2013年11月17日日曜日

Russian Circles/Memorial

アメリカはイリノイ州シカゴのメタルバンドの5thアルバム。
2013年にSargent Houseからリリースされました。日本版はライブ収録のボーナストラックを1曲追加し、御馴染みDaymare Recordingsからリリース。
不思議なバンド名ですね。ロシアの円?ロシア人のサークル?ロシア語のサークル?(複数形のsがついているから違うと思うけど)。少なくともメンバーはアメリカ在住だと思うが。
前々から名前は知っていたけど、何となく買う機会を逃していたバンドの一つでしたが、私の好きなChelsea Wolfeさんがゲストボーカル(レーベルが同じですかね、そういえば)として参加しているというので、この機会に始めて買ってみた次第。
メンバーが3人ということも知らないし、いざ聴いてみて勘違いに気づいた。
なんとなくMouth of the Archietectのようなスラッジぽいポストメタルを想像していたのだが、なんとまずインストバンドだった。ボーカルいつ入るのかな?と聴いていたら、あれよあれよと前述のWolfeさんのボーカルが入っている最後の曲まで行って驚いたね、というのはさすがに嘘ですけど。まあ結構ビックリした。
メンバーの写真を見ると確かにメタルっぽくないですな。
じゃあどんな音楽性なのよ?といわれるとこれがなかなか形容するのが難しい。
インストバンドであることは間違いない。音の質感もメタルといってもいいだろう。ギター、ベース、ドラムのシンプルな3人編成だが、どの楽器も重々しい。曲のスピードはその質感もあって遅めだが、スラッジやドゥームほどの様式にかっちりはまっている訳ではない。これが俺たちです!といわんばかりのどっしりとした様は本当に3人なのか?というくらい堂に入っている。それぞれが替えの効かない体制だからテクニックは一級だが、それをひけらかすようなところはいっさいなし。どちらかというとジャケットのように渋く、寡黙。その一見の取っ付きにくさはまさに峻厳とした山のごとし。
音はクリアかつソリッドで、静のパートと動のパートが両立した陰鬱といってもいい曲調だが、なんというかひねった邪悪さがない。曲の長さもそんなに長くないので疲れないで聴けるのも良いね。
思うに比較的手数の多いドラムがすばらしい、そこにベースが滑るように入ってきて、ギターが旋律を奏でるのだが、暗い曲調の中にきらりと光るメロディセンスがたまらない。
はっきりいってメロディアスはあんまりないんだけど、皆無という訳ではない。そのバランスが心地よい。
前述の説明と矛盾するようだが、ちょっとアートっぽいなと思いました。
アートといっても小難しい理屈をこね回した底の浅さが見て取れるお洒落なやつじゃない。なんだかよくわからなさ、で煙に巻こうとする小賢しさでもない。
例えれば一枚の絵を描くようなもので、それがとても示唆に富んでいる。目に見えない音楽なので頭に描く絵は人それぞれ違うだろうが、私としてはなかなか楽しく聴けた・描けたというのが正直なところ。
インストバンドというのは面白くて、はっきりボーカルと歌詞があるバンドと比較すると演奏する側が何を伝えたいのかというのがやっぱりちょっとわからなくなる。
音楽は音楽なのだが、ちょっと曖昧な形で伝わるから、こっちにあれこれ想像する楽しみがあって気分によってはボーカルありの音楽よりハマったりする。

というわけで非常に格好いいインストバンドであった。
俺の気持ちはお前らごときにわかってたまるか、という貴方におすすめ。
ちなみにWolfeさんボーカルの曲はすげー格好いい。ばっちりだ!

