなく優れた脚本家としても活躍し、かの有名な(私は見た事がないんだけど)「アウターリミッツ」も手がけた。
とにかく作品に劣らず本人も話題性に富んだ人らしく、色々な伝説があるらしい。じつはまとまった本として奔放で発売されているのは前述の一冊だけのようだ。ようやっと2冊目が刊行される事になり、嬉しい限り。本書は日本独自の短編集との事。
別のアンソロジーで読んだ事もある『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった』から始まる全10個の短篇が収録されている。ちなみにこの短篇は是非是非辛い毎日を送っている社会人の方に読んでいただきたい。自分の時間を生きようぜ。
SFにとどまらない豊かな発想力で持って自らを「ファンタジスト」と称するエリスンだが、この短編集でもSFにとどまらない作品を楽しむ事が出来る。本人同様内に秘めた情熱が隠し様もなくきらきらと煌めくような力の強いものから、一点徹底的に抑制された文体で冷静に語られる物語もある。
何といっても過激な描写と胸の悪くなる様な、冒涜的といっても良いくらいの挑戦的かつ露悪的なモチーフが特徴的。意志を持って人類を一掃し、荒廃した地球を支配するコンピュータ(後書きによるとエリスンは「ターミネーター」をアイディアの剽窃のかどで訴えているそうだ。)、時空を超えて未来人に奉仕させられる中世のあの殺人鬼、大いなる主に対抗する蛇、殺人を目撃しながら通報しない現代人、タブーをものともしない奔放な想像六が様々な設定屋がジェッットに結実している。それではエリスンの書くものは熱狂に浮かされた表層的な物語なのかというと、それは決定的に違う。前述の『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった』は明確に時間に支配される現代文明への批判であり、搾取される弱きものたちへの暖かいエールである事は間違いないし、「鞭打たれた犬たちのうめき」では現代と買いに生きる人々の抱える偉大な虚無感(誰もが持っている共通認識のはずなのにそれを持ってここが繋がる事はないのだから面白い)を架空の神への信仰として表現している。一昔前お手製の異形の神たちが重篤な犯罪の言い訳に使用される事がなかっただろうか???勿論エリスンはそんな一昔よりさらに前この話を書いている。大人になる中で失うはずの”よきもの”、幸運か神のいたずらでそれをなくしていない事に気づいた若く心優しい男が、目先の利益からそれを本当に失ってしまう”苦い”物語。(「ジェフティは5つ」)などなどエリスンの物語はその奇抜な設定と過激なテーマ、文体でもって誤解される事も多いだろうが、その骨子は非常にしっかりと人間とその性質、その毎日の生活にフォーカスが合っている。だから当然荒唐無稽の物語以上の説得力がある。
個人的に気に入ったのは凄惨な殺人〜解体の描写が凄まじい殺人エンタメ(読んだ人は分かってくれるはず)「世界の縁にたつ都市をさまよう者」、それから表題作でもある物語とは全く別個と思われるエピソードや設問がコラージュされたように挿入される前衛的な雰囲気の「死の鳥」、エリスンが書くのに2年以上費やしたという「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」。
とくに「ランゲルハンス島〜」は意味が全然分かっていないのだけど(相当模糊とした物語なのだが恐らく後書きにあるように一つのはっきりとした意味があるようだ)、どうも自分の魂を探して完全なる死を希求する男の物語の様な気がしてならない。現実に立脚しながらも橋は死に幻想世界に片足突っ込んだ様な雰囲気がたまらなく、出てくるアイテムのそれぞれに何か曰くいいがたい意味がある様な気がしてならない。
一言でいうと最高な短編集、なのでエリスンのみ訳の作品をどんどん読むマシーンと化したいところ。色んなジャンルを読むのが好きだけど、SFというのはやっぱり想像力の自分の限界をぱっと飛び越えてとんでもない景色を文字を通して眼前に現出させてくれるのでこれを読むのは無上の喜びと言って良い。やっぱりSFはいいな〜と思った。滅茶面白いので是非どうぞ。非常にオススメ。
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