2020年11月15日日曜日

ナオミ・オルダーマン/パワー

今年面白かったゲームと言えば「Ghost of Tsushima」だろう。

開発元であるサッカーパンチが2009年に発表した「インファマス」というゲームは手から電撃を放つ男が主人公のオープンワールドゲームだった。

また、冨樫義博の漫画「ハンターハンター」でも登場人物の一人キルアは雷を操る。

ハリウッド映画の「アベンジャーズ」に登場するトールももとは雷神で、雷神というのは日本含めて様々な国の神話に登場する。

雷というのは、単に力の象徴にとどまらない。

超自然のちからなら、別に念動力でも炎を操る力でも良い。

雷というのは天から地に落ちるから、これは神性を帯びたもので、それを人が使うということはいわば由緒のある天上の存在から人間に下賜された形になる。

つまり雷を操るということは天意を得た、ということの暗示になる。


この本では雷を手に取るのは女性たちである。

作中でも言われているがこの力を得た状態というのは弾が装填された銃を持っているようなものだ。

世界中で銃で人命が失われているが、悪いのは銃だろうか?

いや、それを使う人間が悪いのだ。銃はどこまで行っても道具だからだ。

つまり、力というのはあればそこに秩序をもたらし、また暴力や死を呼ぶ。

たとえ天から授けられた力であっても使う人間によってその結果は様々でこの本が面白いのは、力を得た女性の変遷を素直に書いているところだ。

つまり女性の男性化である。

端的に言って暴力的になる。

思考が力に立脚しているから、力づくでものを得、力づくで異性をレイプするようになる。

オルダーマンはこの作品で女性らしさは生得のものではなく、環境が形作るものだと定義している。

つまり女性が力を得れば女性らしさが失われ、社会的に弱い場立場になった男性がその代わりに女性らしさを身に着けていく。

当然この世界では、おしとやかで異性に従う性質は男性らしさと呼ばれることになり、女性はこの気質と振る舞いを男性に求め、そうでなければ男性を虐待するだろう。

女性が力を得れば女性らしい世界、優しく生産的な世界が成立するのだろう、というのは幻想であると言っている。


男性は夜一人で歩けない、襲われるからだ。

もし夜道でレイプされ金を取られたとしよう。

警察に行くとそこは女性警官でいっぱいである。

襲われたと訴えると、あなたが犯人を誘惑したのでは?と言われるのだ。

そんなバカな、と男性のあなたは言うかもしれない。

しかし女性は今そういう立場にある。

この男女の逆転を回す力になっているのが女性に与えられた新しい力、雷である。

何を馬鹿な、腕力も武器もあるぞ、と思うかもしれないが、男性が女性に基本的に上から目線で接することができるのは潜在的に力が、つまり腕力が強いという点によっている。

いざとなれば殴っちまえ、というわけだ。

例えば相手が見るからに反社会的勢力のような外見をしていたり、筋骨隆々の男性なら女性には攻勢に出る男性もほぼ100%態度が変わるだろう。

男性が実際に力が強いことを根拠に女性に対して潜在的に自信を持っている。

これが作中では装填した銃に例えられているが、雷を得た女性は雷によってこの自信を獲得したわけだ。


せっかく世界に平らかにする力を天から得たのに、バランスが逆転しただけで結局力によって一報を制御搾取する構造は変わらない、という円環の物語でもある。

砂時計を逆にしたかのごとく、世界の構造は変わらない。

女性優位の世界はディストピアだとすれば、いま男性が女性を力で抑えている状況がすでにディストピアである。

大切なのは、男女いずれかが優れているわけでも劣っているわけでもないということだ。

女性の作者がこれを書くことは大変だったと思う。

なぜなら力の弱い女性が力を持ったら男性に対する積年の恨みを晴らしてスッキリ、という物語になるのが人情ってものだからだ。

天に与えられた力が人間界を変えられないなら人間の力で変えていくしかない、というメッセージを私はこの本から受け取った。


2020年10月25日日曜日

ハーバート・ヴァン・サール編 金井美子訳/終わらない悪夢


イギリスのホラー・アンソロジー。

収録作品は下記の通り。

  1. 終わらない悪夢 ロマン・ガリ 著
  2. 皮コレクター M.S.ウォデル 著
  3. レンズの中の迷宮 ベイジル・コパー 著
  4. 誕生パーティー ジョン・バーク 著
  5. 許されざる者 セプチマス・デール 著