2013年11月10日日曜日

コーマック・マッカーシー/ザ・ロード

アメリカの作家が2006年に発表した小説。
この小説は2007年のピュリッツァー賞フィクション部門を受賞した。
ピュリッツァー賞というと何となく優れた報道に対して与えられる賞かと思っていたのだが、調べてみるとジャーナリズムだけでなく、文学や音楽に対しても部門がもうけられているようだ。ただ面白いのが、アメリカ人が書いたものとか、アメリカに題材をとったものが望ましいとされているようだ。
ずれてしまったが、今作は2009年に映画化もされているようだ。金曜日の新聞広告に掲載されていたのをなんとなく覚えているが、こちらは私は見ていない。
「血と暴力の国」で書いたが、マッカーシーは知人にお勧めされた。当時は「血と暴力の国」と「ザ・ロード」どちらから読んでみようか迷ったが、前者の映画を見ていたことと後者に関してはなんとなくすごく暗そうな話だからと思い、まずは前者から手に取ったのだった。「血と暴力の国」は文句なしに面白かった。よし!ではいよいよ!という形で本書に取り組んだ次第です。

地球上の文明が崩壊した世界。
男は息子とともに南を目指し旅を続ける。

ストーリーはこれだけである。これは誇張でも何でもなくて、これがこの本のストーリーなのだ。
終末を迎えた世界を書く小説は一つのジャンルして確立していて、いろんな物語が世に出ている。以前紹介した「沈んだ世界」もそうだし、椎名誠さんの一連のSF小説群も一旦崩壊しきった世界のその後を書いている。あと私が大好きな小説「エンジンサマー」なんかも所謂一周した後の世界を書いていると思われる。
ただ上のあげたのは共通して世界が崩壊した後破滅に向かうにしろ、安定に向かうにしろ一旦小康状態になった世界である。
この本では世界は徹底的に破壊し尽くされ、破滅に向かっている。動物と植物はその姿を完全に消し(なんと虫もでてこない)、人類はその数を大きく減らし、日々の食料を奪い合いつつ生き延びている。何故世界が滅んだのか、はっきりと原因は書かれていない。ただ主人公の男(登場人物は一人をのぞき固有名詞がでてこない。)は世界の終わりの始まりを目の当たりにし、その後世界の崩壊を生き延び、また一日でも長くその世界で息子とともに生き延びようとしている。
空は厚い雲に覆われ、灰が降る。食物も家畜も死に絶えたから、食料は崩壊前に生産された保存食のみで、いくら数が激減(私の体感では1割以下だと思うんだが、)したからといって人類全体を生きながらえさせるには無理がある(そもそももう作れないんだかららどだい供給が重要を上回ることはあり得ないはず)。廃墟を漁り食料を探す、もしくは人から奪うしかない。政府はとっくにないのだから、法がある訳がない。略奪暴行が横行し、自分以外はみんな敵である、そんな世界である。救いがない。ほかの小説に比べると徹底的に救いがない。これ以上良くなることがなく、食うにも困るから人類は過酷な椅子取りゲームに命を削ることになる。
終末ものの小説は数多くあるのに、なぜこのような極限世界はあまり書かれないのか(私がただ知らないだけという可能性も大いにあるということを書いておきます。)、それはこのような世界で生まれるドラマを一体誰が好んで読もうとするのか、という問題に起因するのかもしれない。多くの小説家がそう考えてあるいは彼らの終末にわずかに色を付けて発表したのかもしれない。
ただこの本「ザ・ロード」は終末のモノクロームにいっさい色を付けず発表された。それは灰色一色の世界で、読んでいる私たちは作者はどこに色を付けたのか、あるいは読み手である私たちはこの物語のどこに自分なりの色を付ければ良いのか、わからない。私は通勤途中に本を読むのだが、人がぎゅうぎゅう煮詰まった車両の中で半ば吐き気を覚えながら、一体なんで自分はこんな本を読み続けているのかと思ったものだ。
読むのは楽しい。ページをめくる手が止まらない。めくった先には楽しい話なんてないのだが。

