2014年6月8日日曜日

ローレンス・ブロック/八百万の死にざま

アメリカはニューヨーク州の作家によるハードボイルド/探偵小説。
1982年に出版され、1988年に本邦にて翻訳の上発売された。
酔いどれ探偵マット・スカダーが活躍するシリーズの第5弾。PWA(アメリカ私立探偵作家クラブ)最優秀長編小説賞(シェイマス賞)を受賞した作品。私はローレンス・ブロックは初めて読むが、まずはということで名作と誉れ高い本書を手に取ってみた。

ニューヨーク州で無許可の探偵業を営むマットことマシュウ・スカダー。元は警察官であったがある事件で犯人を狙って撃った弾丸が、無関係の少女にあたり少女は死亡。犯人を逮捕したマットは表彰されたが、職を辞し探偵を始めた。酒に溺れたマットは今は禁酒中でAA(アルコホーリクス・アノニマス=断酒自助会)の集会に日参する日々。
そんなマットの元に知り合いの紹介でキムという美しい女性から依頼を受ける。彼女は娼婦で足を洗いたいので、ヒモを説得してほしいというのだ。ヒモにあいにいくと意外にもチャンスと呼ばれるその男はキムの件を快諾。事件は一件落着したかと思われた。しかし数日後キムはホテルの一室で滅多刺しにされ殺された。当然疑われたチャンスはマットに依頼する。真犯人を見つけてくれ、と。

実際に作者の紹介の欄に酔いどれ探偵と書いてあるのだが、全然そんな気楽なものではなかった。マットはアル中である。この本はアル中の苦しみがこれでもかというくらい書かれている。マットはぶっきらぼうな男でそつなくバーに行くものの、コーヒーを飲んでやり過ごしている。AAの集会に行ってコーヒーを飲みながら他のアル中の悲惨な話を聞く。なんだ、禁酒って結構簡単じゃないか?そう思いさえするのだが、毎日が続くのである。マットは身体的にはそれほど苦しんでいないようで、酒を断つのは純粋に彼の意思によるところが大きいように見える。飲まねえと思えば飲まないですむじゃんよ、と私なんかは思う訳である。しかしローレンス・ブロックの書く一日はなんと長いことか、なんと無味乾燥なことか。マットが禁酒を破る下りは圧巻であった。既に1週間(1週間である!)禁酒できているから大丈夫、一日2杯までというルールにするわ、守れているし明日の分をちょっと前借り、そしてマットは病院で目を覚ます。丸一日以上の記憶をなくして。大学生の頃中島らもさんの小説やエッセイでアル中の恐ろしさをちょっとだけ知ったことがあるけど、やはりこれは恐ろしい。アル中というのは終わりの無い戦いであって、それが死ぬまで続くのである。
ハードボイルドの主人公は誰でも問題を抱えている。同じ探偵のパトリック・ケンジーもそうだったし、一見ぐうたらなエロ親父のフロスト警部もそうだった。私は「心の闇」という言葉を聞くといつでも何ともいえない侮蔑的な感情がこみ上げてくる。しかしローレンス・ブロックはアル中を通してマット・スカダーの抱える孤独を書いているように思ってそれが恐ろしかった。マットは事件の捜査の過程でヒモ男チャンスが抱える他の娼婦達に話を聞きにいくのが、それぞれの娼婦がどちらかというと自分のことを饒舌にマットに語るのであった。彼女達もマット同様孤独を抱えていて、それをある種彼女達の人生の埒外からやって来た部外者であるマットという男だけに打ち明けるのだった。
本書は徹底的に暗い小説である。マットや娼婦達を通して、はっきりと言葉にはしないものの作者は現代の大都会に巣食う巨大な負の部分を書いているようだ。私が中学生くらいの頃は「セカイ系」が丁度大流行りだった。それらは世界を一旦破滅させることで絶望を書こうとしたが、この小説は同じ世界が続くこと自体が絶望のように書かれている。コンクリートで出来た摩天楼はその象徴のようで、崩れること無く立ち続けるようであった。そしてそこにマットの様な男達、娼婦の様な女達が入れ替わりながら同じように生き続けるのであった。ハードボイルド小説でそんな大げさなといわれるかもしれないが、この小説は毎日の連続が書かれている。そして生きることというのは毎日をこなしていくことに他ならない訳で、私はこの本をよんでそんな大仰なことを思ったのであった。