  6. 人形使い アドービ・ジェイムズ 著
  7. 蠅のいない日 ジョン・レノン 著
  8. 心臓移植 ロン・ホームズ 著
  9. 美しい色 ウイリアム・サンソム 著
  10. 緑の想い ジョン・コリア 著
  11. 冷たい手を重ねて ジョン・D.キーフォーバー 著
  12. 私の小さなぼうや エイブラハム・リドリー 著
  13. うなる鞭 H.A.マンフッド 著
  14. 入院患者 リチャード・デイヴィス 著
  15. 悪魔の舌への帰還 ウォルター・ウィンウォード 著
  16. パッツの死 セプチマス・デール 著
  17. 暗闇に続く道 アドービ・ジェイムズ 著
  18. 死の人形 ヴィヴィアン・メイク 著
  19. 私を愛して M.S.ウォデル 著
  20. 基地 リチャード・スタップリイ 著

ホラー大国のイギリスのアンソロジーは別段珍しくはないのだろうが、そんな中この本は面白い特色を打ち出している。

それは無名の作家の作品を多く収録していること。

名前と作品リストくらいしかわからない、あとの経歴は不明、という作家の作品がかなり収録されている。

だいたいいくつかアンソロジーを読んでみると、その中のいくつかはかぶってくるものである。「くじ」とか「猿の手」とか。それらを改めてじっくり読む、というのももちろん面白いが、まだ見たことのない作品を読みたいのが人の心。

この本はそんな気持ちに答えてくれる一冊。

つまりこれからホラーを読みたいという初心者にはおすすめできないかもしれないが、有名所は結構読んだという怪談蒐集家には非常におすすめ。

マイナー作品だからメジャーな作品のようなダイナミックさはないが、「無名だからつまらない」という理論はこんなブログを読んでいる方なら全く成立しない、ということはご存知だと思う。

あと面白いところでいうとあのジョン・レノンの作品も収録されているからビートルズ好きな人は買わないか。。。


アンソロジーのいいところは編者の個性やそのジャンルに対する好みが表れてくるところだと思う。

この本の収録作はゴースト、スラッシャー、幻想と比較的ページ数が少ないことと前述の無名な作家でも収録することを抑えつつジャンル的には多岐にわたっている。

ただ明確に多いのがいわゆるいまでいう人怖というジャンルで超自然の要素の有無や、その過多はあれど、人間が狂気に陥って結果的になにか事件が起きる、という形式の作品が多い。

じゃあ何が人を狂わせるか、ということなんだがこの編者のヴァン・サールはこれはもうはっきりと「執着」というビジョンをはっきり持っていたようだ。

金に対する執着、女性に対する執着、愛情に対する執着とその欠如に対しての一方的な復讐、息子娘に対する執着、いろいろな欲望がコレクションされていてさながら奇妙な博物館の様相を呈している。

暴力や黒魔術はあくまでも手段に過ぎない。本当に怖いのは人間だという説教よりは、怪異は外から来るのではなく内側から発生する、という視点が強調されている。

救いのない世界、神も仏もないこの世界で人間が獣性むき出しで殺し合う、そんな薄皮一枚の虚構を取り去ったあとの世界の本質、それがフィクションでもなかなか鬼気迫る編者の気迫が感じられないだろうか。

聖職者が卑劣な悪に見を染める⑤なんかはとくにその神聖への過激な問いかけにも見える。

ただもはや寓話的になっている⑰はどうだろうな、結局天国化地獄に決めるのは人間次第、ということだろうか。これは典型的とも言える物語だが私は結構好きだ。


2020年10月11日日曜日

マーガレット・アトウッド/オリクスとクレイク

 


ジョン・クロウリーの「エンジン・サマー」に似ているがあそこまでぶっ飛んでいない。

本作で描かれる、表紙のヒエロニムス・ボスの絵画のように奇妙な世界はこの私達のクラス世界の延長線上にあるのだ。

故にこの小説は荒唐無稽な世界を描くSFでありながら、ありうる可能性としての破局を描写することで現社会体制の汚点を鋭く指摘するディストピア小説でもある。


ディストピア小説は扱う題材が社会なのでマクロな視点になりがちだが、この作品は終始ミクロな視点で進行するのが面白い。

ここはオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」に通じるところがある。

ただしハクスリーは主人公の今が最悪な未来を描いていく一方、今作では主人公の過去にフォーカスすることでいかにこの奇妙な終着点に人類が、そして主人公が到達したのかということを描いていく。

