2016年4月9日土曜日

ジョーゼフ・ヘラー/キャッチ=22[新版]

アメリカの作家による小説。
早川書房70周年のハヤカワ文庫補完計画の一環として復刊された。言わずと知れた名作らしいのだが、表紙がオシャレだな位の感覚で購入。(めちゃかっこいいよな)ところがこれがすごかったのです。

第二次大戦中アメリカ空軍に所属するヨッサリアン大尉はイタリアのピアノーサ島に配属されていた。ヨッサリアンは死にたくなかった。とにかく死にたくなかったので仮病を初め様々な手練手管でとにかく飛ぶ事を回避しようとした。自分は狂気に陥った振りをする事もした。狂気に侵されたものは前線からはなれる事が出来るからだ。しかし自分の狂気を証明できるという事はその人は正常であると判断されてしまう。また他人に自分の狂気を判断させようとしても彼らが全員狂気に陥っているので彼らはヨッサリアンの狂気を証明する事が出来ない。なぜなら彼らは狂っているのであり、その判断には正当性と信頼性が無いためだ。結果ヨッサリアンは戦地からはなれる事が出来ない。これがキャッチ=22だ。気まぐれな上官たちが規定の出撃回数を増やしていく中、ヨッサリアンを始めとする部隊の面々は正気を失っていく。それでも本国には帰れない。

ヨッサリアンとは聞き慣れない名字だ。ヨッサリアンは軍服を着るのが嫌なので裸で歩き回っている。ヨッサリアンは身の危険を感じて常に反対向きに歩いている。ほかにも妙に変な名前の隊員たちがいて、彼らは配給される酒をちょろまかしたり、軍の飛行機を使ってサイドビジネスを始めたりする。「キャッチ=22」は軽妙な文体で書かれているユーモア小説である。隊員たちの会話はどこかとぼけていて噛み合ない。とくにおうむ返しの妙のようなものがあってとにかく会話そのものが面白い。兵士たちはそれぞれ個性があって良いヤツ悪いヤツというよいうよりはそれぞれ個性的だ。粗野で酒を飲み、下賜休暇ごとにローマにいって女を買う。
「キャッチ=22」は愉快な小説だ。本文の中ではキャッチ=22は陥穽である。体制が兵士たちを延々戦わせるための方便であり巨大な罠だ。そしてこの本「キャッチ=22」もそれ自体が罠だ。面白さにかまけて読み進めているとあなたは深い井戸の中にいる。この本の核の部分は実は毒だ。猛毒だ。ジョージ・オーウェルの「1984年」は言わずと知れた名著である。ディストピアを描いた人類への警鐘だ。つまり先を見ているのが「1984年」だとすると、「キャッチ=22」で描かれているのは既に進行中の地獄である。つまり人間の文明はとっくにクソに浸かっている、少なくとも前線で戦う兵士たちはすでにその状態にあるという事をジョーゼフ・ヘラーは甘くて愉快なオブラートに包んで私たちに笑顔で手渡したのである。この本の構成はすべて彼の計画であったに違いなく私たちは面白い小説を読んでいるはずが、とんでもない文字通りぶん殴られる様な衝撃を被る事になる。「キャッチ=22」には善と悪が無い。生きるか死ぬかで、(ひとまず)生が肯定されているから明確に反戦小説である事は間違いない。安全なところにいる上官のつまらない維持や権力争いのため死地に赴かされる下級兵士たち。金のためには自陣すら爆撃する事をいとわない親友。死すべき大義、面白い事にはこの本ではそのような言葉は一回も出てこないのではなかろうか。ここでの死は敢えて言うならすべて滑稽で馬鹿げている。ヨッサリアンの心に深々と刺さった少年兵の死。鬼気迫る描写に私は嘘ではなく通勤途中の車中で足が萎えそうになった。(私は血とか苦手なのだ。)彼は一体何のために死んだのだろう。軍隊は彼は國のために戦って死んだというのだろうが、果たしてそうなのだろうか。そしてよしんば国の、大義のために戦って死んだとしてそれが個人にはどういった意味があるのだろう?ヨッサリアンは言う。
「敵というのはな(中略)どっちの側にいようと、とにかくおまえを死ぬ様な羽目に陥れる人間すべてを言うんで、それにはキャスカート大佐(私注、味方の大佐)も含まれているんだ。そのことをおまえ忘れるなよ。長く憶えていればいるほど、それだけおもえは長くいきられるんだから」
よってヨッサリアンにとって自陣にいようと回りには敵視界無く、彼らが自分を殺そうとするので彼は後ろ向きに歩くのである。殺されたくないから、軍隊に嫌気がさしているから軍服を着ないで素っ裸にいるのである。
下巻のクライマックス、徹底的に破壊されたローマの町を彷徨するヨッサリアン。ローマは地獄と化していた。爆撃によってではなく、ひとそのものが堕落しきっているのだ。ヨッサリアンは地獄巡りをする。戦場が地獄だと思った。理不尽な命令を下す上官たちがすべての地獄の現況だと思っていた。しかしこの様はどうだろう。帰るべき家ははじめっから地獄の様相を呈していたのだ。私は暗い物語は大好きだが、徹頭徹尾ここまでくらい話は中々読んだ事が無い。ヘラーは人類に絶望していたのだろうか。
私は暴力と無益な争い毎が嫌いなので戦争には反対だった。というかほとんどの人は戦争反対だろうと思う。でも戦争反対!と単純に叫ぶには疑問があった。なぜかもう少し考える必要があると常に思っていた。今でもその疑問は解けないのだが、「キャッチ=22」を読んで少し思うところもあった。私は死にたくないので戦争には行きたくない。殺すのはもちろん嫌だけど、その前に死にたくはないのだ。意味があっても無くてもただ死にたくはない。私は臆病者だと常々思っているが、改めてそれでもそう思ったのである。

戦争という巨大な何かが、よくわからない、という人がいたら是非この本を読むべきである。そうでない人でも今生きている人は読んだ方が良いと強く思う。

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