2014年7月27日日曜日

ユッシ・エーズラ・オールスン/特捜部Q 知りすぎたマルコ

デンマークを舞台にした警察小説も速いものでもう5作目。
毎回思うのだが表紙がお洒落だよね。
今回は新メンバーを加えた?特捜部Qが難事件に挑む。

15歳のマルコは自分の生まれたところがどこか分からない。父親はいるが血がつながっているかも分からない。今はデンマークに不法入国し、スリや物乞いで金を稼いでいる。一日の終わりにはバンがやって来てそれで家に帰るのだ。クランの家に。そこでは暴力的な家父長でマルコの叔父ゾーラが実権を握り、暴力で子供を支配していた。若い年齢の子供達はマルコ同様街に出て悪事を成し、金をゾーラに渡している。ある日マルコはゾーラが自分の父と自分を不具にする計画を立てていることを知り、クランを脱走。逃げ込んだ森の中でクランが埋めたと思わしき赤毛の死体を発見する。
一方コペンハーゲン警察本部地下室に居を構える特捜部Qは失踪した外務省上級参事官ヴィルヤム・スタークの捜査を開始する。彼は国家単位のODAプロジェクトの汚職に関わっていたらしい。難事件の捜査線上に現れたのは不法移民の少年マルコだった。カール・マークは複数の組織に追われるマルコを発見し、事件を解決できるのか。

というわけで今回はあらすじ通り、不法移民の少年マルコの争奪戦を犯罪組織、殺し屋、そして特捜部Qで繰り広げることになるちょっと今までとは変わったつくり。このマルコという奴は中々賢く、かつはしこいのでこいつがコペンハーゲンの町を歩いて、走って、自転車に乗って、川を泳いで、タクシーに乗って逃げまくる描写がふんだんに盛り込まれていて、そこが読みどころの一つ。舞台も町中、郊外、地下鉄、運河、そして実際にデンマークに存在する自治区(平然と大麻が街角で売られている様な場所が本当にあるのだという。)と一風変わった観光案内みたいになっていて面白い。アクション方面手を汗握るし、結構映画みたな情景が頭にぱっと浮かぶ感じ。(実際に映画の一作目の成績が好調で二作目が取られるらしい。)
相変わらずこの作者は嫌らしい的を描くのが上手で、今回は財界の大物、国家公務員といわゆる金に肥え太った醜い老人や中年であって、彼らの自己中心的な金の亡者っぷりに社会人の貴方はきっとイライラすること請け合いである。彼らと着たら自分たちの不正が上手く行かないものだから、その埋め合わせにさらに悪事に手を染めるのである。この意地汚さよ、ドートマンダーの美学などかけらも無いこの見苦しさよ。そして地位も名誉もある彼らが目を付けたのが、途上国に対するODAという訳。日本はODAが多いと言われるけど、訳者吉田薫さんによる後書きによるとデンマークはその日本に比べてもさらに予算に対するODAの比率が高い。”どこか遠くで、良いことに使われているはず”といわばまあ聖域のようになっている金をこの小悪党どもが横領し始めるのである。作者的にはODAシステムの不透明っぷりを批判するといういともあるように感じた。強烈な社会批判というのではなくあくまでも問題を事件に内包しつつ、上質なエンターテインメントとしてまとめあげ、それとなく問題提起する様なやり方は前作もそうだったが、読んでいるこちらとしてはちょうど良いレベル。
カール・マークら面々の描写は相変わらずで今回はパンク女ことローセの意外な一面が現れたりして良かった。アサドとの掛合やラクダ諺も健在。やはり個人的にはカールのぼやきが面白くて通勤途中に何度もにやにやしてしまった。反面個人的には一作目や二作目がもっていた前述のコミカルさと同居した圧倒的な黒さがちょっと弱かった気が。あれはあれで読むと疲れるくらいなのだが、このシリーズの魅力の一つだと思う。次回作以降に期待。

この一連のシリーズにはカール・マークの釘打ち機事件の隠された真相と、アサドの過去という大きな謎が横たわっている訳なのだが、今回は特に後者の謎がちょっと前進した感じ。全部で10作になるとどこかで読んだんだけど、もう半分かと思うと感慨深い。のこり5作も楽しみ。

特捜部Qのファンの方は手に取っていただいて全く問題ないかと。
映画の第一作目がこの冬に日本でも公開されるようだし、気になる人は是非一作目からどうぞ。

2014年7月26日土曜日

Ben Frost/By The Throat

オーストラリア出身、現在はアイスランド在住の音楽家/プロデューサーのBen Frotsのアルバム。(何枚目かは分からん。)
2009年にBedroom Communityからリリースされた。
先日紹介した「A U R O R A」がとても良かったので、さかのぼる形でその前作を買ってみた次第。
強烈なライトに照らされた狼達が駐車場の様なところにたむろっているジャケットが何とも印象的だ。内面にもブックレットにも狼達がいっぱい。アイスランドには狼が沢山いるのかな?毛がもさもさしていて触ったら気持ちいいんじゃないだろうか。噛まれるだろうが。