この本にはいろんな要素が生々しく、しかしきちんと説明されていない状態でぶち込まれている。この絶望的な本は何がいいたいのか。物質があふれ変える世界で巧妙に隠匿されている人間の本性を露悪的かつ批判的に暴きだしたのだろうか。完全に破滅した世界でいまにも消え去ろうとしている人間の良心をあえて辛辣に書いて、現代に生きる私たちの冷えた心を溶かそうと試みたのか。崩壊した世界でぎりぎりの善(なんなのかはぜひ読んでくれ)を貫こうとする、その試み自体が状況にマッチしているのか。彼らが運んでいるという「火」とは何なのか。
私はこの本を読んで、なるほどこの本はこういうことがいいたいのです、と説明は出来ない。こんなに中身が詰まった本なのにどうしたことだ。私はこの本を飛んで文字通り打ちのめされた。私はただただ圧倒された。私はただ圧倒されるのが好きである。あんぐりと口を開けてただぼんやりと立ち尽くすしかないような、言葉にできない感じが大好きだ。
考えなければいけない問題や、様々な感情が渦巻いているけど、言葉にうまく整理できない感じである。小説や音楽でたまに私をこんな気分にさせるものがあって、私はそれらを愛してやまない。

この本は灰色の本で、最初のページをめくると灰色一色の世界が貴方を待ち受けている。
それは貴方を嫌な気分にさせるだろう。しかし私はぜひ貴方にこの本を読んでいただきたいと思っている。
最後にこの本はかなり装飾性を省いた平素な文で書かれている。(ただし句点が省かれ、会話にも鍵括弧がない独特の文体である。)しかし、比喩や言葉がすばらしく、ほとんど詩みたいになっている。これがあんまりすばらしく、最後に私が気に入ったフレーズを書いておく。このフレーズが気になる人はぜひ本をとっていただきたい。
「いよいよ死が自分たちの上に臨んだようだから誰にも見つからない場所を探さなければならないと彼は考え始めた。坐って少年の寝顔を見ていると嗚咽がこみ上げてくることがあったがそれは死が理由ではなかった。よくわからないがおそらく美しさとか善良さとかいったものが理由だった。」
「本当だよ。みんないなくなったらいるのは死だけになるが死の時代にも終わりがくる。死は道に出てもすることがないしなにをしようにも相手の人間がいない。そこで死はこういう。いったいみんなどこへ行ってしまったんだ?いずれそうなるんだよ。それのなにがいけないかね?」

JinnyOops!/Mother Shock!

日本は南大阪(堺市)のロックバンドの2ndミニアルバム。
2011年にThird Stone from the Sunというレーベルからリリースされた。
普段変な音楽ばっかり私だが、たまには王道のロックを聴きたいということで女性3人組のロックバンドのCDを買ってみた。意外に私GOGO!7188とか好きだしね。(ベストアルバムしか持ってないけどね…好きと言い張るね。)

JinnyOops!といっても実はバンドのことはよくわからないんだけど。私の大好きな大阪のバンド・Birushanahのパーカッショニストの佐野さんのTwitterだかを見てたら名前が出てきてたまたまという感じでかったんよね。
オフィシャルサイトを見ると当初はトランペットなども在籍してスカバンドぽかったらしい。1stミニアルバムをリリースしたのだが、メンバーの脱退があって3ピースになって初めてリリースしたのがこの音源だそうです。

