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2020年5月4日月曜日

G・ガルシア=マルケス/百年の孤独

この物語のどこが孤独なのか?
この物語に出てくる人々は私達が漠然と南米に抱いている先入観というか固定観念をある程度なぞるようである。
つまり南米の人たちというのは、、、

  • 猥雑で底抜けに明るい。
  • よく飲みよく食べ、色事も多い。
  • 気前が良く、親族を大切にするし、また他人であっても身内のように扱う。
  • 情熱的で優しい。
  • 独特の死生観と宗教を持ち、その明るい生活には流血が伴う。
  • 彼らの生活には死が隠しようもなく存在感を持ち、異なる文化圏に属するものからすると不謹慎や唐突という印象を抱くこともある。

要するに孤独とは一番縁遠い人たちに見えるわけで、この蜃気楼の村マコンドが地上に存在するその100年間は概ね熱狂の年月と言っても良い。
彼らは常に誰かといて愛し合い、食べ、そして眠っている。
一人でいるということはほとんどなくて、小さい頃は本の虫であってもそのくらい穴蔵からいずれ出て他人と愛し合うか、もしくは殺し合う。
そうブエンティアの一族の男性はまたよく戦い、よく殺し合ってもいる。

彼らは他人と関わることで生きている。
愛するにしても、殺すにしても他人との関係性があり、つまりここのどこに孤独があるのか?


微笑みの爆弾と孤独
突然だが冨樫義博さんの漫画「幽遊白書」のアニメ版の主題歌、馬渡松子さんの歌う「微笑みの爆弾」という歌をご存知だろうか?
こちらの冒頭の歌詞を読むと、孤独には2種類ある事がわかる。
つまり、誰もいない環境での孤独と人がいる中での孤独の2つが。
前者のほうが希望がある分、後者のほうがより孤独であるだろう。
この百年の孤独というのはこのとき間違いなく後者の孤独である。
マコンドのブエンティアには常に人がいて、そしてたいてい騒がしいのだから。

彼らは大家族で、妻や愛人その子ら孫らに囲まれ、その気前の良さから親族ではなくても慕う人も多く、同時に敵も多く命を狙われることもあるが、それでも孤独なのだ。
なんでだ。
彼らは愛し合っているのでは???


愛の不在=孤独
物語の終盤、百年の中でようやく愛によって生まれた子供がいた。
それまでのブエンティア家には愛によって生まれた子供がいなかったのだ。
彼らの百年の楽しい喧騒の中には実は愛がなかった。

つまり孤独というのは愛の不在ということになる。
じゃあ愛ってなんだ?
この南米の人達は情熱的に愛していたのでは、恋人を、子どもたちを。

彼らがただただ殺し合いをしていたというのではない。
例えば独善的な(つまり変わった考えを頑固に持っている)アマランタやフェルナンダにしても彼女らの恋人や子供を自分なりの方法で愛していた。


愛の正体と成立の困難さ
愛って難しいって話で、愛というのは片方が愛していてもだめだし、またお互いに愛していてもそれが通じ合っていなければだめだというのです。

よくよく読んでみると愛し合っている二人でも本当に通じ合っているケースは本当に少ない、というか作者によると最後の二人以外には誰もいない。
彼らの愛は性欲由来でただ消費するようなものだったり(これは非常に多い、大佐の17人の子どもたちなど)、相手を思った愛でもその対象には届かないというかむしろ害になったり(フェルナンダとメメの親子関係など)、通じ合ってはいなかった。
ウルスラはそういった意味で象徴的な存在。文字通りブエンティア家の地母神的な存在で異常な長命で孫の孫の孫の〜くらいの子孫までその手で育て上げた。ウルスラは子孫たち、その妻たちを限りない愛をもって接したが、誰もそれと同じようにはウルスラを愛さなかった。彼女はそういった意味では孤独を象徴しているキャラクターでもある。


神を必要としない世界の酷薄さと
愛を実現できる可能性としての人間のポジティブさを歌う
いつからかマコンドに置かれたキリスト教会とその牧師もうまく動いているとは言い難い。
彼らは百年にわたって部外者である。
神がいないで完結している世界。
愛に神は必要ない。
本当は人間だけで完成するのだ、この世界は。
流血と嘘、弾丸とナイフ、謀略で汚れたこの地を地獄と呼ぶのは勝手だがこの混沌の中でも人間には可能性があって、でもそれが人間の愚かさで実現できないのは悲劇であり、そして喜劇でもある。

前述の通りようやく完成した人間の愛、しかしそれもまた儚く終わってしまった。
ここにあるのは本来の野蛮な世界である。
直接の引き金が人間の怠慢であっても、自然本来の残酷さが強調されている。

欠点のある他人を愛することは難しいなら愛し合うことは更に困難だ。
しかもそれがきちんとお互いに通じ合うとなるとこれはもう奇跡だ。
「百年の孤独」はその奇跡に至る道、ではない。
読めばわかるがマコンドの、ブエンティア家の百年は繰り返しの百年でもあった。
つまりループだった。
愛し合い、殺し合い、食べ、排泄するループ。
その中でやっと生まれた愛がどうなったか?