という訳で評価が高いのも頷ける一作。派手なアクションやニヒルなキャラクターを期待すると肩すかしを食らうだろうが、都会に巣食う闇をかいま見たいのでしたら是非どうぞ。しかしバーに深淵が待ち構えているなんて思っていなかったが。

2014年6月1日日曜日

Ben Frost/A U R O R A

オーストラリア出身アイスランドはレイキャビク在住のアーティスト/プロデューサーの4thアルバム。
2014年に自身が参加するレーベルBedroom CommunityとMute Recordsからリリースされた。私がもっているのはボーナストラックが1曲追加された日本語版でこちらはTrafficというレーベルから発売された。
私がBen Frostの作品を買うのはこれが初めて。このCDを買ったのは先に紹介したVampilliaの1stアルバム「my beautiful twisted nightmares in aurora rainbow darkness」をプロデュースしたのがBen Frostだったからである。付属の解説を読むと実はこちらも以前紹介したTim Heckerの「Virgins」にピアノとそれからエンジニアとして参加していたらしい。他にもブライアン・イーノとコラボしたり、Swansのリミックスをしたりと結構売れっ子のプロデューサーのようだ。

曲の方はというと北欧に拠点を置くということも頷ける冷たい電子音が主体となったアンビエントミュージックなのだが、アンビエントというには少しノイジーかもしれない。インダストリアルとも紹介されているが、結構ビートがはっきりしていて、重ーい金属的なビートがどしゃ・どしゃと鳴り、ノイジーな高音がひゅんひゅん飛び交ったりもする。ドローン要素も多分に含むが、前述の通りビートが結構太いのでそこまで難解ではない印象。ただしビートがあるといっても踊れる様な音楽では勿論無い。不吉な機械が唸り上げる様な音、妙に震えて千切れたノイズ、チリチリしたほのかなノイズ、柔らかな鐘の音など音の使い方が幅広く、ミニマルな楽曲が1周するたびに少しずつその様相を変えていく。まるでこだまのような、奥行きのある空間的な音が放射状に展開されていくようだ。ノイズも相まって急に崩れる様なビートも不安な印象を倍加されていく。時に暴力的と評されるその音楽性も何となく納得がいく。暴力的といっても明確な攻撃性というよりは、ブリザードの向こうに霞む悪意をもった黒いタワーをかいま見る様な、そんな感じ。
個人的にはなんといってもしゃーーと堰を切って溢れ出し、空間を埋めていく様なホワイトノイズが格好よい。流れ出して来た水が静かに溜まっていく様なそんな清澄さとなにかしらの圧迫感をはらんだ焦燥感が相まってなんともいえない気持ちになってくる。

異常に研ぎすまされた冷たさだが、不思議と感情に富んでいる。それが安心を与えてくれはしないのだが。デカい音で聴くと気持ちよいことこの上なし!
とても良いアルバム。これはオススメ。

Killer Be Killed/Killer Be Killed

アメリカのグルーブメタル・スラッシュメタルバンドによるデビュー作。
2014年にNuclear Blastからリリースされた。
デビュー作と行っても新人ではない、ギターボーカルがSoulflyのMax、同じくギターボーカルがThe Dillinger Escape PlanのGreg(写真だとPortsiheadのシャツ着ていてちょっと嬉しい。)、ベースボーカルがMastodonのTroy、ドラムがMars VoltaのDaveというそうそうたる面子。いわばスーパーバンドの類いである。
元々はMaxとGregがDeftonesのChi Chengの治療費を集めるためのライブ(Chiは2013年に亡くなった。Deftonesは私が高校生のときから大好きなバンド。ご冥福をお祈りいたします。)で出会って意気投合、Maxのバンドで共演をへて、ジャムセッションを行いイケル!と確信を得、DaveそれからTroyに声をかけたそうな。