前作の印象ではとにかく冷たいノイズの嵐の様な作風で、暴風にもにたそのノイズの合間に流麗なメロディが見え隠れする様なアルバムだった。その前作にあたる今作はちょっと趣が異なる。暴力的とも言えるインダストリアルな金属質ノイズは勿論こちらでも伺えるのだが、嵐の様な凄まじさは鳴りを潜めていて、より不安をじわりじわりとあおる様な使い方をされている。最新作ではノイズが音の壁の様なシューゲイズ要素が強めだったのに対し、今作ではよりドローン的な要素が強いようだ。従ってよりアンビエントよりで、
ノイズ以外の成分が前面に押し出されている。何かというと「A U R O R A」ではかいま見れるだけの様な、つかめそうでつかめなかったメロディの部分である。メロディといっても一般のポップスなどに比べたら儚く消えそうなもんだが、この手のジャンルだったら結構饒舌な方じゃかなかろうか。恐らくピアノ由来の何とも言えない儚げなメロディが美麗な旋律を奏でる。やり方と言ったらいかにも彼流のそれであって、必要以上に大仰でもメロディアスでもない。夢の効果音のように儚くはっきりしないのが、ふと気づくとなっていることに気づく様な、そんな感じでならされている。それにほれぼれと聞き込んでいると、静かに不協和音、つまりノイズが侵入してくる。つまり非常に対比が分かりやすく表現されたアルバムだといえる。ノイズというのは不穏、不安の象徴みたいなものであって、せっかくきれいだったものが、病魔におかされるようにゆっくりとその形を変えていくのは、妙に退廃的だ。
そして狼達の遠吠えが複数の曲でサンプリングされている。まさにハウリングである。妙に尾を引いて悲しげに伸びるそれは、何となく人間に対しては一種の恐れを抱かせる。原始の記憶だかなんだか分からんが、考えてほしい。一人で荒野で聴いたら結構恐いっすよ、これは。人の声を入れないで、あえて獣の声を入れるあたり、ジャケットのアートワークもそうだが、なにかしらのメッセージかもしれない。

「A U R O R A」が気に入った人は是非どうぞ。
こちらの方が曖昧模糊としているが、その分不穏でもある。
来日もするそうです。行きたいなー。これ大きい音で聴いたらたまらんだろうな。


ジェイムズ・エルロイ/秘密捜査

アメリカの暴力と闇を書き続ける作家、ジェイムズ・エルロイの警察小説。
1982年発表で彼のキャリアでは第二作目にあたる。アメリカ探偵作家クラブ賞の候補となった彼の出世作だそうだ。

フレデリック・アンダーヒルは孤児院で育ち、頑強な体躯と明晰な頭脳を活かし兵役を忌避しロサンジェルスの警察官となった。ゴルフと女漁りが趣味で野心家の彼はある日、以前関係を持った女性が扼殺されたことを知り、単独での捜査を開始する。
非合法の手段で証拠をつかんだアンダーヒルは上層部に掛け合い、結果ダドリイ・スミス警部の元で秘密捜査を開始、博打打の遊び人エディ・エンジェルスに激しい拷問を加え自供を得る。事件は解決し、アンダーヒルの前途は開けたように見えたが…

第二作にしてその後の暗黒のLA四部作(私は半分しか読んでいないんだけど)を彷彿とさせる様なそのスタイルが既に確立されている警察小説。警察の内部には正義の名の下にどす黒い暴力が巣食っている。なんと言ってもその中心にいるのが後の「ホワイト・ジャズ」でも重要な役割を担うあの警察官ダドリイ・スミスである。彼のとんでもない警察官の片鱗が既に垣間見えている。一見平和な家庭をもち、特に女性に対する犯罪に異常な正義感を見せるこの一見穏やかで陽気なアイリッシュの大男だが、物語の途中で容疑者エディを廃モーテルの一室に閉じ込め”尋問”する様はどっちが犯罪者だか分からない。世には色々な悪がはびこっているのだが、悪の本質の一つは暴力に他ならないだろう。道理をねじ曲げるまさに直接的な”力”である暴力の、根源的な本質、つまり相手を物理的に傷つけ、精神をへし折るその原始的な野蛮さが第二作目とは思えないくらいの圧倒的な生々しさで書かれている。暴力とそれを平然とした顔でふるう人間の暗い暗い意識。その両者が二つそろえばそれは恐ろしい悪の発露であった。これを読んだ人は思うだろう。正義って何だろう?悪人を制するのは悪人なのか?エルロイの他の小説に比べるとこのいわば青臭いとも言える疑問について真っ向から書いているように思える。それはこの小説の主人公像からも見て取れる。
エルロイの小説の主人公というのは共通して優れた体躯と頭脳をもっている男が多いけど、(調べたらエルロイ本人もかなりがっしりした人みたい)やっぱりどこかしら変なところをもっている奴が多い。「血まみれの月」のロイド・ホプキンズは明確に半分壊れかけていたし、「ホワイト・ジャズ」の主人公ディヴィッド・クラインもやはり肉親とのただならぬ関係を持つ明確な悪人であった。「ブラック・ダリア」のバッキーは比較的まともだけど、やっぱり警察官になるため友人を売ったくらい過去がある。
本作の主人公は孤児院出身で絶対的な孤独を抱えた(派手な女漁りもその反動か。)男で、異常に自身があって出世欲が強いんだけど、その行動規範は一般人からしても理解できる。美人といい感じにはなりたいし、みんなに尊敬されたい、偉くなりたい、みんな少なからずあると思います。そんな彼が出世のために難事件に挑むんだけど、タッグを組むのがダドリイで、ちょっと世間をなめてたくらいの彼でもダドリイ・スミスのもつ獣の様な異常な暴力性に激しく戸惑う。そして思う正義って何だっけ?正義についていけずドロップアウトした彼は、しかしめげずに自分が挫折する切っ掛けになった事件を再度追っかけていく。それは彼同様に戸惑う読者にもう一つ別の正義を証明しようとする試みのように思えて心地よい。
割と前半の方、相棒の葬式でのアンダーヒルが上司に放つ台詞が格好よかった。人が人を好きになるってことがこういくことなんだってちょっと分かるとても良い台詞だ。
「あんたは鼻持ちならならない人間だな、警部補。ウオッキイ・ウォーカーはどうしようもないばなかなアル中だった、それだけだった。そして、おれはそれでもかまわず彼が好きだった。だから、彼をおれの前で美化しないでくれよ。おれの知能を馬鹿にしないでくれ。おれは誰よりも彼のことを知っていた。そして、おれには彼が理解できなかったんだ。だから、おれはあんたには彼がよく分かっていたなどと吐かさないでくれ。」