つまり謎解きの仕組みがあってこれがエンジンになって読者にページを捲らせていく。


格差社会がさらに加速し、持てるものの天才はかつての神の領域に躊躇なく踏み込んでいく。

ある意味では増長した天才が倫理観の欠如によって世界を崩壊させた。

主人公スノーマンことジミーは壁の中=持てるものの子息として生まれたが、彼には支配者の一員たる才能はなかった。

彼は天才たちがめちゃくちゃにした世界をなんとか彼の才能、演じる才能、人を引きつける才能、言葉を操る才能によってなんとかつなぎとめようとする。

生まれついての根っからの傍観者であった彼は思い上がりで破壊されて生まれたいびつな世界をいわば育てる役目を課された形になる。

ジミーは上級市民だったが社会構造に疑問を持ち下級市民に下った(まだ発展途上にあった少年のジミーを捨てた)母親、そして育児に興味のない父親のもと生まれ、両親の愛情というものを知らない。

それ故他人を常に求め、その演技と言葉の才能と人を見抜く明晰な分析力で愛情には事欠かなかったがどれも長続きしなかった。

そんな彼が天才たちが勝手に作り変えてネグレクトした新人類の教育役を引き受けさせられることになるのも構造的に良くできている。


人類に似ながら全く違う性質をデザインされた新人類は劣悪な環境でも生き抜くことができる能力がありながら精神的には非常に未熟でまた旧人類から見てあまりに異質だ。

スノーマンもそんな彼らとシンからわかり合うことはできないだろう。

オリクスとクレイクというのはスノーマンことジミーが本当に愛した二人だが、しかしジミーは結局二人のことを本当にわかっていたのだろうか。

大切なことはいつもはぐらかすミステリアスなオリクス、そして天才だがずっとジミーの親友だったオリクス。彼の真意は私にとっても他の読者にとっても大きな謎である。

スノーマンの新人類に対する献身もジミー時代の二人への愛情と恩義、そしてクレイクへの罪悪感もあったろう。

決して他者とわかり合うことのできない旧人類と、争いのない新人類を見ていると天才クレイクのやりたかったことが単に冒涜とも思えないのは私だけだろうか。

彼は彼なりにこの状況を憂い、根本的な解決を目指していたのかもしれない。

たとえ人類が異形になりはて、その前に旧人類が全員絶滅しようとも存続させようとしていた人類という種をより大きな視点で愛していたのかも。


この「オリクスとクレイク」は同じ世界観を共有するマッドアダムという三部作の一作目だそうだ。今のところこの次作は翻訳されているのでそれは読む。

非常に面白かった。

2020年9月22日火曜日

ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト/ボーダー 二つの世界


収録作は下記の通り。

  1. ボーダー 二つの世界
  2. 坂の上のアパートメント
  3. Equinox
  4. 見えない!存在しない!
  5. 臨時教員
  6. エターナル/ラブ
  7. 古い夢は葬って
  8. 音楽が止むまであなたを抱いて
  9. マイケン
  10. 紙の壁
  11. 最終処理

①は映画の原作。⑦は映画化した作品(「ぼくのエリ 200歳の少女」その後「モールス」として再映画化)の関連作。

私は両方見ていない。


③④⑤はホラー。ただしいずれも登場人物の認知を通して描かれているので、一体異常な事態が進行しているのか、それとも主人公が狂っているのか、読者は判別できない。

柳を幽霊と間違えているのか、それとも世界の真理に気が付き日常がベリベリ音を立ててめくれていくのか。

いわば日常と非日常はつながっていて、そのボーダーは非常に曖昧である。


②⑪は純粋にホラーエンタメとして楽しむことができる。

ここでは日常と非日常が(怪物・ゾンビ)明確に分かれていて、主人公たちはその一線を否応なく飛び越えることになる。

明確なボーダーが提示されている。


面白いのが⑥と⑨。

⑨は社会性がある設定で困窮する世界から異常の世界の存在を知り、自分の決断でそちらの世界に足を踏み入れるはなし。娘の死で精神に異常をきたした夫を貧困の中で介護する彼女は正常な世界の被害者で、異常な世界に加担して自分を足蹴にした世界にささやかな復讐をするという流れ。