基本は重たくグルーヴィなリフがこれでもかというくらい繰り出され、3人のボーカルが次々に乗ってくる。ドラムは良く鳴る中音スタイルで激しいギターを引っ張るようにテクニカルに叩きまくるスタイル。あくまでも聴きやすさを意識して尖りつつも聴きやすさと格好よさが同居している印象。
バンドの曲はほとんど(9割)Maxが作っているとのこと。なるほど確かに形としては様々なジャンルを盛り込みつつ、根底には正統メタルの系譜を受け継ぐ様なカッチリとした曲はMax由来だな、と頷ける。(どうでもいいが私はMaxというとSoulflyですね、ニューメタル世代だからなんですけど。)この人本当すごいなと思ったのは、自分のスタイル確立させつつ結構どん欲に新しい要素を取り込んでいくね。ズーンズーン響いてくる低音パートだったり、ビートダウンめいた暴力的なフレーズだったりが結構ぽんぽん飛び出してくるのだからすげー。ミュートでガリガリ削るように刻みまくるリフはMax節というか、聴いているともう嬉しくなってきますね。
曲が良いのは勿論なのだが、このバンド何と言っても目玉はボーカル。スターが集まってアルバムを作ればそれはファンは嬉しいのだが、このバンドはコンセプト的に多彩なボーカリゼーションでヘヴィかつメロディアスな曲を演奏する、とはっきり方向性が決まっているようだ。Maxの野太く粗い低音ボーカル、Gregのブチ切れ金切り声からメロディアスに歌い上げる振り幅の広いボーカル、そしてTroyのちょっとけれん味のある独特のまったりと聴かせる中音ボーカル、これらが時に矢継ぎ早に、時に複数組み合わさって繰り出されてくる。それぞれが一人で何万人も湧かせる様なキャリアの持ち主なわけだから、これが1曲のうちに3人聴けてしまうこのバンドは相当贅沢である。前述の通り土台になる曲が非常にしっかりとしている訳だからこのボーカル3人体制も非常に活きてくるのだろう。変にエクストリームな方向に舵を取らず、激しくも聴かせる様な曲を作るというコンセプトが非常に功を奏したのではないかな。メンバーのファンならそれぞれの持ち味が存分に発揮されている出来に嬉しくなること請け合い。

文句なしに良いアルバムじゃないでしょうか。スーパーバンドのスーパーな作品。メンバーの名前を1人でも知っていたら買っちゃって問題ないと思います。聴いてて楽しいアルバム。
記事内の情報はインタビューを元にしています。ここここで読めます。


Retox/YPLL

アメリカはカリフォルニア州サンディエゴのハードコアパンクバンドの2ndアルバム。
2013年に名門EpitaphとThree One G Recordsからリリースされた。
The LocustやSome Girlsなどのラウドかつ奇天烈なバンドのフロントマンJustin Pearsonが中心になって2010年に結成された4人組のハードコアパンクバンド、それがRetoxである。
私は2011年にリリースされた彼らの1stアルバム「Ugly Animals」をもっていて、久しぶりに聴いたら偉い格好よかったため昨年リリースされた本作に手を伸ばしたのであった。

Justin Pearsonといったら一番有名なのはやはりThe Locustであろうか。バンド名通りイナゴの衣装に身を包み、目まぐるしいハードコアをプレイする独特なバンドで、これもやはり当時の日本ではカオティックハードコアの文脈でよく登場し、私もご多分に漏れずタワーレコードで彼らのCDを買ったりしたのであった。ふざけているのか本気なのか(多分両方)わからないようなセンスでもって、訳の分からない長ーいタイトルのショートカットチューンが並び、なんといっても妙にピコピコしたシンセサイザーを取り入れているのが持ち味の面白いバンドである。
そんなJustin Pearsonが組んだ比較的新しいバンドがRetoxであるが、これがThe Locustから比べると真っ当なハードコアをプレイする。(けどやっぱり相当かわっている。)ボーカル、ギター、ベース、ドラムのオーソドックスな4人編成でパンクといっても初期衝動をそのまま音楽にしたみたいなとにかく五月蝿く、速く、あまりメロディアスではないパンクである。