終盤にかけて事件が一気に収束する様はエンターテインメント性にも富んでいて読み応えはばっちり。虐げられた弱者や虐げられてそれでも強くあろうとする人たちの描写も巧みだ。訳者の人もちょっと出来過ぎ?と書くラストも個人的にはとても気に入った。たしかに上手く行き過ぎかもだけど物語はこうでなくちゃという感じもした。
黒いんだけど意外にさわやかで結構誰にでもオススメです。

2014年7月20日日曜日

Trap Them/Blissfucker

アメリカはニューハンプシャー州セイラムで結成され、マサチューセッツ州ボストン、それからワシントン州シアトルを拠点に活動するクラスト/ハードコアパンクバンドの4thアルバム。
2014年にProsthetic Recordsからリリースされた。
まず「Blissfucker」というストレートにパンクなタイトルが良い。ジャケットのアートワークは初め猪かな?と思ったが、手元に届いたCDをみるとガサガサしたビニールで包まれた人間の頭部を同じくビニール手袋に包まれた両手が触ろうとしているところのようだ。何とも不吉だ。
レコーディングとミックスは売れっ子Kurt Ballouで彼のスタジオで録音されている。マスタリングはこれまたちょくちょく名前を見るハードコアパンクバンドWorld Burns to Death(これ本当どうでも良い与太話なのだが、かなり昔World Burns to DeathのCD「Totalitarian Sodomy」欲しいんだけどバンド名分からなくて「黄色いジャケットに人がいっぱいいるパンクのCDくれ」とディスクユニオンで頼んだら、苦心の末World Burns to DeathのCDを探し出してくれた店員さんが言ったよね「う〜ん、黄色くは無いですね…」。という訳で私はディスクユニオンとそこで働く店員さんが大好きなんだ。)のJack Controlさん。前作から3年ぶりのリリースでベーシストとドラマーが交代しているようだ。

ジャンルとしてはクラストだと思う。Wikiにはグラインドコアと書いてあるが、なるほどかなり勢いのあるブラストビートを用いた楽曲は確かにグラインドコアかも。しかし中々一筋縄ではいかない音楽性で地金は間違いなくハードコア。ざらついたギターは最近流行の兆しを見せているのかは分からんが、ちゃんとした由来は北欧のデスメタルなのか?ざらついたその音質は中々な重量感がある暴力的なものである。そして特徴的なのが速さに特化したバンドでありながら、短い曲でも2分ある。普通の人なら短え!というところだがこのジャンルであれば短い曲は余裕で30秒きったりするので、好きな人には分かっていただけるのでは。だいたいすべての曲を平均すると3分ちょっと位じゃないかな。長いのは7分、6分台の曲もある。というのもスラッジの要素を大胆に取り入れていて、緩急のパートを織り交ぜつつかなり贅沢な時間配分で楽曲を作り上げているバンドなんだな。かといって密度が濃いから11曲でも間延びした感じが皆無で、がっちり引き締まっている印象。
ドラムがすごいのは言うまでもなく、変幻自在に叩き分けまくる。中でもぼすんぼすん言うタム?の乱打が気持ちよい。ここ速くなりますよ〜と宣言するかの様な決め所がカッチリハマっていて聴いていて気持ちよいことこの上ない。一撃が重いのでスラッジパートでも映えること。
この手の界隈のバンドと同じく、弦楽器のノイジー成分には気を使っているらしく、ざらついた音が半分ノイズになって空間を埋めるように伸びていく様は中々どうして良い。暗いリフもそうだが、疾走するパートの音の厚さと数(BPMみたいな、ようするに瞬間あたりの密度が濃い)はハードコア由来で単純に聴いていると熱いものがこみ上げてくる。
緩急の中間に当たるパートのリフはかなりグルーヴィで自然に体が動く。そこから速いパートに流れる様はまさに滝のごとく激しく勝つ滑らかで自然に頭も振れちゃう感じ。
終始絶叫系のボーカルも呵責なしで○。このバンドではボーカルは選任。

暗いハードコアながらも緩急つけたノリが良いツボを押さえているので、圧迫感ありつつも開放感あって素晴らしいですね。後半のトンネルの様なスラッジ密度が増す展開も堂に入っていて良い感じ。
この手のジャンルが好きな人は間違いなく買って損は無いかというクオリティ。

ジェイムズ・エルロイ/ブラック・ダリア

アメリカの作家による警察小説/ノワール。
1987年に発表され、1994年に日本で出版された。
以前紹介した「ホワイト・ジャズ」はLAを舞台にした暴力にまみれたノワールシリーズ、その名も暗黒LA四部作のラストを飾る恐るべき作品だったが、今作はその四部作のスタートを飾る第一作目である。

1947年ロサンジェルスで一人の若い女が殺された。胴から上下にまっ二つに裂かれた死体には凄惨な拷問の跡が残されていた。女の名前はエリザベス・ショート。女優になるべく田舎町から都会に出て来た彼女は黒い衣装を好んで着用していたためこの殺人は「ブラック・ダリア事件」と呼ばれることになる。私ことバッキー・ブライチャートは元ライトヘヴィ級で負け無しのプロボクサーの警察官。ひょんなことから知り合った元ヘヴィ級プロボクサー、リー・ブランチャードとコンビを組み「ブラック・ダリア事件」に挑むことになる。今なお人を惹き付ける謎に満ちた殺人事件の闇に葬られた真相とは…

