2015年に日本のTokyo jupiter Recordsからリリースされた。
このバンドは自分たちの音楽を準交響的ポストハードコアと名付けているとの事。なるほど。ちょっと聴いて私は思ったね、これは間違いなく無く準交響的ポストハードコアだと。混じりっけなしの準交響的ポストハードコアだとね。まさしく準交響的だったね。ということにはまあ全くならんかったわけで、まあ音楽的な素養とかないし、知識もねえわけだから仕様がない。レーベルの丁寧な解説によると古典交響曲から大きな影響を受けているとの事。なるほどなあ。
古典交響曲全く聴かない私だけどまあ簡単に彼らの音楽を表現していこうと思うよ。
同郷のポストメタル界の巨人Cult of Lunaメンバーがマスタリングを手がけている、とかくとまあなんとなーく彼らの音楽性が想像できるかもしれない。ようするに”ポスト感”である。それも準交響的だからわりと知性に富んだ音楽性。Cult of Lunaの窒息する様な重苦しさとメタルと称すべき真っ黒い重量感ではなく、”ポスト感”でも浮遊感の方向に舵を取って、繊細かつ儚くおぼろげな音楽スケープを描き出している。
勿論切羽詰まった嵐の様な轟音がある訳だが、それが一つのクライマックスだとするとそこに至るまでの道程を非常に丁寧アンサンブルでもって描き出している印象なんだな。それは例えば非常に間の取り方が贅沢なその曲構成に良く現れている。静と動の対比というともはやありがちですらあるが、動のため静というには勿体ないくらいの力の入れ様であって、例えばクリーンかつ広がりのある透明感に満ちたギターのつま弾かれるようなアルペジオの、その単音にも彼らの志向する音楽性というのがなんとなく見て取れる様な。
"ポスト感"というのは便利な言葉だが、彼らが音楽で持って描き出そうとするのは激しくもあるの憂いを帯びたメロディであって、激しかろうが大人しかろうが曲の中心に常にメロディがあってそれがうねりながら展開していく様なイメージがあります。
ボーカルはリバーブのかかったボソボソから、繊細な歌声を経て、ブチ切れたスクリームまで。激情感を一手に担っているかの様な八面六臂ぶり。
そんな激情的な熱さが泣きのメロディとガッチリハマってカタルシス感が半端無い。MVも作られた3曲目のキラーチューン(私もここで掴まれた訳だけど)のキャッチーさ。個人的にはラスト6曲目の壮大な広がりが良かった。まさに交響曲かも。
”ポスト感”に目がない人は是非どうぞ。
この透明感は今の季節にはぴったりかも。
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