アメリカ人作家によるアメリカはボストンを舞台とした探偵小説の4作目。
順調に読み進めて4冊目です。
ボストンの教会の鐘楼で2人きりの探偵事務所を開くパトリックとアンジー。
ある日失踪した4歳の少女アマンダの捜索をアマンダの叔父と叔母に依頼される。事件は地元で大々的に報道され、警察の手によって大規模かつ組織的な捜索が実施されていた。市民の関心も高く、いまさら私立探偵に出来ることは少ないと渋る2人だったが、特にアマンダの叔母ビアトリスの強い願いもあって依頼を引き受けることに。果たして誘拐なのか、失踪なのか。2人の捜査は予想もつかない真実にたどり着くことになる。
原題は「Gone,Baby,Gone」(個人的には原題の方が格好よくて好きだ。)で1998年に発表、本邦では2001年に発売されている。2007年には俳優のベン・アフレックがメガホンを取り映画化されたそうな。調べてみるとモーガン・フリーマンやエド・ハリスが出演しているみたい。観てみたいね。クリントンさんが大統領時代に休暇にもっていったという逸話もあるらしい。調べてみるとパトリックとアンジーシリーズではこれが1番!と推す人も多いようだ。
途方も無いなぞの様な事件が、地道な捜査によって少しずつ明らかになっていく様はすばらしい。なんといっても失踪した少女アマンダの母親ヘリーンのキャラクターが良かった。彼女は無知と愚かさを体現したような女性で、アル中でヤク中、無学で自堕落。要するに頭空っぽの女性で自分の娘アマンダにも当然所有物以上の愛情が無い。しかし失踪事件が大々的に取り上げられた者だから、みんなに注目されるのが嬉しくてたまらない。報道番組での自分の写り様を気にしている様な、そんな女なのだ。いわばこの事件はこの女ヘリーンに振り回される話と行っても良いかもしれない。
主人公の2人はヘリーンを見てすぐに帰ってしまおうとする。しかしアマンダの叔母ビアトリスと叔父(ヘリーンの兄)ライオネル、そしてアマンダ自身に深く同情して捜査を始める訳で、いわば初っ端からちょっと違和感があって、それが捜査が進んでいてもしこりのように残り続ける。そしてラストである。もやもやしていた違和感が明確な形を取って主人公達に問いかけてくる。それは一体何が正しいのか、という疑問であった。
以前何かの感想で警察小説が面白いのは主人公達が正義の側に属している人間で、犯罪という悪とのせめぎ合いで一体正義が何なのか、正しいってなんだ、という根本的な問いかけが浮き上がって来て、いわばその答えの無さとそれ故に産まれる選択の残酷さが面白い〜という様なことを書いた。パトリックとアンジーは私立探偵だから警察官では無い訳だ。もう少し自由に動けるアウトサイダーな訳だけど、そんな2人でもついにこの問題に直面したか、という面白さがあってとにかくそこら編が巧みだ。
正義と悪は概念だから、どうしたってその2つですべてが割り切れる者ではない。じゃあ正義も悪も無いのかというと、それが社会規範によるものなのか、人間が根源的に持っている者なのかは分からないけど、おぼろげながらあるのだろうと思う。それが人によって少しずつ違うから物語が面白くなるのだろう。割り切れないところを割るとそこには納得のできなさ、やるせなさ、怒り、そんな感情が出てくる。それこそ私が物語に求めるものの一つな気がする。選択肢の一つ一つの善し悪し(いうまでもなく読み手によって判断が変わるところ)というよりは、人間のよるべのなさだったり、世界の呵責の無さであったり、そういったものに圧倒される醍醐味である。
という訳で抜群に面白かった。
面白い話ってのはするっと読めないものだとつくづく思う。(時間的には本当するっと読めるんだけど、面白いから。)読んだ後に余韻があってそれが良い。ただ後味が悪いとか、そういうのとは少し違う。
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