Justinのボーカルはこのジャンルでは珍しくしゃがれてもいない、ドスが利いている訳でもない少年の様なちょっと甘くすらある幼い印象のあるスタイル。といっても終始これが叫んでいる訳で、つまりすでにとてもやかましいのだ。彼がボーカルが取るバンドは彼の声故に聴いてすぐにそれと分かる混乱性をもっている。これは一つに魅力である。
ベースは硬質でベキベキしている。ドラムと相まって打楽器のように刻んでくるその様はすごく格好よい。また疾走する際は一点水面に潜るようにその音質を変え、中音でもこもこした音でもってグルルルルルと迫ってくる。これは中々技巧派である。
ギターが独特で低音、中音、そして突き刺す様な高音を使い分ける。中でもノイジーな高音パートが曲にカオティックな印象を与えている。一秒後に何をやっているのか分からないスタイルで、低音が聴いたグルーヴィなリフを弾いていたかと思えば、スクラッチを織り交ぜ、あっという間に高音パートに移行する。ブラックメタルとはいわないが、嵐のように弾きまくるトレモロリフが格好いい。断絶した様なハーモニクスも多用して、主にリスナーに混乱をもたらしている。面白い。パンクって演奏が単調でツマラン(今更そんな奴いるのか?)という貴方、是非聴いてみて欲しい。
そしてドラムである。私は楽器は全く弾けないんだけど、このバンドとにかくドラムがすごくない?めちゃ叩きまくる。べつにメタルみたいに露骨に戦車みたいなセットをブラブラ(このスタイルも大好きだ!)弾く訳ではない。多分そんな大仰なドラムセットではないと思う。でもすごい。叩きまくる。そして変幻自在である。妙にキャッチーなリズムから、疾走パートでも変なオカズ我は行っているような複雑なパートまでさらっと裏ですごいのを叩いている。これが超気持ちいい。多分ギターが好き勝手出来るのは、ドラムとベースがしっかりしているからじゃないかと思う。
こいつら4人がアンサンブルになって責め立て来る楽曲と行ったらぱ、パンク?っていうほどのカオスで最早これはノイズである。なんていうか混乱していき急ぎすぎている奴がすごい向こうから何かわめきながら走って来て途方に暮れている周りをぴょんぴょん飛び回って、あっという間にまた向こうに走り去っていく様な感じ。一言でいうと超楽しい。自分も走ってそいつの後を追いたくなる様な感じ。この気持ちって何だろう。彼らが伝えたいことって何だろう。って気になる。特別恐ろしい訳でも、悲しい訳でもない。でもなんだか感情にあふれているってことは分かる。

ある種のハードコアパンク特有のマッチョさは皆無である。それのカウンターである妙にインテリ文学青年めいた恨みがましさも無い。訳の分からないブチ切れた感情をパンクの枠に当て込んだやっけぱちな感じで、たとえるなら唯我独尊か。ただし孤高ってほど気取っている訳ではない。自然体の潔よさ。

というわけで本作もめちゃ格好よい。
もうちょっとみんな聴いてもいいんじゃないかと思うんだ。
超オススメっすよ。

デニス・レヘイン/ムーンライト・マイル

デニス・ルヘインによるパトリックとアンジーシリーズ第6弾にして最終作。

結婚して子供が出来たパトリックとアンジーは将来のため探偵事務所を閉め、愛車を売り勤め人として日々を送っていた。パトリックは老舗の調査警備会社デュアメル=スタンディフォードで契約社員から正社員となるべく面白くもない仕事をこなす日々。アンジーは資格を取るべく再度大学に通っている。生活は困窮し、保険の支払いさえままならない。
そんなある日パトリックは地下鉄の駅でビアトリスに出会う。12年前の彼女の姪のアマンダの失踪事件の依頼人で、事件の終末パトリックの苦渋の決断が彼女の人生に深い傷跡を残したのだった。アマンダがまた行方をくらませたという。探してほしい、貴方にも責任があると迫るビアトリス。一旦は断るパトリックだが、その後チンピラに襲撃され、アマンダの件に首を突っ込むなと警告される。やる気は無かったが殴られ襲われれば事情は違う。負けん気の強いひねくれ者パトリックとアンジーはアマンダの捜査を開始するが…