⑥は異常な世界を垣間見るのだが、自分の決断でそこに足を踏み入れることを拒否。真理に気が付き力を得た夫とは対象的に普通に生きることを選んだ主人公。

ボーダーを提示され、いずれの側に自分の居場所と定めるか、という問題を提示される。


表題作でもある①は、⑥と⑨の構図をさらに推し進めたもの。

謎をはらむ物語で、進行とともに明確なボーダーが主人公と読者の眼前に浮かび上がってくる。

主人公はこのボーダーを飛び越えるわけだが、そこには自分のルーツを知り、自分の出自の由来を知るという過程があり、ボーダーを飛び越えるというよりは生まれてからずっと異郷の地で生活を捨てて、自分のふるさとに立ち返る話でもある。

つまりこの物語だけ、ボーダーを超える動きが2回ある。


作者の共通した作風なのか、選定がいいのか、作品のバリエーションが豊富な割にはとにかく境界という共通のテーマがあって統一感がある。

全編を通してボーダーのあちらもこちらも楽園ではないと描かれているのがシビアなところか。逃避先としてのあちら側は提示されておらず、むしろ⑦では明確にこちら側での幸福が描かれている。

向こう側は常に魅力的だ。現実に疲れているものたちにとっては特に。正気の逃げ場としての狂気なのか、異形として夜の世界に生きるのか、いずれにしても楽でも楽しそうでもない。このビターさが良い。

2020年9月6日日曜日

フラナリー・オコナー/フラナリー・オコナー全短編

フラナリー・オコナーは1925年にアメリカの南部で生まれた作家で、39歳の若さで自己免疫疾患でなくなった。
短編小説の名手と呼ばれ、優れた短編に贈られるオー・ヘンリー賞を3度受賞した。
彼女の全部の短編をまとめたのがこちらの2冊。

オコナーの短編はだいたいアメリカの南部に住む人々の風俗、生活を描いたもの。
例えば同じ南部でもスタインベックの描くそれとは風景や光景は似ていても、受ける印象は遥かに異なる。
描かれる世代が違うこともあるけど人間の表現に決定的に差異がある。
スタインベックは虐げられても誇りを失わない素朴だけド強靭な人々として南部人を描いたが、オコナーの描く南部人は徹底的に自分本位でときにグロテスクでさえある。

オコナーは敬虔なクリスチャンであったそうで私には読んでいる間それがずっと不思議だった。
「善人はなかなかいない」という作品があるまさにそのとおりでオコナーの描く南部人は、無知で傲慢で差別意識が非常に強い。
登場人物の殆どがそうである。登場人物に好感をいだくことは非常に難しいだろう。全員嫌なやつだからだ。

■描かれているのは地獄
オコナーは地獄を描いていると思う。
彼女の小説には暴力が出てくる。
度々出てくるわけではないからむしろ効果的である。
私は彼女の小説には死の匂いがするから地獄だというのではない。
フラナリー・オコナーという人は「人がわかり合えない」という状況を書いていて、それが地獄だと思うのだ。
バベルに怒った神が人間に複数の言語を課して互いの意志が通じることを困難足らしめたが、その罰が今でも続いているように思える。
むしろもっと悪いか。人間は同じ言語で話しても互いを理解することができないのだから。

■人間の最も親密な関係のミクロという意味での親子関係
オコナーはよく家族、親子関係を描く。
(出番の少ない父親はおいておいて)出てくる母親というのは確かに根は優しくて子供に対する愛情もあるんだろうが、総じて過保護で子供をいい年になっても子供扱いしている。
一方子供の方でも独立心があっても結局親から離れらずに恩恵を受けている割には非常に傲慢である。
オコナー自身南部に生まれ大学院への進学をきっかけに南部を離れ、作家とのキャリアが始まった以降は実家に戻るつもりはなかったようだ。
しかしその後父親と同じ難病を発症し、故郷に戻り終生母親と暮らした。
この実体験が反映されているのではと思う(がもちろん実際のところはわからない)。

