嫌な映画である。
ノワールというのは権謀術数、裏切り渦巻くどろどろした世界だが、最後は結局暴力がモノを言うわかりやすいジャンルでもある。
しかしこの映画はどうもすっきりしない。
結論から言うと登場人物が全員嫌な奴だから、ということになると思う。
「全員悪人」というキャッチコピーが非常に印象的な北野武監督の一連の「アウトレイジ」シリーズ。
たしかに凄惨であるし、登場人物全員が悪人だけあってどいつもこいつもろくでなしばかりである。
北野武の美学に則ったラストもいかにも虚無的だ。
しかし不思議と見た後はスッキリする。
映画というのはたいてい登場人物に感情移入してみるものだ。
そうなると俄然物語に興味が出てくる。
身近に感じられてリアルに思えてくる。
手に汗握る。
「アシュラ」でもそのプロセスは起こるわけだが、こちらの映画は登場人物が全員クズなのである。
クズと悪人はちょっと違う。
北野武の描くキャラクターたちは近寄りがたい暴力的な男ばかりだが、どこか愛嬌がある。
会話や仕草に愛嬌と笑いがある。
北野武自身が芸人であることに結びつけるのはいささか短絡的で、たいていどんなノワールでもそんな共感しやすい、というよりは応援しやすいスキが作られている。
もしくは悪いが格好いいのだ。
「アシュラ」の登場人物たちにはそれがない。
主人公はうまく立ち回っているふうだが、実際にはかなりドジを踏んでいるし、病気の女房を看病しながらも浮気はしている。
すぐにカッとなって後先考えずに行動する。
ガキ扱いしていた後輩が上司に気に入られているのが気に食わない。嫉妬する。
悪辣な男パク市長はサイコパスである。
こういうキャラクターは大抵サディストのように書かれることが多い役柄だが、この映画はそんなキャッチーなことはしない。
単に権力と金にとりつかれた汚い男である。
イカれているが魅力的ではないのだ。
検察側のキムも一見寡黙でできる男を装っているが、いざとなると頼りにならない。
情けない。
みんな欲望が人一倍強いわりに、痛がりですぐに保身に走る。
かっこよくない。
ここで描かれているのは確かに邪悪だが、それはフィクションにありがちなロマンティックな狂気ではない。(この言葉は春日武彦さんの本の名前から拝借した。)
私達が抱くありふれた、小心な欲望から生まれた狂気なのだ。
これは見ても面白くない。
むしろ自分が心中密かに抱えている欲望を見せつけられているようで気分が悪い。
かっこよくないクズがかっこよくないクズと争う。
これはすっきりしない。
大量の血、痛々しい暴力という装置によって緊迫感だけが高まっていくが、ラストのラストまでそれが解消されることなく終わる。
私達全員を糾弾しているわけではなかろうが、暴力とはこんなものだ、と汚物を叩きつけているようでその姿勢に顔をしかめながらもどこか楽しくなってしまうのだ。
何回も見たいような映画ではないが、この作りの底意地の悪さにはゾクゾクした。
よいね。
韓国映画はやっぱりやりすぎで、残酷でとても面白い。
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