知っている人も多いだろうが「ブラック・ダリア事件」は実際に起こった犯罪で現在でも犯人は検挙されていない。あまりに残酷な手口は半ば伝説のように語り継がれている。この本を原作に映画化されていてそれを見た人もいるのではなかろうか。(そういえばBlack Dahlia Murderという有名なメタルコアバンドも活躍している。)作者ジェイムズ・エルロイは事件の根幹をそっくりそのまま現実(事件の大枠だけでなく、登場人物の一部と事件の流れまで実際にそっているとのこと。)からもって来て、その上で彼オリジナルの警察官に捜査を任せて、実際の事件が未解決に終わったという落ちも現実そのままに、完全にフィクションでもって決着を付けている。いわば警察小説の体を取ったミステリー仕立てになっているのだが、流石はジェイムズ・エルロイというべきか事件の中心にはブラックホールのように「ブラック・ダリア事件」が鎮座していて、主人公含め警察官、富豪、ギャング様々な人々がそこにグイグイ引き寄せられていくのだが、この小説は事件そのものだけを書いている訳ではない。例えばデニス・ルヘインなんかもそうなのだが、事件を中心に添えて書くが実際にはもっと大きいものを書いている。いわば事件と人物達、されには彼らが所属している場所とか時間をそっくりそのまま歴史から(勿論フィクションであるからおかしな表現ではあるが。)抜き出して来たかの様な重厚さがある。今作では主人公バッキーはいわばブラック・ダリアことエリザベス・ショートの亡霊に取り憑かれた訳なんだけど、彼にもバディのリー、それからリーの恋人ケイとの奇妙な三角関係。出世に流行るバッキーが踏み入れた警察内部の暗黒と暴力。それらがバッキーの丁寧な内面描写とともに超密度で書き込まれている。
例えばバッキーとリーが特捜課に配属されブラック・ダリアを追うことになるその切っ掛けになった、2人のボクシングの対決は凄まじく、格闘技にあまり心弾かれない私ですら、その自分がスッポとライトを浴びる四角いリングにたっているかの様な緊張感を感じられたものだ。暴力が発露するその表層、そしてその暴力に至る暗い情動。その繋がりを書こうと試みた作品と言えるかも。

前にも書いたかもだけど、作者ジェイムズ・エルロイは母親を殺害され、未だにその犯人が挙げられていない。彼は一体どういう気持ちでこの話を書いたのかは分からないが(「我が母なる暗黒」という自伝的な本があるのだが絶版である、畜生。)、結果書かれたものはまさに鬼気迫る筆致である。
ヘドロの様な暗黒それ自体を書こうとして正しく真っ黒そのものであった四部作ラスト「ホワイト・ジャズ」に比べるとバッキーの青臭さが素直に共感できるし、文体も「ホワイト・ジャズ」の限界以上に削りまくったそれに比べると読みやすいことこの上無し。そしてエルロイなりの「ブラック・ダリア事件」のそしてそれに関わったバッキー・ブライチャートの結末、これはすげ〜良いなあ〜と思ったよね、素直に。友達の日系人を売って警察官になった捻くれた男バッキーがようやっと大切なものに気づく青春小説なのか?それともメキシコの荒野でシャベルで死体を掘るために喋るをふるうバッキーのごとく、とっくに葬られた腐乱死体を衆目の眼前に叩き付ける露悪的な娯楽小説なのか?
是非読んでいただきたい本。つまんなそうにいじっている携帯放り出して本を読んだら良いのにね、みんな。こんな面白い本があるのに〜といつも思っています。話がずれたが超オススメ。

2014年7月13日日曜日

Earthless meets Heavy Blanket/In A Dutch Haze

アメリカはカリフォルニア州サンディエゴの3人組インストサイケデリックロックバンドEarthlessがHeavy Blanketとコラボしたアルバム。
2014年にRoadburn RecordsとOuter Battery Recordsからリリースされた。
サイケデリックというよりはいたずらが過ぎた悪趣味みたいなジャケットが印象的である。

コラボ相手のHeavy BlanketというのはDinosaur JR.(名前は知っているもののちゃんと聴いたことが無い。高校生でNirvanaとかみんなが聞き出したのだけど、そのときグランジの流れということで軽薄なロックファンでない友人が確か聴いていたと思う。言うまでもなく私は軽薄な音楽愛好家である。)というオルタナティブロックバンドのフロントマンであるJ.Mascisが高校時代の友人と結成した3人組のロックバンドで、曰くサイケデリック・インストルメンタル・ブルース・ジャム・バンドということらしい。2012年に音源をリリースしているが、こちらは未聴である。Earthlessが好きなので買ったというのが正直なところ。Heavy Blanketといっても実際には前述のマスシスさん一人が参加した3人+1人の体制での演奏となっているようだ。

この「In A Dutch Haze」と銘打たれアルバムはライブアルバムで、2012年の4月12日かの有名な(この音源のリリース元の一つでもある)Roadburn Festivalで披露されたライブの音源が収められている。直訳すれば「オランダのもやの中で」というタイトル通りオランダのティルブルフというところがライブの会場だったよう。「Paradise In A Purple Sky」という1曲のみ収録で1曲といってもたっぷり58分34秒という長い尺のサイケデリックロック絵巻が繰り広げられるという寸法である。音質は極めて良好かつクリアで、ライブの生々しさをそのままに非常に聴きやすいバランスで録音、マスタリング、ミックスされている。(偉そうにマスタリング、とか言っているんだけど実際にはどういう作業なんでしょうね。)