彼女がしばしば親子関係を描くのはそれが最も親密な人間の関わり合いだからだ。
それすらも、わかり合うことが殆どない。
最悪いずれかが死ぬ、さらには一方がもう一方を直接的または間接的に殺めてしまう。

■不和の要因
わかり合えない、というのは何が原因なのか。
これらの物語に出てくる人たちというのは基本的に変わることがない。
人の言うことを聞かない。
この世界では「(論理的な意味での)明晰な思考(≠正しさ)」ということがほとんど意味をなさない。
なぜなら論理的な正しさを受け入れる人がほとんどいないからだ。
『床屋』では明確に知性が数に敗北するシーンが書かれている。
いわば衆愚であって、これの前には進歩が立ち行かないのである。
『強制追放者』ではナチの迫害から逃れてきた人々に対する無知と差別が描かれている。
また『障害者優先』では人間の優れた性質である親切さ思いやりを実践するのがいかに困難か描かれている。この物語は2方向に対する優しさとその失敗、人間の思い上がりを描いていて面白い。

■まとめと宗教の意味
フラナリー・オコナーの各世界では人はお互いに好きなことを言い、他人の言うことは聞かない。
みんなが自分が一番世の中で苦労し一番不幸だと思い、他者を口だけ達者でよく喋るだけの怠け者だと見下している。
彼らがその境遇に甘んじているのは彼らの努力が足りないからだと思い、自分の今の暮らしがただの幸運の上に成立していることを理解しない。
大人だけでない、子供もそうである。
他者への優しさは自分の傲慢と、そして他人を信じられない心から必ず失敗する。
このわかりあえなさと、理解への失敗がオコナーの短編をして地獄だなと思わせるのだ。

私は仏教徒でもキリスト教徒でもないが、キリスト教はたとえば念仏を唱えれば悪人でも浄土に行ける、ってわけでもないらしい。少なくともオコナーはそう思っていた。
いわば様々な欠点をもったマイナスの人間が、プラスになるには何が必要なのか。
極端な話、オコナーは人の力では無理だと思っていたフシがある。
そのマイナスからゼロを経てプラスになる過程、飛躍が神の恩寵ではないか。
『善人はなかなかいない』のラスト、または『長引く悪寒』、または『障害者優先』『家庭の安らぎ』のそれぞれのラストでも良い。
苦い結末にかすかに登場人物たちの心の変化が見て取れるはず。
この転化が神の恩寵とオコナーは捉えているのではないか。
オコナーは暴力が神であると考えているのではなくて、その暴力が気づきのきっかけになる場合があるということだ。
敬虔さというが、かなりストイックに見える。

■是非読んでどうぞ
この本を読んでアメリカの南部はやっぱり差別意識が強いと感じるなら浅すぎる。
いわばオコナーは人間の欠点を強烈に南部の風俗に投影したのだ。
登場人物に共感は全くできなくても、彼らの一部一部に自分の姿を見るだろう。
オコナーの短編はそういった意味では非常に普遍的な物語であり、いつの時代でも決して色褪せることがないだろう。
うんざりするようなぬるい地獄の中に、汚い都会の空に瞬く星のような救いがかすかに見えるかもしれない。
格差と差別で相変わらず揺れる現代、あえてこの本をとっても良いのでは。

2020年8月2日日曜日

スコット・スミス/シンプル・プラン

仕事で疲れて帰ってきてようやくくたくたになった体を布団に横たえる。
ひどい疲労のためか、明日への不安のためか眠れなくなるときは自分がふとしたことで金持ちになったことを考える。
会社はやめる、都心に部屋を借りるか家を買って昼まで寝る。
車を買うならこの車種、ハイブランドの服も買う。
そんな事を考えている間に眠りにつき、また死んだ顔で朝の電車に揺られる。

現代生活では金持ちになるというのはもうおとぎ話だ。
なるほどベンチャー企業の台頭で嘘みたいな出世を遂げる、誰も気が付かなかったアイディアを針の目を通すような緻密さで商品化し、IPOで株を売り抜けあとはもう悠々自適の生活、または仮想通貨のようなバブルもある、だがそんなのは本当に本当に稀で、そしてそれらですら自分から行動しないと決して得ることはできない。
あなたはそんな努力をしているか?
してないなら毎回の査定の分でしか一生給料は上がらない。
富裕層は日本では全体の2.4%とするとあとの約98%は一生うだつの上がらない生活をするわけだ。

金があれば、でも金はない。
もし金があれば、しかし一生がそれだけで変わるくらいの金をどうやって?
何もしてない俺が?