だいたい一曲2分台から3分台のロックを奏でるバンドです。
ギターボーカルに、ベース、ドラムというスタイル。
特別早い訳でも、特別遅い訳でもありません。馬鹿テクな訳でもありませんし、デス声やわめき声も出る幕ありませんし、曲の構成もきわめてシンプルです。
歌詞は「貴方と私と私の悩み」について若者のそのまま感じたような飾らないも言葉で綴られています。四文字熟語を並べてみたり、ちょっと若い、青臭い感じです。
ようするにまあ技術的には凝ってはない訳なんだけど、これがまた格好いいんだな。
うまく説明できないんだけど、デザインって言葉は無駄を省くって意味だって職場の人に聴いたことがある。(違ってたら申し訳ないんだが。)このバンドはシンプルなんだけどすげーデザインセンスというよりは、まあ普通に苦労して作ったらこの形でした、という地に足がついた感じがあってそこに好感が持てる訳です。どんな青臭くても、中二病的でも「いや、僕らこう思っているんですよ」と面と向かって口にされると私としては「お、おう」という感じでそらもうヘッドフォンつけて聴くしかないよね。それでだめなら駄目なんだけど、少なくともこっちとしてはまあ正座する訳ではないけど、聴かせてもらいやすはなる訳です。
まあそうやって聴いてみたらとてもかっこうよいですね、というお話でした。
グルーブ(グルーヴ?)観のあるロックでもって、とにかくギターの音が好みですね。リフもシンプルだけどノリが良い。
ベースは結構ギロンギロンしたソリッドなスタイル。ドラムはぱしっぱしっと軽快なスタイル。
前半4つは疾走感のある曲。後半4つはちょっと速度を落とした曲。
あとは短い曲の中でもタメやちょっとした間があってメリハリがあって良し。
コーラスワークも妖艶な感じというよりはやんちゃな感じでこれまたよし。
ポップって言い切ってしまえるメロディアスさと粗野なロックが見事に融合した8曲があっという間でもっと聴きたい。

という訳で普段ひねくれている貴方。じつは普通のロックも聴きたいんだけど思っているんじゃないでしょうか。そんなときはこっそりこのCDを買うといいんじゃないのかな。

2013年11月4日月曜日

Noothgrush・Coffins/Split

日本は東京のドゥーム・デスメタルバンドCoffinsと、アメリカはカリフォルニア州オークランドのスラッジメタルバンドNoothgrushのスプリットEP。
2013年に日本のDaymare Recordingsからリリースされた。かのSouthern Lordからアナログオンリーでリリースされるようです。CDフォーマットは日本のみだそうな。

日本のCoffinsは1996年に結成された由緒あるデスメタルバンドなのだが、私は恥ずかしながら今作で初めて聴きました。
この音源では2曲収録。ドゥームの要素が多分にあるどっしりとしたいぶし銀のデスメタル。
ドラムは重々しいがシンバルがやたらシンバルを叩いていてやかましく格好いい。
ベースはややもこもこした低音で、ぶぉーぶぉー唸るようなスタイル。
ギターは比較的クリアな音質で音圧がものすごい。ただ異常に低音かというとそうではない。ミドルにどっしり構えて、引きまくるタイプ。とにかくリフが面白くて、ドゥームっぽく低速で這うように弾いてみるかとと思えば、やけにグルーヴィなリズムを刻んできたり。本当に短いギターソロを入れたり、ぎゅいーんとスクラッチしたり、音自体に派手さはないのにここまで多彩なのはすげーと素直に感動。
ボーカルはデス声なんだけど、ちょっと悪いロックっぽさがあって格好いい。
やっていることはオールドスクールなデスメタルなんだが、結構随所随所に工夫があって、聴いていて気持ちいい。アンダーグラウンドのバンドを捕まえてこんなこというと怒られそうだが、思っていたより聴きやすくてビックリ。
2曲は少ないので、最近出たというアルバムを買ってみようかな。