Earthlessといえばストーナーの文脈でもよく語られているように、煙たく埃っぽい雰囲気のあるインストロックバンドです。全員が技巧者であるけど、とくにその変幻自在のギターが奏で作り上げる世界観というのは、よくよくサイケデリックという形容詞で言い表されている。ボーカルがいないことをむしろ逆手に取った、かなり抽象的かつ力強い音楽世界を作っているバンドなのだが、そこにもう一人ギタリストが参加したらどうなるか、ということを知っている人には考えていただきたい。そりゃあまあ相当喧しいことになるだろうね、という概ねの予想通りにこの音源かなりすごいことになっている。
軽快で手数が多く良く動くドラムがリズムを作り、うねうね動き回るベースがそこに乗ってビートを作り出している。ここを土台に自由奔放なギターがとにかくあちらへこちらへ弾きまくるというEarthlessのやり方をそのままに、もう一人ギタリストが増える。所謂バンド編成での片方がリズムパートを弾き、もう片方がメロディを弾くというオーソドックスなパターンも取り入れられていて、おお!これは新境地で格好よいぞ、というのも勿論ある。いわばより安定的なコラボの一側面であって、これによってサイケデリックな曲がかなりどっしりとしたものになって迫力が増す。これは格好よい。
しかしこのマスシスさんという人もEarthlessのギタリストIsaiah Mitchellも俺がリズムで、お前がメロね、といって黙って弾いているタイプではないので、放っておくとそれはもう各々弾きまくりだすからこれはたまったものではない。お、おおお、と思っているうちにとにかくもうべらぼうに好き勝手弾きまくる。凄まじい音の応酬であって、音の幅とリフの豊富さたるや尋常ではなく、私レベルだともう何がなんだか分からない。ビロビロビロ弾きまくる一方で、非常に伸びやかなソロ、それからギュインギュインした和音でのロックなリフ、ワウをかけまくった竜巻の様なフレーズと。次何が出るかさっぱり予想がつかない。ビートがしっかりしているから体が自然に動いてしまう気持ちよさがある。これはなるほどサイケデリックでとても幻惑的である。
単音のソロにしてもメタルの速さを競ったそれとは全然趣が異なる。馬鹿テクであるが非常に伸びやかかつ自由で緊張感はあるものの同時にリラックスしている。言って見れば非常にソフトだ。58分すべてががあらかじめ決められているとは思えないから、かなりいんプロ的な要素が入り込むのだろうけど、2人のギタリストの真剣勝負みたいでお互いどんどん高め合ってくる様な印象。とても贅沢な58分である。

というわけでEarthlessが好きな人は文句無しに買って間違いないと思う。
気持ちのよい58分である。長いな!といって気後れすること無く気持ちよく聴ける。
オススメ。

Vallenfyre/Splinters

イギリスはイングランドハリファクスのデスメタルバンドの2ndアルバム。
2014年にCentury Media Recordsからリリースされた。

2010年に結成されたバンドだが、新人という訳ではない。
同じくイギリスで活動するベテランドゥーム/ゴシックメタルバンドParadise LostとMy Dying Brideのメンバーらによって結成されたバンドで、いわばスーパーバンドといった類いのサイドプロジェクトらしい。恥ずかしながら私は前述の2つのバンドは名前は知っているものの音源は一個ももっていない。代表曲すら知らないと言って有様で、このバンドに関してはネットで彼らのMVを見てそれが格好よかったので購入したのであった。

ザラっとした質感の黒と白のみのアルバムのアートワークを見れば分かるのだが、このバンドはデスメタルバンドである。それも所謂オールドスクールよりな。結構特徴的な音質なのだが、楽曲的には一見それと分かる様な派手さは無い。むしろドゥームメタルの要素を強めに打ち出したその楽曲は地味とすら言えるかもしれない。しかし堂に入った呵責の無いその音楽性、好きな人にはたまらないだろうと思う。
ドムドムした重々しいドラム。じめっとした触感のベース。ギターはザリザリした音質で粗くかつ密度が高い独特の音質。あれ?と思う。今風とまではいかないが、最近ちょっと熱いジャンルである例えばSouthern Lordからリリースされている様なクラストハードコアを思わせる音質である。真性デスメタルの重いながらもクリアかつシャープな音質とは明らかに一線を画すこいつは一体と思うと、なんとプロデューサーはあのKurt Ballou(とバンドのメンバーも)でした。言わずと知れたConvergeのギタリストじゃないですか、やだー。という訳でそういわれると確かに納得の出来。荒涼としすぎて音の輪郭がぼやけるこの感じ、確かに確かに。かの有名なKurtのスタジオGod City Studioでレコーディングされているようですよ。
面白いのが音質はハードコアのにおいがするものの、楽曲のスタイルとしてはメタルの軸からぶれていないところ。耳障りなノイズなどは今風だけど、足はしっかりとデスメタルの土壌についている印象。むしろハードコアの音質でより荒々しくなったデスメタル。低い低いデス声は勿論メロディアスさとは無縁の絶望的なスタイル。一目を引くギターソロも無し。圧殺する様な遅いドゥームスタイルで引き回す。ドゥームならではの贅沢に間を意識した楽曲は窒息しそうな緊張感がある。疾走パートもすごみのあるブルドーザースタイルで閉塞感を保ちつつ、曲に凹凸を加えていて良し。不協和音めいたリフを分厚い低音で押っ被せて塗りつぶす様な展開がたまらない。さすがベテランというか曲の展開が堂に入っていて安心して聴けるクオリティ。ちょっと畑の違うプロデューサーの鵜でもあるのだろうが、絶妙なぶれみたいなのが随所に挿入されていて、それが新機軸というか、楽曲を最終的に型にはまった安定しすぎるものにしないところが魅力的。オールドスクールの轍をしっかり踏襲しつつ、オリジナリティを演出する様は中々どうしてどん欲で良いじゃない。

特徴的なスパイスを取り入れつつ、自分たちのオールドスクールな音楽性をぶらさないそのバランスがとても良いバンド。
オールドスクール大好きな人はどうぞ。ハードコア野郎も是非是非どうぞ。