前にも書いたがⅠ年にⅠ巻ずつ発表されて来たこのシリーズだが、5作目の「雨に祈りを」発表後作者のルヘインが一時シリーズの休止を宣言。それから11年の歳月を経て発表されたのが最終作でもあるこの「ムーンライト・マイル」である。タイトルは遥か遠くの意らしい。物語の中でも時間が進み、30代だったパトリック達は42歳になっている。遂に目出たく結婚して娘が産まれたのは良かったが、生活のために2人の生活はがらりと変わってしまった。生き方そのものであった個人探偵事務所は廃業、手塩にかけてリストアしたポルシェも手放した。それでも生活は苦しく、パトリックは金持ちの尻拭いのようなクソ仕事にその身をやつし糊口を凌いでいる。無敵で自由だった時代は終わってしまった。他人に比べると長かった青春の時代が終わって、生活と将来というのが2人の方に重くのしかかって来た。ハードボイルドの申し子が契約社員である。地下鉄でご出勤である。正社員になりたいです。おまけにパソコンは私物である。そのパソコンもチンピラに奪われてしまうパトリック先生。次のなんてとても買えないと嘆くパトリック選手。なんという悲しさ。ここに来て今までの物語は全部作り事だよ、とネタバラしされたようだ。途方に暮れるのはパトリックだけではない。読者もであるよ。夢は終わったんだ。生活が続くんだ。保険料を支払い、請求書におびえる生活が。すばらしい家庭はむしろ人から輝きを奪ってしまうのか。年を取ることは敗北なのか。打ちのめされているパトリックとアンジーはしこりのようにわだかまるアマンダの失踪事件の本当の解決のため、再度のアマンダの失踪事件に挑む。
デニス・レヘインは真面目な作家である。調べてみるとこの物語は賛否両論であるようだ。物語は好きなことをかける。読者にずっと夢を見させることが出来る。でもルヘインはあえてこのある意味舞台裏の様な強烈なパンチの様なその後の物語を書いた。パトリックとアンジーの人生のその後を書いた。それは苛烈なものだった。銃で撃たれるからではない。拳で殴られるからではない。ただ生きて年を取るということの、その悲しさと苛烈さを書いたのだ。こんなの読みたくなかったという人もいるだろう。でも若かったころのパトリックがはいた台詞がまた違う意味を持って再度浮かび上がってくる様な、そんな感慨深さがあると思った。若さ故の過ちではない。2人は昔を少しも後悔していない。ただ選択しただけだ。それが間違いとも思っていない。2人が何故困窮した生活の中でビアトリスの依頼を引き受けたのか。なぐれられ腹が立った、然り。現状の生活に鬱憤が溜まっていた、然り。しかしこれは生き方の問題であった。状況に合わせて選択して来たけど、俺たち変わった訳じゃないよな、そんなひたむきさが垣間見える。といっても昔のようには行かない。何より娘が巻き込まれることは絶対にさけなければならない。動きも鈍くなる。でも捜査はやめない。探偵(ヒーロー)になるために必要なのは不屈の精神であった。頑強な肉体も明晰な頭脳も二の次だった。ただ食らいついて離さない、殴られても立ち上がるその精神こそが2人をヒーローにしたのだった。
本当に終盤、パトリックの心に久しぶりに暴力的だった父親が浮かび上がってくる。パトリックはけりを付けたのだった。父親のその向こう側にすとんと着地したのだった。悩みが亡くなる訳ではなく、現実的に消耗させてくる毎日が続くのだろう。でもパトリックとアンジーはけりを付けたのだった。物語は終わった。

すばらしい読書体験というものがあるものだ。ほんの何の気なしに手に取った「スコッチに涙を託して」が私をここまで連れて来た。6冊夢中で読んだ時間は何事にも替えがたいすばらしいものであった。この体験を作者に感謝したい。これは探偵パトリックとアンジーの物語であった。そしてそれは完結したのだった。彼らは去っていった。私は彼らに拍手を送りたい気分である。
いまでもパトリックとアンジーは誰かを待っているのだと思う。是非このシリーズを、多くの人に読んでいただきたいと思う限りです。