もう一方がアメリカのスラッジメタルバンドNoothgrush。
昔日本のCorruptedとスプリットを出したりでこの界隈では有名なのではなかろうか。
しばらく活動休止していたが、昨今また活動を再開したようです。私もアルバムを1枚、ライブアルバムを1枚持っております。
ドラムがなんと日本人もしくは日系の女性。ちょっと珍しいよね。
しかしヌースグラッシュってバンド名は格好いい。どういった意味なのだろう。
スラッジというとハードコアの要素があって、ちょっとラフかつダーティなイメージがある。EyeHateGodなんかも悪そうだよね。
ドラムが面白くてバスは超重々しいものの、スネアやタム(違ってたら申し訳ない。)はたすって感じで軽快。手数も結構多めで、全体的な曲の速度は遅いんだが、ここら辺でもって単調に陥るのを防いでいるのではないかと。
ベースはひたすら低音という感じで重い。どーーんと伸びるような特徴的な弾き方。
ギターは引きずるようなスラッジ特有の感じ。ブリッジミュートをドゥームメタルほど多用しない所為か、意外に抜けた感じがあって聴きやすい。フィードバックノイズも多めで個人的にはとても好きだ。
ボーカルはこらまたスラッジぽい。前述のEyeHateGodも彷彿とさせるようなわめくような叫び声スタイル。
こちらは3曲収録で曲間にナレーションをコラージュしたりで結構自由奔放にやるスタイル。全体的にノイズと埃っぽい煙たさが充満した怪しいスタイルで大変格好いい。
昔の音源より格好いい気がするんだけど。音の作りがちょっとわかりやすくなったから地下室のような閉塞感がちょっと減退したのかも。ここら辺は好みかも。私は好きだけど。

両バンドともに良いですね。ただ全部で5曲だからやっぱちょっと物足りない。
なんと来日ツアーを両バンドやるんだそうで、気になる人はどうぞ。



ユッシ・エーズラ・オールスン/特捜部Q カルテ番号64

北欧はデンマーク、コペンハーゲンの作家による警察小説。
特捜部Qシリーズの第4弾。前作からちょっと間が空いてしまった。この本はデンマークを代表する文学賞である「金の月桂樹賞」という由緒ある賞を受賞したそうな。
このシリーズはなんと世界36カ国で出版されているとのこと。人気のほどが伺われる。
本の裏表紙に載っている写真を見て作者は渋い強面かと思ったら、意外に優しそうなおじちゃんでした。

コペンハーゲン警察署の地下室にある未解決事件のみを扱う部署・特捜部Q。
メンバーはとある事件で同僚一人を失い、一人は半身不随となり、自身も心身ともに傷を負ったカール・マーク。
謎のシリア系移民アサド。多重人格が疑われる変わり者の女性ローセ。
3人は1987年のある時期に集中した複数の失踪事件の調査に乗り出すが、その背後にはデンマークにかつて存在したとあるおぞましい施設が関わっていて…

過去の3作と同様今作も、おぞましい事件とカールら特捜部Qの面々の軽妙なやり取りのバランスが冴える。カールは終始ぼやき、怒り、叫びながら陰惨な事件に立ち向かう訳だが、相変わらず敵役のキャラ造形がすばらしく、そびえ立つクソの山かというほどの胸くそ悪いサイコ野郎な訳だ。一体この作者というのは自己中マックスで他人への共感能力ゼロの悪役を書くことに関しては昨今右に出るものがないのではなかろうか。
逆恨みストーカー、ねじの外れたボンボン、メソメソトラウマ依存反動マッチョときて、今回は齢88歳の選民思想こってりファシスト医者クソやろうとくるのだから、ページをめくるこちらとしては腹が立ってしょうがない訳である。だいたい悪役がすばらしい作品は良作と決まっているのだから、今回も前3作と比較して全く引けを取らない面白さ。