2014年7月12日土曜日

ジム・トンプスン/この世界、そして花火

アメリカの作家による短編集。
以前紹介した長編「おれの中の殺し屋」がとっても面白かったので購入した。その他の長編も読みたいのだが、在庫切れなのか頼んだのにこない…
解説を読むに日本オリジナルの短編集らしい。全部で7つの短編が収められていて、概ね進むにつれて1編あたりの長さが増していくように配置されている。
ノワール会の巨匠トンプソン、彼は1906年生まれで77年に死去。「おれの中の殺し屋」を四でまず思ったのは全く古くささを感じないその瑞々しさだった。本当に1952年に書かれたのか?勿論然りだった。彼は「おれの中の殺し屋」で犯罪を書いた。サイコパスを書いた。もっと言えば人間とその悪意を書いたのであって、それらの題材は時代が移ろっても普遍的なものだから60年以上たった今でも全く色あせることなく読めるのだろう。そして勿論トンプソンの筆の力によるところも大きいのだろう。
この短編集でもその実力が遺憾なく発揮されている。扱っているテーマもアルコール依存症だったり、詐欺、売春、そして殺人と暗い人間の内面を覗き込む様なテーマである。それが軽妙とすら言える洒脱な文体とリズムでもって流れるように書かれている。陰惨なテーマを一見お洒落にすらかいてしまうが、その裏に隠し様も無い暗黒に読者としてはどうしたって気づかずには、目をそらしたままではいられない訳である。つまるところノワールである。

特に気に入ったいくつかご紹介。
酒浸りの自画像
タイトル通りアルコール依存症の男が自分の人生を振り返る独白スタイルで進む。面白いかつ恐ろしいのはコイツが終始冷静に自分のことを顧みれているところだ。一見して完璧に自分の人生をコントロールできているようだ。アル中特有の言い訳めいた他社批判も無しだ。すぐにでも酒なんてやめれそうだ。頭もよさそう。しかし彼の人生が酒でどうしようもないところまで落ちていく様が冷静に語られると、冷静なだけに恐ろしい。魂が酒にガッチリとつかまれてしまったのだ。沼にハマるように地獄にジリジリ沈み込んでいく様な恐ろしさ。

深夜の薄明
プレイボーイが貧相な女性を拾い一人前のレディに育て上げるんだけど、悪徳警官に目を付けられて…という話。読んでいって2人がはまり込んでいる状況説明と状況打破のために主人公が悪徳警官のところに向かう所を読んでこれは絶対ハッピーエンドにならなそうな予感がぷんぷんする。何と言っても主人公が面白い性格で困っている人を全力で助ける、というのがモットーで意図はしていないんだけど結果的にはリータンがすごい。ギラギラしていない(本人はちゃんとした職がある、後に会社が倒産するけど。)ジゴロみたいで女性にもすごいもてるんだけど、その性格で同性の私が読んでいても魅力的なやつ。非常に残念なことに未完。

この世界、そして花火
タイトルにもなっている短編集のラストを飾る作品。サイコパスの兄と妹の物語。父親が浮気の果てにショットガンで浮気相手の夫を殺害した現場を見て思わず爆笑してしまった幼い兄弟、というシチュエーションは「おれの中の殺し屋」の主人公に通じるサイコ性の発露か。こいつらはとにかくとにかく罪悪感なく人を騙し、金を奪い、殺してしまう。かといって大それた犯罪を企む訳でなく、地に足がついている犯罪を犯すのであって、これはつまり特に後ろ暗いことをやっているという認識が無いのだ。社会的に悪いことをやっているということは百も承知なのだが、それが本質的に悪いことだとは分からないのである。彼らは欠如していて、いわば巨大な空虚みたいなもので、説教や収監が何の意味をもたなさそうな、読んでいるとそんな諦観めいた感情がわいてくる。面白いのは「おれの中の殺し屋」でもそうだったが、人並み以上の才覚を持って上手に世間を渡っているつもりが、ひょんなことでつまづいてしまうのだ。これは別に悪がいつかは善に滅ぼされる、ということでは絶対なくて、良かろうが悪かろうが、天才だろうが阿呆だが、そんなこと無頓着に偶然が支配する世の中がある個人を徹底的にやっつけてしまうのだ。恐らくトンプソンはサイコパスのもつ虚無よりもっと大きい、そういった類いのどうしようもない法則に支配されたこの世の無情みたいなものを書きたいんじゃないかと思わせる。

という訳で相変わらず、一見人懐っこそうな笑顔の裏にとんでもない荒涼とした風景をかいま見る様な、そんな面白さに見たいた小説が詰まっている。
トンプソン気になるな、という人はまずこの本を手にとってもいいかもしれない。

2014年7月6日日曜日

Eyehategod/Eyehategod

アメリカはルイジアナ州ニューオリンズのスラッジメタルバンドの5thアルバム。
2014年にHousecore Recordsからリリースされた。私がもっているのはボーナストラックが追加された日本版でこちらはDaymare Recordingsからリリースされた。

Eyehategodといえばいわずとしれたスラッジメタルの先駆者バンド。
私が初めて彼らのバンド名を目にしたのは多分中学生か高校生くらいの頃で多分Slipknotのインタビュー目当てに買ったBurrn!に彼らのニューアルバムの広告が乗っていたを見たときだと思う。ご存知の方も多いが、Eyehategodは冒涜的なコラージュが印象的な特徴のある美意識をもっているバンドだから中学生の私としては、計算外のじっとりとした狂気を思わせるアートワーク(例えるならばアメリカの田舎町に住むサイコ男が地下室に溜め込んだお手製のスクラップを思わせる様な不快感。)にどちらかというと嫌悪感を覚えたのを覚えている。バンド名も「Ihategod」にしたら良いのに、とも思った。
(多分)大学生くらいになって彼らの音源を買ったのだが、そのヒリヒリとした攻撃性にかなり衝撃を受けたものだ。音自体はがっちりとしたデスメタルの様な重厚さは無いが、たがが外れてしまった余裕の無さに格好よさとともに恐ろしさも覚えたものだ。
その間ハリケーン・カトリーナがニューオリンズを直撃し、多くの人と同様このバンドメンバーもダメージを負い、(確かBrutal Truthが再結成したのも彼らへの寄付を募るためではなかったかな?)まあまともに音楽を出来る様な状態ではなかったのだろうと思う。それでもOutlaw Orderだったり、Corrections Houseだったりでメンバーが活動し続けて、やっとのことニューアルバムであるから期待も高まろうというもの。

