2016年6月18日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/ビッグ・ノーウェア

アメリカの作家によるハードボイルド小説。
エルロイは沢山読んだ訳ではないけどファンなのでその本の多くが絶版状態にあるのが非常に悔しい現状。新作「背進の都」リリースに合わせて復刊という事で購入した。ただし電子書籍でのみ、ということなのでこれをkindleで購入。(電子書籍というフォーマットに関しては別の記事にでも感想を書こうかなと。)

1950年元旦、ロサンジェルスの保安官事務所に勤める若い保安官補ダニー・アップショーは通報を受けて男性の変死体発見の報を聴いて現場に駆けつける。その死体は眼球をえぐりとられ腹部には動物に噛みとられた様な傷跡、背中には刃物で執拗に斬りつけられた様な傷跡が残っていた。上昇志向の強いアップショーは周囲の反感を買いつつも独自の捜査を進めていく。一方地方検事局に勤める警部補マルコム・コシンディーンは検事補エリス・ロウから直々にハリウッドの労働組合UAESがその実共産主義者であり、彼らを裁判にかけるための捜査に加わるように持ちかけられる。相棒はロサンジェルス市警の同じく警部補ダドリー・スミス。離婚の危機にあるコシンディーンは出世と子供の親権を勝ち取るためにその仕事を引き受ける。部下にはかつての妻を寝取った男ターナー・バズ・ミークスを使う事に。ミークスは身を滅ぼす恋に片足を突っ込んでいた。アップショー、コシンディーン、ミークス目的の異なる3人の運命が交錯していく。

1950年のアメリカというとどんな時代か想像がつかないが、どうも所謂アカ狩りというのが猛威を振るっていたらしい。ようするに共産主義者を国家の敵としてオーソリティはこれを徹底的に取り締まっていたと。これはその最先端の警察の物語なわけでそういった意味では警察小説と呼ぶ事は出来るのだけれど、大分その様相は一般的な警察小説とは異なる。まず出てくる警察官はどれもこれもロクデナシばかりである。昨今の警察小説の主人公というのは癇癪持ちだったりセックス中毒だったり大麻中毒だったりと何かしらの問題を抱えている事が多いのだけれど、この物語だと次元が違う。どうもこの時代警察官になるのは本当に腕っ節の強いヤクザみたいな人ばかりだったらしい。ギャングから賄賂をもらい、自分でも麻薬を売る、(信じられない事に)人を殺す、何でもありである。
エルロイの小説を好きな人はだいたいいつも通りだと分かるだろう。この人の小説というのは徹底的に汚い。人の暗部を書いているというと聞こえは良いし、実際例えばデニス・ルヘインなんかも人の暗部を書いているし、そこに乾いた独特なアウトローの格好良さがある。しかしエルロイの場合は血と硝煙と精液のにおいがする、リアルに”汚い”小説でそこに通常のフィクション的な格好良さに入る隙はあまりない(ただし結果的には勿論非常にかっこ良いものになっている)。作中でも言及されるがこの大層なアカ狩りの作戦でさえ茶番であるし、エリス・ロウからしてミッキー・コーエンとずっぷりで権力欲に取り憑かれた豚の様な存在である。この大義のない作戦に、異常な連続殺人という要素を入れる事で物語が一気に加速している。どちらというと「血まみれの月」みたいな猟奇的な殺人こそがエルロイの持ち味でそちらに権謀術数の要素を追加した、というのが正しいのかもしれない。
エルロイの小説に出てくる登場人物たちは個人的な動機でしか動かない。それは金と権力と女!でなにか、今以上の何かを得ようとしている。その飽くなき欲望の裏には動機と背景として何かしらの欠損や弱点が見え隠れする。いわば金、権力、女はその暗い穴を埋めようとする大小にすぎず、それゆえ決して満たされる事なく常に新しい何かを求め続けていく事になる。その中でもダニー・アップショーというのは面白いキャラクターをしていて捜査を進めるに連れて自分がホモなのではと実は子供の頃から抱えて来た根源的な疑問に相対するが、その事実を受け入れられなくて次第に崩壊していく。時代と文化的な背景があって、さらにマッチョさが過剰に求められる警察官(保安官だが)でホモというのは今の私たちからすると想像を絶するほど認めがたい真実なのだろう。

相変わらず熱気にくらくらするように読んだ。面白い。
電子書籍大丈夫な人は是非どうぞ。

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