さて、悪役が完全に悪者だと物語が平板すぎる恐れがあることはわかってもらえると思う。俺正義の体現者、悪者をばこーん、読者スッキリ、というのももちろん面白いのだが、イマイチ深みにかけるのも事実ではないだろうか。
そこにくるとこのユッシおじさんときたら、物語の構成がとても巧みで一連のシリーズの中で常に悪者とそれに立ち向かう正義の警察官カールらのほかに、第三のキャラクターを設置することで、単純な善悪の二項対立から物語をより深いものすることに成功している。それはどちらかというと被害者の立場に近い人々だから、犯罪の残酷さ、陰鬱さがいっそう引き立つ。
また善い、悪いを超越した人の持つ情念だったり、負けない(勝つんじゃなくて)強さだったり、業だったりを警察小説では物語の一つの大きな枠となるべき法と罰の埒外から書くことで、一体何が正義なのかをぐっさり私たち読者に突きつけてきた。私は過去のタイトルの感想で持って、「戦う女性たち」が一連のシリーズで重要なファクターであるのようなことを書いたが、特に2作目「キジ殺し」ではその女性が良いとか悪いとかを振り切って行動する様を圧倒的な筆致でもって書き出し、私はただただ感動したのだが、今作ときたらその要素を引き継ぎつつ、「そうでなかった人」を書ききってしまったのである。
「そうでなかった人」とは何か。これははっきりいって物語の確信に迫る事柄なので、具体的には書けないのだが、ぜひ読んでいただきたい。ある女性の復讐の執念が異様な形で現出するこの本のクライマックスは変な話日本の怪談のような趣がある。思わずううむと唸るような面白さであった。

加えてカールの過去の記憶の曖昧さが露呈し、トラウマの原因となっているステープル釘打ち事件も本編とは関係ないものの怪しい進展を見せて、アサドの過去と同様気になることこの上なし。邪推だが、特捜部Qは問題のある3人を意図的に集めた実験的な意味合いがあるのかと疑ってしまった。次回作以降が気になるところだが、訳者の吉田薫さんのあとがきによるとこのシリーズは全部で10作を予定しているらしく、今作は4個目だと考えると、まだまだ解けなそうである。一読者としては次回作が楽しみでならない。

警察小説の形をとった怪談であるとはいわないが、善悪の向こうにある言葉にできない人間の感情をみごとに書ききった恐ろしい娯楽小説であった。
相変わらずの面白さでいろんな人にお勧めしたいが、まずは第1作目から読んでいただきたいと個人的には思う。

ちなみに1作目の「檻の中の女」は映画化されている。
予告編をどうぞ。
カール・マークもアサドもちょっと若すぎるような気もするが、面白そうだ。日本でも公開されないだろうか。

2013年11月3日日曜日

Slam Coke/First Cookie:Fick Die Bude Kaputt

ベルギーのビートダウンハードコア、デスメタルバンドの1stアルバム。
2011年にGoodlife Recoringsというレーベルからリリースされた。
ベルギーといいつつも実際はヨーロッパの様々な国(フランス、ドイツ、オーストリア)のメンバーにより結成されたバンドらしい。覆面というのではないのだろうが、とにかく調べてもメンバーの画像なんかも出てこない。どうも複数のハードコアバンドのメンバーが関与しているようだが、オフィシャルではないし、私はハードコアはとんとわからん。

クレジットによるとツインボーカルにギター、ベース、ドラムと普通のバンドアンサンブルに加えて、ダブステップとバッキング(具体的にはなんなのかは書いてない。)担当が入って都合7人編成。後の2つの楽器に関しては?と首を傾げるところだが、イントロの前半部分とCDの後半にはダブステップっぽい曲がちらほら入っている。
大所帯でエレクトニクス担当となると私の世代なら真っ先にSlipknotが思い浮かぶと思うんだ。なかなかブルータルなバンドだが、こちらのSlam Cokeはさらにえげつない感じ。洗練されてない暴力的かつ装飾されていないブルータル性がある。