音の方は相変わらず、ピーーという独特のフィードバックノイズにまみれたスラッジメタル。
ザラザラしたギターが沼をかき混ぜる様な遅いリフを抉じるよう奏で、ベースはひたすら重く、対照的に適度な軽さをもってリズムを刻むドラムは手数が多くて気持ちよい。
とにかく弦楽器の”ためる”ようなリフが格好いい。スラッジメタルだから遅くて当たり前なのだが、ただ遅いのではない。要するに遅くすれば良いんだろお前らは、という投げやりな遅さ自慢な感じが全くない。
そして過去のアルバムと一番異なるのがグルーヴ感が圧倒的に増したこと。1曲目の疾走感にはビックリするが、その他の曲でも地は遅いものの疾走するパートを織り交ぜ、遅い一辺倒だけでは内局作りで楽しませる。遅いにしてもとにかくグルーヴィで跳ねる様な曲調がかなり楽しい。これは新しい。始めて買ったのが「Dopesick」だった所為もあるだろうが、とにかく息も出来ない様な緊張感、密室感がすごいバンドだと思っていたのだが、それをある種払拭するかの様なノリがある。勿論明るくなったわけでもポップになった訳でもないのだが、よりブルージィーな側面を増し、曲に深みが出たとも言うべきか。それでいてバンドがもつ陰惨さが損なわれていない。特に9曲目はノイズと不協和音にまみれた恐ろしいスラッジ地獄である。曲に多面性が出た分、得意とする荒涼とした陰惨さが陰影のようにくっきり浮き出した様な印象がある。
詩人でもある(確か詩集をリリースしているはず。)マイク・ウィリアムズのボーカルは相変わらず独特で、ぐえええと絞り出す様なハードコア由来のすごみがあるもので、聴いていると段々これが癖になってくる。やっぱりEyehategodといえばこのボーカル。破滅に向かって一直線に落ちていく様な不安定かつやけっぱちなところがたまらん。

不穏なアルバムだが、聴いていて楽しいという麻薬の様なアルバム。
いかれた、狂っているというのは簡単だけど、そんな簡単なものじゃない、本当に音楽として凝っていて一級品だと思う。狂人の戯れ言がこんなに人を熱狂させるだろうか。
という訳で話題性抜群のこのアルバム、それ以上に中身はすばらしい。まだの人は是非どうぞ。


ジェイムズ・エルロイ/ホワイト・ジャズ

アメリカの作家による警察小説、ノワール。
1992年に発表され、1996年に日本で単行本になり、1999年に文庫化。私が買ったのは2014年に再発された新装版。
とにかく「血まみれの月」を読んで圧倒されて、次の次のという訳で買ったのが今作。
これは実は「暗黒のLA四部作」と名付けられたシリーズの最終作なのだ。当然私は始めの三冊を読んだことが無いのだが、第一作の「ブラック・ダリア」をのぞく他の二冊は現在絶版状態でかえやしない(「ブラックダリア」はこれから読みます。)ので、再発された今作から手に取った次第。解説でも順繰り読んでください、と書いてあるのにそもそも売ってねーじゃねえか。なんとかしてくださいよ、本当に。

1958年、LAPD(ロサンジェルス市警)に勤めるデイヴィット・クライン警部補は風紀班に籍を置く弁護士資格を持つインテリ警官だが、その実はマフィアとつながり殺し屋を請け負い金を稼ぐ悪徳警官。ある日LAPDと繋がりのある麻薬ディーラーの元締めの一家が襲撃され、犬が目をつぶされて殺され、室内が酷く荒らされた。その事件の担当になったクラインは警察上層部と連邦、マフィア、大富豪を巻き込んだ大きな陰謀に巻き込まれていく。そこは裏切りと権謀術数、殺人が渦巻く暗黒の世界だった…

「血まみれの月」の主人公も大いに屈折した警察官だったが、今作のクライン警部補も実の妹とただならぬ関係にある見事に屈折した刑事である。しかしエルロイは最早そんなレベルじゃない、とばかりにクラインの屈折が何でもなく見える様な暗黒の世界を書き出した。この小説の主人公はどうしようもない暗黒の世界で、それは権力を持った(またはもとうとする)汚い大人達の嫌らしい欲望で作られたもので、当然多くの人多くの事象が絡みすぎて誰かの思惑でどうこうなる状態をとっくに超えたカオスになっている。クラインはそのカオスのほぼ中心に巻き込まれた狂言回しにすぎないとも言える。
ビートたけしさんの映画で「アウトレイジ」というものがあったが、あれのキャッチコピーが「全員悪人」だったが、今作も悪人しか出てこない。「アウトレイジ」で悪人の大半はヤクザだったが、今作では悪人の半分ちょっとは警察官だからさらに始末が悪い。
だいたいあらすじで書いたが「LAPDと繋がりのある麻薬ディーラーの元締め」が前提のように出てくる訳だから、警察官全員が真っ黒な訳だ。汚職癒着どころじゃない、人殺し、麻薬売買、強盗、なんでもやる。警察官なのか?犯罪者じゃないのか?という批判も最もだが、彼らは警察官の犯罪者なのだ。一番たちが悪い。
面白いのは全員金に取り憑かれているくせに、そこまで金を使う描写がない。熱狂である。彼らは熱に浮かされたように人を騙し、殺し、金を求めるくせに、何かその金でどうこうっていうのが抜けている。まるで子供のように蒐集それ自体に価値がある、ゲームのスコアのように金と権力を求める。全員が当事者で汗を流している。大物でもふんぞり返っている訳ではない。ばんばん死ぬし、殺されるし、全員が異常にギラギラしている。殺し合いといっても結果みたいなもので、根底にあるのは欲望であってそれが非常に読む人をげんなりさせるのである。

