日本のSF界の大家筒井康隆が編集した日本の恐怖小説のアンソロジー。
元は1969年に立風書房から刊行されたものが、1984年に集英社文庫から再度刊行。それがさらに2013年に筑摩書房から刊行された。私が持っているのは最後のちくま文庫で、巻末にアンソロジスト東雅夫氏の解説が追加されている。
さてこのアンソロジー、あとがきによると作品の選択基準がはっきりしていて面白い。
筒井氏はこういっている。科学が発展した現代においては古典的な、例えば超自然だったり幽霊が出たりといった恐怖小説が往事の迫力を保ってあり続けるということ自体が難しい。では現代ではもう恐怖小説は存在しないかというとそれは否である。恐怖や怪奇と喧伝されていない現代の小説のなかにこそ世にも恐ろしい小説が紛れ込んでいるのだと。だから氏の選定基準の一つに現在(当然60年代ということになる)第一線で活躍する作家であること、というのがある。
そういった意味では非常に意欲的なアンソロジーだと思う。過去の怪奇小説に敬意を払いつつ、時代とともに変遷する恐怖の形を追いかけて、いま最も恐い小説を集めたのがこの本なのだから。恐怖というのは時代を反映したものであるから、常に形は変わるという訳である。
全部で13の短編がおさめられている。
特に私が気に入ったのが以下のタイトル。
物静かな少年が起こしたある事件を描いた結城昌治「孤独なカラス。」少年を取り囲む世界のなんと無関心で自分勝手なことか。
冴えない青年が次第に精神のバランスを崩していく生島治郎「頭の中の昏い歌」。冴えない社会人として大いに共感できるところがある。また少女の死体の妙に艶かしい感じが、背徳感をあおるようで良かった。
非合法すれすれの堕胎を行うとある病院で起こったある事件を描いた戸川昌子「緋の堕胎」。これまた鬱屈した主人公が何とも言えない。彼が起こした犯罪とそれがいかに暴かれるかという話だが、最後の追いつめられる下りがたまらなく恐ろしい。
どの作品も恐ろしいのだが、共通して一般に人々の送る日常生活の少し奥まったところにある恐怖を描いているように思った。だから庶民の生活の描写が妙に生々しく、時代が少し変われど私からした妙にわびしかったり、辛かったり、そいうった暗い感じがとても胸に響いてきた。要するに本当にありそうな話、というリアル感を持ってこちらに迫ってくる恐さがある。幽霊や怪物でない恐さ、それは退屈な毎日、孤独、閉塞感、そんな普遍的な毎日の向こう側に狂気のしっぽを見る、そんな感覚なのかもしれない。
ちなみに私は小松左京の「くだんのはは」以外は読んだことのない作品であったから、非常に楽しく読めた。
一番始めに発売されたのが1969年だから、やはり当世では恐怖の形というのはまた変わってきているのかなと思う。また現代作家でアンソロジーを一本!というのはわがままな読者だろうか。
非常に良質なアンソロジーでした。
恐怖小説マニアの貴方は間違いなく購入して間違いないと思います。
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