Atmosphere/Southsiders

アメリカはミネソタ州ミネアポリスのヒップホップデュオの8thアルバム。
2014年にRhymesayers Entertainmentからリリースされた。
グループ名とアルバムタイトルが印刷された透明のビニールにCDとブックレットと歌詞が入っている変形ジャケット。

私は偶々ネットで彼らの曲を聴いて気に入りこのアルバムを買った訳だけど、彼らのことは全然知らなかった。
Atmosphereは1989年に結成されたヒップホップグループで現在のメンバーはラップ担当のSlugとDJ/トラックメイカーのAntの2人。写真を見るに2人とも白人であるようだ。結構ベテラン選手だから知っている人は知っているのだと思う。

(以下私の主観によるヒップホップ観を書くけど、はなはだ間違っている可能性をはらんだ一個人の意見であることご留意されたく。)
さてヒップホップ(はカルチャー主体のことをさすらしいから厳密に言えばヒップホップ音楽か。)というとご存知の通りサンプリング主体で作ったトラックに人の声からなるラップをのせたものからスタートした音楽のジャンルです。そのシンプルな音楽性格上なかなかドラスティックに変化してく(例えばロックがメタルになったりみたいな)余地がなさそうですが、それでも昨今のヒットチャートを見ると大分その黎明期からは音楽性が広がって来たようだ。サンプリングマストではなくなったのだろうし、他ジャンルとの融合だって頻繁に行われている訳だ。
そんな流れの中でAtmosphereのやっている音楽を聴くとこれは結構オールドスクールなヒップホップになるのではなかろうか。彼らの曲作りがどうやってなされているのかは分からないところだけど、結果的に形になった曲を聴くと、あくまでも基本の形を踏襲したヒップホップであるようだ。
シンプルなビートにいくつか音をのせ雰囲気を作る、その上にラップが乗る。
ヒップホップ好きの友人のいうところには、優れたヒップホップのトラックというのはラップ抜きで聴いても抜群に格好よいのだ。デザインとは引き算だから、限界まで削ぎ落とされたトラックというのは完璧なもので、それはそれでめちゃ格好よいのだ。冷徹なビート、その上に本当にいくつか音をのせるだけで曲の雰囲気ががらりと変わる。基本ビートが太いから乗りやすいしね。
太いビートにベースをのせて土台を作って、その上にピアノやアコギの音をのせたりしている。曲によっては歪んだ電子音も使っているが、あくまでもトラックという感じで前にしゃしゃり出てくる感じは皆無。女性の声のサンプリングを入れたりして結構凝っている。またたまに入るスクラッチがすごく格好よい。やたら頻発する様な下品な感じじゃない。飛び道具の様な独特の音なのにバックトラックと相まって不思議と落ち着きがあるから不思議だ。
ラップの方はというとまろやかな感じで、いわれないと白人と分からないかも。でも黒人に比べるとちょっとあっさりしているかもしれない。高すぎず低すぎずちょうど良く耳に入ってくる声質で、画像検索するとやっぱり恐そうだけど、ラップを聴いた限りギャングスタな悪自慢という感じではなさそうだ。もっと落ち着いた大人なイメージ。曲によってはトラックもあって暖かく、ゆったりしたラップを見せる。スキル自慢というよりは完全に曲の完成度重視なタイプで語りかけてくる様なゆったりしたものから、緊張感があるちょっと硬質な感じのものまで結構幅があるラップで面白い。

タイトルになっているSouthsidersというのは彼らの故郷ミネアポリスの南側のことを指すらしい。各曲の頭には電車のアナウンスを模したトラックの紹介が入っている。きっとここも故郷由来のネタなんじゃないかなと思う。

格好よい。派手さは無いし落ち着いているけど、日和っている訳ではない。
虚栄心が削ぎ落とされた自然体かつストイックなアルバムだと思う。
ギラギラしたのじゃなくて、しっかりしたヒップホップが好きな人は是非どうぞ。

