2016年2月14日日曜日

ヘニング・マンケル/霜の降りる前に

スウェーデンの作家による警察小説。
2002年に発表された。
2015年作者のヘニング・マンケル氏が亡くなった。67歳だった。
私がクルト・ヴァランダーシリーズの第1作目である「殺人者の顔」を買ったのは2012年。今となっては買った理由は思い出せないが、恐らく何となく紹介を見てだろう。「殺人者の顔」は警察小説というジャンルを知らない私からすると衝撃的なミステリーだった。殺人を扱った本である事は間違いないのだが、読み終わるとそれは象徴にすぎず、スウェーデンという国が抱える問題をそれを通してまざまざと見せられた気分になった。全体的に暗雲が立ちこめた様な暗い雰囲気で進行し、読後感は良いとは言えず、しかし私は2冊目「リガの犬たち」に手を出した。国境をまたぐ重厚なストーリーと派手なアクション、渦巻く陰謀と物語のスケールが一気に加速したその本をあっという間に読んだ。それからは「白い雌ライオン」「笑う男」「目くらましの道」と続編を読んでいくのが最高に楽しかった。デニス・ルヘインのパトリックとアンジーシリーズもそうだが、優れたシリーズに出会い一気読みするというのは読書体験の中でも相当な醍醐味の一つだと思う。ヴァランダーシリーズを読んで私は警察小説や北欧ミステリーに手を出していった。そういった意味では非常に思い入れのあるシリーズなだけに今回のヘニング・マンケル氏の訃報は非常に残念です。ご本人がスウェーデンとアメリカで暮らしていた事もあり、氏の作品には常に人種や弱いものへの差別に対する強い怒りと批判の精神があると思う。ヴァランダー刑事も絶対正義である警察機構に所属しながら殺人の向こうに存在する差別や欺瞞と戦い、時には正義の矛盾に苦しんだ。いわばこのシリーズはマンケル氏の鋭い洞察力と批判精神が警察小説という体裁にガッチリはまり込んだもののだと私は思っている。デートに出かける娘の後を追って元妻との食事の約束に遅れるヴァランダーを見て果たしてこんなに情けない主人公がいるのかと思ったのですが、癇癪持ちで太り始めたこの刑事がどんどん好きになったものだ。もうこのシリーズの新作が発表されないというのは非常に悲しく残念な事です。作者ヘニング・マンケル氏にに深い感謝を捧げたい。そしてご冥福を御祈りいたします。

クルト・ヴァランダーの娘リンダは警察学校を卒業し、父親と同じイースタ署への配属を後わずかに控えている状態だった。配属するまでは父親であるクルトと同居しているが強情な2人なので喧嘩も絶えない。時間を持て余したリンダは一時疎遠になっていたかつての友人アンナとの友情を復活させるが、ほどなく彼女は失踪してしまう。彼女の失踪に疑問を感じたリンダは父の忠告に耳を貸さず独自の捜査を開始する。

さて本書だが、今までのシリーズとは決定的に違う部分がある。それは今までは主人公サイドは常にヴァランダーの視点で進んで来たのだが、今作はヴァランダーの娘であるリンダが登場。紆余曲折あったが父と同じ警察官への道を歩む事を決めた彼女の視点が恐らく半分以上。このリンダというのは実はまだ警察官ではないから(入署をすぐ後には控えているとはいえまだ本配属されていない状態)、ある意味警察官より自由に動く事が出来る。(その分勿論バックアップも受けられない)また今回事件の切っ掛けの一つになるのがリンダの友人の失踪なので彼女は私的な理由もあって積極的に捜査に乗り出していく。いわばリンダに関しては警察小説というよりは探偵小説の様な趣があって、物語の展開も速い。ヴァランダーはそんな娘を父としてというよりはむしろ熟年の警察官の先輩としてたしなめる事になるのだが、そこは親子ということもあり上手く行かない。捜査と娘の両方のハンドリングをしないと行けないから、その苦労もひとしおである。今作はそんな親子の関係についてもかなりの比重でページが割かれている。今までもヴァランダーと偏屈すぎるその父親(リンダからすると祖父)の問題のある関係についてはシリーズを通して書かれて来たが、今回は30歳を目前にしてまだ何にもなれていないリンダの心の葛藤を描く事で親子関係というよりは一人の人間の成熟について書いていると思う。だからリンダの自殺未遂のエピソードは非常に重要である。
ヴァランダーシリーズは先にも書いたが犯罪そのものというよりはそれを発生させる歪んだ精神を描く事にその主眼をおいているシリーズであるから犯人サイドの視点も本文のうちかなりのウェイトを占める事になる。今回の敵もなかなかの経歴を持ったヤツなのだが、私からすると何かと言い訳を付けて逃げ出す臆病者にしか見えなくて歯がゆい思いだった。何度も書くが敵役が憎たらしい作品は面白い。そういった意味でも今作は素晴らしかった。事件は解決したけどなんともすっきりしない感じも引き続きで、曇天の下何とも言えない気分で佇んでいる様な、そんな読後感はやっぱり最高だ。

本書の帯や柳沢由美子さんの後書きによるとエッセイ「流砂」は刊行予定であり、それからヴァランダーシリーズで未訳となっている2作品についてもなるべく速く手をつけたいと書かれています。ファンとしてそれらを首を長くして待ちたいと思います。その前に「北京から来た男」を読まないとな…

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