アメリカの暴力と闇を書き続ける作家、ジェイムズ・エルロイの警察小説。
1982年発表で彼のキャリアでは第二作目にあたる。アメリカ探偵作家クラブ賞の候補となった彼の出世作だそうだ。
フレデリック・アンダーヒルは孤児院で育ち、頑強な体躯と明晰な頭脳を活かし兵役を忌避しロサンジェルスの警察官となった。ゴルフと女漁りが趣味で野心家の彼はある日、以前関係を持った女性が扼殺されたことを知り、単独での捜査を開始する。
非合法の手段で証拠をつかんだアンダーヒルは上層部に掛け合い、結果ダドリイ・スミス警部の元で秘密捜査を開始、博打打の遊び人エディ・エンジェルスに激しい拷問を加え自供を得る。事件は解決し、アンダーヒルの前途は開けたように見えたが…
第二作にしてその後の暗黒のLA四部作(私は半分しか読んでいないんだけど)を彷彿とさせる様なそのスタイルが既に確立されている警察小説。警察の内部には正義の名の下にどす黒い暴力が巣食っている。なんと言ってもその中心にいるのが後の「ホワイト・ジャズ」でも重要な役割を担うあの警察官ダドリイ・スミスである。彼のとんでもない警察官の片鱗が既に垣間見えている。一見平和な家庭をもち、特に女性に対する犯罪に異常な正義感を見せるこの一見穏やかで陽気なアイリッシュの大男だが、物語の途中で容疑者エディを廃モーテルの一室に閉じ込め”尋問”する様はどっちが犯罪者だか分からない。世には色々な悪がはびこっているのだが、悪の本質の一つは暴力に他ならないだろう。道理をねじ曲げるまさに直接的な”力”である暴力の、根源的な本質、つまり相手を物理的に傷つけ、精神をへし折るその原始的な野蛮さが第二作目とは思えないくらいの圧倒的な生々しさで書かれている。暴力とそれを平然とした顔でふるう人間の暗い暗い意識。その両者が二つそろえばそれは恐ろしい悪の発露であった。これを読んだ人は思うだろう。正義って何だろう?悪人を制するのは悪人なのか?エルロイの他の小説に比べるとこのいわば青臭いとも言える疑問について真っ向から書いているように思える。それはこの小説の主人公像からも見て取れる。
エルロイの小説の主人公というのは共通して優れた体躯と頭脳をもっている男が多いけど、(調べたらエルロイ本人もかなりがっしりした人みたい)やっぱりどこかしら変なところをもっている奴が多い。「血まみれの月」のロイド・ホプキンズは明確に半分壊れかけていたし、「ホワイト・ジャズ」の主人公ディヴィッド・クラインもやはり肉親とのただならぬ関係を持つ明確な悪人であった。「ブラック・ダリア」のバッキーは比較的まともだけど、やっぱり警察官になるため友人を売ったくらい過去がある。
本作の主人公は孤児院出身で絶対的な孤独を抱えた(派手な女漁りもその反動か。)男で、異常に自身があって出世欲が強いんだけど、その行動規範は一般人からしても理解できる。美人といい感じにはなりたいし、みんなに尊敬されたい、偉くなりたい、みんな少なからずあると思います。そんな彼が出世のために難事件に挑むんだけど、タッグを組むのがダドリイで、ちょっと世間をなめてたくらいの彼でもダドリイ・スミスのもつ獣の様な異常な暴力性に激しく戸惑う。そして思う正義って何だっけ?正義についていけずドロップアウトした彼は、しかしめげずに自分が挫折する切っ掛けになった事件を再度追っかけていく。それは彼同様に戸惑う読者にもう一つ別の正義を証明しようとする試みのように思えて心地よい。
割と前半の方、相棒の葬式でのアンダーヒルが上司に放つ台詞が格好よかった。人が人を好きになるってことがこういくことなんだってちょっと分かるとても良い台詞だ。
「あんたは鼻持ちならならない人間だな、警部補。ウオッキイ・ウォーカーはどうしようもないばなかなアル中だった、それだけだった。そして、おれはそれでもかまわず彼が好きだった。だから、彼をおれの前で美化しないでくれよ。おれの知能を馬鹿にしないでくれ。おれは誰よりも彼のことを知っていた。そして、おれには彼が理解できなかったんだ。だから、おれはあんたには彼がよく分かっていたなどと吐かさないでくれ。」
終盤にかけて事件が一気に収束する様はエンターテインメント性にも富んでいて読み応えはばっちり。虐げられた弱者や虐げられてそれでも強くあろうとする人たちの描写も巧みだ。訳者の人もちょっと出来過ぎ?と書くラストも個人的にはとても気に入った。たしかに上手く行き過ぎかもだけど物語はこうでなくちゃという感じもした。
黒いんだけど意外にさわやかで結構誰にでもオススメです。
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