ガルシア=マルケスは「百年の孤独」で人間に絶望しているわけではない。
たとえ百年ごしに生まれた愛がすぐに終わったとしても、この神ですら役に立たない、残酷な暗闇の世界で愛の火を灯せるのは人間だけだ、と言っているように私には思えた。
つまりゴールがある(愛が生まれた!よかった!完!という)物語ではなく、この世界、そこに住む人間が持つ可能性をこの長い物語に込めた、(消えた愛がまた生まれる可能性があることを示唆する)終わることのない人間讃歌であった。

2015年9月5日土曜日

ガブリエル・ガルシア=マルケス/族長の秋

ノーベル文学賞も獲得したコロンビアの作家による小説。
1975年に発表された。
この間のボルヘス「砂の本」に続きラテンアメリカ文学。別に意識していた訳ではないのだが、Amazonで購入。著者の本は学生のとき「エレンディラ」、社会人になってから「予告された殺人の記録」を読んだ事がある。特に後者はとても面白かった。

恐らく南米の架空のある国。そこでは年齢200歳以上と言われる大統領が100年以上も絶大な権力を握り、気まぐれに悪政を敷いていた。ある日市民は大統領府で死んだ彼を発見し、その独裁時代に思いを馳せる。

「予告された殺人の記録」が念頭にあったものでまずこの本の文体に驚いた。登場人物の思考の流れをそのまま文字にした様な独特の分は、段落が皆無で、読点が少なく一文が非常に長い。ときに主語と述語が齟齬を期待してきちんとした文体を保ちきれていなかったりもする。場面が時空を超えてころころと展開する。語り手が入れ替わり、まるで沢山の人物がしゃべっている言葉をそのまま無理矢理つなぎ合わせた様な印象である。だから非常に読みにくい。戸惑う。いま何を言っているんだっけ?となるのだが、これが物語の根幹でもある。
さてそんな読みにくい文体をどうにか功にか読んでいて思ったのはこれは寓話なのかということだ。言うまでもなく独裁体制を書いた小説だが、辛辣な風刺小説(勿論ではあるのだろうが)というと大分趣が異なるように思う。ひとつはどうにも弛緩した雰囲気が全体を覆っている。じゃあぼんやりとしているのかというと全然そんな事はない。強烈な太陽と湿気で蒸された大地で血や肉がはぜる様な生命力と生々しさに満ち満ちている。そんな土地での大統領は残虐の限りを尽くしていく。例を挙げよう。国営の宝くじで多額の金を集める。当選は子供が袋の中から文字の入った玉を拾い上げる、という公正なもののはずが大統領は一計を案じ、いかさまをしてのける。いわば国民を騙してその金を巻き上げる。とすると秘密を知る子供たちが危険だというので、親から引き離して国中をたらい回しにした挙げ句、最後は処遇に困って二千人の子供を乗せた船を爆破し皆殺しにしてしまう。関わった将校を特進させた後、それを剥奪しこれも殺害させてしまう。もう一つ群衆に見知った顔があるとしてとらえる。顔を知っている様な気がするがはっきり誰と思い出せないので拷問するが、男は大統領にあった事が無いただの市民だった。しかしその後22年も投獄した上に最後は殺してしまう。鬼の所行であるが、この限りではなく大統領は残虐非道の限りを尽くす。大悪人であるが、頭が良い訳でもなにかの目的がある訳ではない。つねにのらりくらりとしていて真意が掴めない。そのうち真意なんか無くてただ気ままに行動しているだけだと読者はすぐに知るようになる。思いつきで人を不幸にする大統領の姿は無邪気でそれゆえグロテスクでもある。熱い太陽を持つ南米の土地はこういった生々しい血なまぐささは良く合っているのかもしれない。
そんな独特な雰囲気と異常に長生きする大統領、どこかしら現実感が無いおとぎ話感を持ってして、寓話っぽいなと思う訳である。思うにこの大統領は長生きというよりは不死だったのではあるまいか。きっと絶大な権力を持った瞬間に娼婦の母親を持つ貧しい父無し子から超越者になったのだろう。きっと彼は永遠に生きられるはずだった。寛大な南米の土地は彼の残虐さも受け入れたのだろうが、それも遂に命運つきてしまった。かつての彼は民衆の一人一人の名前を空で回答できたらしいが、今は誰を見てもその違いが分からなくなってしまった。悪政は彼を次第に孤独にし、騙していた国民に欺かれるようになる。彼は老いて弱ったのではなく、孤独が彼を老いさせたように感じた。誰からも顧みられず、途中までは殺したくらい憎まれていたのに最早忘れ去られつつある中で権力とともに不思議な力が失われていき、最後は遂に死神に捕われた。人から忘れられるのは死ぬより辛いのかもしれない。権力の厚い膜は彼を人から強烈に隔てた。広すぎる世界で否応無しに増えていく人の中で、孤独はその強さをいや増した。例えば山中に一人なら孤独は気にならないのかもしれぬ。何なら山を下れば良い。だが彼にはそれが出来なかった。変な話悪人をやめる事も出来たはずなのに、遂に権力という宝玉を手放す事が出来なかった。自分が騙されている事を最早確信していたのにだ。この本を読んで彼のようになりたいという思う人はいるだろうか。