ひたすら重いビートダウンハードコアがベースで、2011年発表のアルバムということで昨今隆盛を極めるそれとは少し毛色が異なる。曲中にビートダウンが挿入されるというよりは、曲が基本的にビートダウン。つんのめるような音の固まり(音の作りはソリッドかつクリアでとても聞きやすい。)が、っが、っがががっ、という感じでリフを刻む。基本は低速なんだが、音がぶつぶつ切れているからドゥームメタルの持つ怪しさやおどろおどろしさはあまりない。ピッキングハーモニクスや曲によってはピロピロしたテクデスっぽいフレーズを多用し、結構メタルっぽい。(「Fashioncore」という曲もあるし、流行もんファックなアティチュードなのかもしらん。)
たまにブラストパートに突入し疾走。が、やっぱり基本は超低速。
そこにボーカルが乗る訳だが、片方はハードコア由来のマッチョ咆哮なのだが、片方がものすごい低音グロウルボイスでこっちは完全にメタル、それもブルデスとかスラムデス由来のドスの利き方でただ者ではない。
要するに相当ろくでもない音作りになっている。
面白いのはメタルとハードコアのバランスで、音使いやボーカルはメタルのそれの影響が大きいのだが、根本はハードコアであると思う。メタルというと様式美の世界でもあるから、それらしい雰囲気を作ることが大きなファクターの一つ。ところがこいつらはあまりそういった飾りっけはなさそうだ。ひたすら暴力的で下品だ。むき出しの拳でがつんがつんと殴るような残虐性でもって、もはや低俗ですらある。
ひたすら強さアピールなマッチョな音楽性なのだが、しかしこれがまた気持ちよかったりする。もったいつけたりしないもんだから、聞いているこちらとしても聴いてうわーーっとなればそれで十分いい気分なんだもん。

またHip-Hopまでとはいわないが、曲毎にゲストボーカル(超ドスの利いた女性もいたり)を迎えて、マイクリレーなんてやるもんだから、意外にバリエーション豊かで良いね。

という訳でひたすらロウなビートダウンハードコア。
下品なくらい暴力的な音楽を聴きたい。ただメタルだと大仰すぎるというあなたにお勧め。
オフィシャルサイトによると今年ニューアルバムが出るそうな。楽しみがまた増えたね。

ジェイムズ・S・A・コーリイ/巨獣めざめる

アメリカの作家によるSF長編。
ジェイムズ・S・A・コーリイ?聞いたことないやという方もいらっしゃるかもしれませんが、この作家はこの本がデビュー作。
全くの新人かというと、実は2人組の作家の共同ペンネームだそうな。翻訳した中原尚哉さんのあとがきによりますと、ジョージ・R・R・マーティンというSF作家のアシスタントを務めていたタイ・フランクという人がおりまして、短編などを発表していましたところ、ダニエル・エイブラハムという人に出会います。ダニエルは既に作家としてキャリアも長く、前述のマーティンとも共作で本を出版したりしておりました。タイはロールプレイングゲームの構想を持っていて、ダニエルとそれで遊んでいるうちに話が膨らんで小説を書くことになりました。それがこの本です。原題は「Leviathan Wake」。なかなか物々しい。タイが冒頭を書いて、ダニエルがそれを書き伸ばす、というかたちで書かれたそうです。
左がダニエル、右がタイ。

いまより未来人類は技術の革新とともに宇宙にその版図を広げ、現在は大きく分けて地球、火星、そして小惑星帯に移住している。
氷運搬船カンタベリー号はあるとき救難信号をたよりに、小型輸送船の救出に向かったところ、謎の勢力に攻撃され撃沈される。カンタベリー号副長ホールデンは仲間たちの復讐を誓うが、様々な思惑から追われる身となる。
一方小惑星帯に所属するケレスでは刑事のミラーが上司から富豪の娘を探す任務を受ける。彼女は豊かな生活を捨て、独立運動に身を投じ、ケレスから失踪していた。
全く立場の違うホールデンとミラーの航路が交錯するとき、巨大な陰謀が宇宙を危機に陥れようとしていた。