この曲聴いてアルバム買いましたよ。
しかし曲名が「カニエ・ウェスト」ってのも結構すごい。

デニス・レヘイン/雨に祈りを

デニス・ルヘインのパトリックとアンジーシリーズ第5弾。
1999年に発表された。作者はここまで毎年1作のペースでパトリックとアンジーシリーズを書いている。

前回の事件終結後、パトリックとアンジーは破局。アンジーは探偵事務所を出て行った。
ある日パトリックはブッバとともにストーカーに悩まされていたカレン・ニコルズの依頼を引き受け、ストーカーを”説得”し撃退することで依頼は解決する。6ヶ月後パトリックはカレンがビルの屋上から飛び降り死んだことを知る。すこし世間知らずだがにこやかだった彼女が何故自殺したのか?飛び降りる前にかかって来たカレンの電話に出られなかったことに罪悪感を感じるパトリックは独自に捜査を開始する。

このシリーズは勿論優れた探偵小説であり、優れたハードボイルド小説であった。しかし一般的なハードボイルドとはちょっと趣が異なる。軽妙な会話に代表されるシンプルかつ洒脱な文体も得意なポイントの一つだろうが、主人公が男女2人組というところも大きいように思う。私立探偵というのは一般人とも警察官とも違ういわば一種のアウトサイダーだが、このシリーズの主人公は完全なアウトサイダーになりきらず、警察小説のバディもののような趣がある。2人いる分ちょっと救われている部分がある。ハードボイルドじゃないというのではない、そんなことは1作目を読めばわかるだろう。完全にハードボイルドだ。2人いるからこそのものの見方の違いをまざまざと見せた前作のラストはそれは凄まじいものだった。ここら辺はちょっとなかなか他のハードボイルドには何じゃなかろうか。
とはいえアンジーがいることでパトリックは世界との折り合いのつけ方が普通の私立探偵とはちょっと違うのだ。
それが今作ではアンジーが去りパトリックは一人きりになってしまう。ブッバがいるものの彼は一般の人間の埒外にいるため、厳密にいうとパトリックと同じ会話が出来る訳ではない。お互い友人であることは間違いないが、世界を共有している訳ではない。
だから、今作は今までのシリーズに比べるとより正統ハードボイルドの雰囲気がある。謎の女もでてくる。ただし謎の女といったら大抵はミステリアスで妖艶な女だが、今作では世間知らずのお嬢様だ。パトリックは幸せそうだった彼女が何故自殺を選んだのかという謎を調べていく中で、一人の女性が本当は何者だったのかという問題に肉薄していく。
カレン・ニコルズの人生はどんなものだったのだろうか。作者は丁寧に詳らかにしていく。物語の脇役にあたる人物にスポットを当てたような書き方である。単なる被害者と行っても良い彼女が一体どういう人生を送って来たのか。さらにいうならばどういった悪意が彼女の人生を台無しにしたのかという問題である。
今回も第二作目を彷彿とさせる様な歪んだ悪役が出てくるのだが、これはまた現代社会のゆがみの体現者みたいな奴でどちらかというと象徴的な意味合いで妖怪みたいな立ち位置なのかもしれない。(クソ知能犯で身体能力抜群の割に、しかし嫌がらせの一環としてアダルトビデオの音声を電話で聞かせてくる、というのその小物っぷりにちょっと笑ってしまうところもあったけど。(実際にやられたらかなり気味が悪いんだろうけど。))それよりは巨大に悪意へのささやかな毎日の抵抗という意味でのパトリックの立ち位置が良かった。

ブッバが今までのシリーズ以上に活躍するのが良かった。第2作目の活躍はどちらかというと闇の世界に生きる彼の恐ろしさが端的に現れていたが、今作ではひたすら頼もしい助っ人という感じで素直に楽しめる。パトリックをとても大切に思っていることが分かる中盤のエピソードも良い。

パトリックとアンジーシリーズは今作発表後一時沈黙することになる。
区切りの物語。今までの作品を読んだ人は是非どうぞ。まだの人はやはり1作目から。