決して読みやすい本ではないので簡単にオススメは出来ないのだが、圧倒的な孤独感を味わいたい人はどうぞ。

2014年1月13日月曜日

Quantic/The Best of Quantic

イギリス人のミュージシャン、プロデューサーによるベストアルバム。
2011年にTru Thoughtsからリリースされた。
ベストアルバムって今ではあまり買わなくなってしまったね。というか日本のメジャーなアーティストはベストアルバム出し過ぎなんじゃないだろうか。まあ一番売れるんだろうけどさ。

Quanticはイギリス人のWill Hollandのプロジェクト。Hollandはイギリス生まれ、本国でミュージシャンとしての地位を築いた後、2007年に南米のコロンビアに移住している。

初め私はジャズっぽいテクノかなと思ってこのCDを買ったんだけど、兎に角Will Hollandという人の懐の広さに驚かされるのは、かなり多岐にわたりジャンルを横断したようなその音楽性である。
ジャズやファンク、ソウルやボサノバはてはトリップホップ(なんとPortisheadの超名曲Wandering Starのカバーも収録されている(これはすごいファンク調だけど))まで兎に角幅が広い。ただ共通して黒人の音楽というか跳ねるようなビートが共通して根底にあって、どの曲も曲調は違えど聴いていると楽しくなって体を揺らしたくなるような音楽である。恐らくHolland本人はプロデューサーというか実際にすべての楽器を自前で演奏している訳ではないのだろうと思う。すべての楽器はかなり自由奔放に演奏している印象なんだよね。このベストアルバム聴いて思ったのは、兎に角楽しそうな当事者感がすごい。プロデューサーといっても上から目線で指図して作っている感じじゃないんよね。

音楽的な基本ははっきりしたビートが主体のブレイクビーツだからとても聴きやすい。ここが屋台骨になっていて、その上に多種多様な音楽をのせてみたって訳だ。
ボーカルもしゃがれた男声、南米情緒たっぷり名伸びやかな女声。アコースティックギターの鋭いのに柔らかな音色。トランペットを始めとした歌うような管楽器。そして跳ねるようなピアノ、ピアノ。私はピアノの音が大好き。暗い曲も良いけど、こういうのもたまには悪くないね。
全体的にすごいクールなのにアツい感じ。というのもやっぱりすぐそこで演奏している臨場感がある。今臨場感のない音源なんてのが珍しいけど。とはいえ演奏している人の息づかいまで聞こえてきそうな音楽というのはなかなかないよね。

本人のQuantic名義だけでなく、様々ミュージシャンとコラボした別名義の曲もたくさん収録されていて、本当にいろんな音楽が楽しめる。ただどれも基本がしっかりしているから以外に私のような門外漢でも聴けちゃうんだよね。
2枚組の大作なんだけどその音楽性もあってか結構通して聴けちゃいますね。
という訳で楽しい音楽聴きたい。能天気な奴じゃなくて生音のやつ!という方には非常にお勧めできるアルバムです。

私はこの曲聴いてこのアルバムを買ったよ。