惑星感を宇宙船が飛び回る未来といってもワープ航法のようなものはなく、エスプタイン・エンジンという核融合エンジンで持って人類が宇宙に進出してから、そんなに年月がたってない未来(といっても人類が火星に移住し、さらに対立したのが150年前といっているので、今よりはだいぶ後です。)が舞台です。
ねじまき少女のときもそうだったのですが、SFを紹介するときはまずはその世界観や設定の解説が必要になりますね。現在とは大きく隔たったその設定自体がまずSFの醍醐味の一つだと思いますし、また作品の持つ普遍的なテーマに関しても、あえて現代とは異なった設定をすることで生きてくるかと思うので、まずはそこの紹介をば。
まず人類の版図は広がりましたが、人類自体は残念ながら進歩しておらず、3つの勢力は中がよろしくない。地球は故郷という自負とここでしか採れない資源で持って優位性を持っている。火星は地球への憧憬から緑化に力を注いでいて、また技術力では母星を上回り、強力な艦隊を有している。小惑星帯はその生活すら危険で窮屈ですが、税金はきっちり上記の星々から徴収されるので納得がいかない。中でもOPAという組織があって過激に独立運動を展開している。小惑星帯に暮らす人々はその環境の影響で、背がひょろ高くなり、手足も細長い。頭でっかちでベルター(ベルト地帯に住むからだともいます。)と(差別的な意味合いで持っても)呼ばれます。この構図はハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」にちょっと似ているなと思いました。小さい星(々)にすむ人たちの抑圧された構図や、小惑星帯に暮らす人々の生活に通じるものがあります。

さてここを舞台に、世界を揺るがすような事態が出来する訳ですが、主人公は前述の副長と刑事(といっても当局(ケレスでは知事)の認可を受けた民間の警備会社に所属する)の2人の視点でもって交互に物語が進みます。
こういった形の物語は昨今多いですが、やはり複数のバラバラだと思われていた視点が一点に収束する様は面白い。
私ははじめは復讐心に燃える地球人の副長応援していたのですが、読み進めるとどうもこいつは異常に頭が悪い。一見優男の熱血漢なのですが、ひどく自己中心的で、きれいごとばかりいうのだが、結局は自分が気持ちよければいいので、あとに残された人はどんなに大変な事態に陥ったって知ったことはないよ、というなかなかの無能ぶりでちょっとあきれてしまいました。
一方ベルターの刑事ミラーは離婚が原因で酒浸りの日々を送り、自分では有能な刑事だったと思っていたのですが、実は同僚からは昔は出来たけど今は無能だと思われていることが発覚。一度も話したことがない捜査対象の少女に恋心を抱き、とうとう彼女の幻影とおしゃべりする始末で、全く冴えないどころかちょっと病的な破滅願望を持った中年なのだが、こいつが物語の終盤を引っ張る引っ張る。どう見ても冴えない私としてはミラーに感情移入して、大変楽しく読めました。これは全編を通してミラーの恋物語といってもいいかもしれない。頭のたがが外れた中年男のラブストーリーが銀河の危機を背景に一体どこに着地するのか、というところぜひ読んでいただきたい。

また、これは人間の差別がついに宇宙に到達しても根強く残り、それがとんでもない悲劇を招くというお話でもあります。私は昔から未来に対して強いあこがれを持ってて、それの一つに宇宙は(人間の知覚からしたら)無限なのだから、それに内包される資源もまた無限であって、人類が宇宙を縦横無尽に飛び回れるようになればきっと人類から争いの種が一掃され、犯罪はなくならないにしても大きな戦争はなくなるのではないか、と思っているところがあります。
こん本を読むと残念ながらそんなことはないようです。一体この本に書かれていることこそが真実だとは思いませんが、技術の革新が世界を広げた結果、それが人類に新しい何を付与するのか、という問題をぼんやり考えるよすがとはなるかと思います。

この本は実は「The Expanse」という長いお話の冒頭で、長編は全部で6作が構想されているそうです。といってもきちんと謎の説明はされ、物語は決着するのでご安心を。中原尚哉さんの翻訳もとても自然で読みやすいです。スケールのでかい話を読みたいあなたにはお勧めのとても面白い小説です。