解説によるとあまりに長くなってしまった小説を削るという意図があり、この小説はかなり独特の文体で書かれている。まず文の装飾が可能な限り削ぎ落とされている。平明というよりは最早素っ気ないレベルで分かりやすいとは言えない。さらに主人公クラインの嗜好の流れがそのまま紙に書かれている。分かりにくいのだが、嗜好の流れが断片的な言葉と、句読点、=/-などの記号が多用されている。クラインが混乱すればそれがそのまま混乱した文章で吐き出される訳だから、読み手としては溜まったものじゃない。
おまけに始めの人物紹介が見開きで2ページどっしり構えてくる。それが文中ではあだ名や略称で出てくる訳だから、誰が誰で、どの陣営に身を置いているのかが分からない。
はっきり言って読みにくいのだが、中盤にさしかかるとこれが癖になっている訳で、本を読んだ後は自分の思考がクライン流に頭を流れて、これはもうすっかりやられている訳である。面白いったら無い。

最近読んでいるアメリカの小説ではもの凄い暴力を書くくせに、読んだ後これはこれこれを書いた話です、と説明できない話が多い。勧善懲悪でもない、無常観というのも少し違う。思うのはそういった意味を特に物語に対して付与することをしなくても良いのではということだ。各々それは出来るだろうが、ただただ呆然とする様な圧倒的な読後感が面白い。混乱した頭でなんとか物語に筋道をつけようとする試みも空しいと言えば空しいものだが、面白みがある。
ひょっとしたら厭世観と暴力の裏にある(もしくはない)圧倒的な曲間を書こうとしているのかもしれないが、そんなのは意見でどうでも良いかもしれない。
とにかく読んだ方が良い、というのだけは言える。これは出来事を書いた小説であることは間違いないと思う。とにかくその凄まじさに圧倒されるが、よく読んでみると形はしっかり警察小説の態を取っていることが分かると思う。
という訳でもの凄いの読んでしまったな〜と思う。とにかく他のエルロイの本全部再発してくださいよ。本当に。

ドナルド・E・ウェストレイク/ホット・ロック

アメリカの作家による犯罪小説。
原題は「The Hot Rock」で1970年に発表され、日本では1972年に出版された。
天才的な犯罪プランナーが難攻不落の警備に守られた宝石を狙うという犯罪小説だが、その実は腹を抱えて笑えるくらい面白いコメディになっている。
まずは原子高志さんの表紙が良い。水色の背景に鉛筆で書いた様なコミカルかつ躍動感のある絵がシンプルに内容を示している。

天才的な犯罪プランナーのジョン・アーチボルド・ドートマンダーは刑務所で務めを負えた直後に相棒ケルプから新しい仕事を持ちかけられる。アフリカの某国の国宝であるどでかいエメラルドが今アメリカ国内を巡回中である。某国と敵対関係のある大使からの以来でその宝石を盗めというのだ。出所したてで金もないドートマンダーはこれを承諾、早速くせ者ぞろいの仲間を集めて宝石に挑むが…

という内容。
さて世に犯罪を中心においた小説というのは数あるもので、書き方も阻止しようとという警吏側から書いたものから、犯罪成功を企む犯罪者側から書いたものとバリエーションがある。しかし犯罪というのは原則的に法を犯すものであるから、自然とその内容も陰惨を極めてくるもの。策謀、暴力、流血、殺人とまあこう見た目を派手にするべく作者もその残虐性をエスカレートさせていく訳である。
この小説というのも犯罪者たちが5人も集まって宝石をかっさらおうというのだから、立派な犯罪小説であることに間違いない。しかし、コミカルな表紙が内容を的確に表現している通り、この小説残虐性が皆無である。無論銃器や暴力というのは出てくる訳だけど、それが人を過度に傷つけるというのは無い。主人公ドートマンダーは職人気質の古くさい男であるから、仕事にポリシーをもっている。はっきりと言葉に出す訳ではないが、手段を選ばないくせにあくまでも盗みを目的とし決して殺人はしない。制約のある詰め将棋みたいなもので、マシンガンは使うくせに皆殺しにしてお宝をいただこうとはしない。代わりにあの手この手を考えて、例えばヘリコプターで上空からせめて見たり、蒸気機関車を用意して廃線を突っ走り厳重に警備されている精神病院に突っ込んだりする。そして毎回失敗するのだ。宝石がチラチラと光っているのが見えるのに後一歩手が届かないのである。めげないドートマンダー一味は次の手を用意するべく奔走するのだ。スタイリッシュさはない。良いとしこいたおっさん達がうんうん唸りながらアイディアをひねり出し、東奔西走と言った感じでドタバタ走り回る訳だ。

何と言ってもドートマンダーと愉快な愉快な仲間達が面白い。色男の女たらし、運転好きのドライバーが初めてヘリコプターを運転する場面は笑った。鉄道模型好きのおじいちゃんの錠前師が蒸気機関車を楽しそうに運転する場面も微笑ましい。調子の良いうっかり者のケルプもよい味を出している。そんな変わり者の面々にため息をつきつつなんだかんだ毎回プランを考えるドートマンダーは中年のおっさんにしてはやはり一風変わった格好よさがある。私もこの一味に加わったら楽しいだろうな〜と思わせる、そんな大真面目にやっているのに子供の遊びじみた楽しさがある。

これは痛快な小説である。読む人を楽しませようとする作者の意図が感じられて嬉しいことこの上ない。あり得ない!と突っ込みを入れるのは野暮なものである。これはコメディであって、幕が上がれば観客はそのおかしさに手を叩き笑えばよろしい。一体リアルな小説のリアリティは誰が保証しているのか、とも思う。
面白い小説を読みたい!血が流れないで笑える奴!という人がいたら間違いなく気に入ることだろう。小説って面白い。