答えは簡単、拾うのだ。
落ちている金を拾っちゃうわけ。
それは恐らくまずい金だからお前が懐に入れちゃえば良い。
それはどこにあるの?
雪ぶかい郊外に墜落したセスナ機の中に。
それは誰の金なの?
恐らく犯罪者がどこかから強奪したもの。
どうやって見つければ?
大晦日の日に兄とその悪友と自殺した両親の墓参りに行く途中に、兄の犬が野生の動物を追いかけていき、その先で見つけるのさ。

スコット・スミスはすべてのサラリーマンの夢を神経症的に肉付けし始めた。
金を得る妄想の第一段階を。
すべてのうだつの上がらない、努力しないあなたたち(9割以上の私達)が如何にして現実的に大金を手にするか。

だいぶ運に頼りにしたとしても、うだつの上がらない僕を始めとする登場人物たちが揃い、カネを手にした。いわばシミュレーションの初期設定が揃った状態で、そこで物語はほぼ自然に転がりだす。
文字通り坂を下りだす。(本人たちは人生の坂がようやく登り始めたと思っているのがお笑い草なんだ)

貧困層の子供として生まれ、なんの才能もなく、生活に手一杯としてもなにもやってこなかった僕たちがカネを手にするとどうなるのか。
いわば金は選択肢を倍加させるツールである。
あくまでもこれは手段であって金がほしいと常にいっている人でも硬貨や紙幣を愛しているわけではない。これをどう使うかが問題なのだ。
そして所在不明の金は消費する前にどう使うかが重要になってくる。
ほとぼりが冷めるところまで保管し、その後発見者の3人で分けよう、と主人公の僕は提案し実施しようとする。
これが平凡な僕が考えたシンプル・プランだった。

一度自分のものと思った金に次第に執着し始める主人公たち。
金という何色にでもなる絵の具で灰色だったキャンバスを色とりどりに染めていくはずだった。
ところがその前段でシンプル・プランが狂い始めていく。
必死に修正しようとする主人公の姿はなるほど滑稽で無様だが、しかし殆どのあなたたちは裏社会に繋がりがあるわけでも、警察の操作情報を抜けるほど強いパイプがあるわけでもない。
彼らより果たしてうまく動くことができただろうか。

これは金がほしいという妄想に対しての一つの回答である。
正直言えばかなり運に頼りすぎている印象は拭いきれない。
主人公はめっぽう運が悪いのだが、最終的には異常に運が良いからそれが物語の作為に見えるところも結構ある。
しかし、主人公たちの灰色さ、真綿で絞め殺されているようなぬるい地獄が雪に振り込められる田舎町に暗示されている表現は楽しかった。

2020年7月12日日曜日

日影丈吉 編/フランス怪談集

河出文庫の正解の怪談集(の復刊)シリーズ、フランス編。
収録先は下記の通り。
編集と収録先の翻訳の一部も務める日影丈吉は自身も作家で怪談も書いている。(短編集の感想はここから。)

  1. 魔法の手 ネルヴァル著 入沢康夫訳.
  2. 死霊の恋 ゴーチエ著 田辺貞之助訳.
  3. イールのヴィーナス メリメ著 杉捷夫訳.
  4. 深紅のカーテン ドールヴィイ著 秋山和夫訳.
  5. 木乃伊つくる女 シュオップ著 日影丈吉訳.
  6. 水いろの目 グウルモン著 堀口大学訳.
  7. 聖母の保証 フランス著 日影丈吉訳.
  8. 或る精神異常者 ルヴェル著 田中早苗訳.
  9. 死の鍵 グリーン著 日影丈吉訳.
  10. 壁をぬける男 エーメ著 山崎庸一郎訳.
  11. 死の劇場 マンディアルグ著 渋沢竜彦訳.
  12. 代書人 ゲルドロード著 酒井三喜訳.
※(上記収録先、ここから拝借)

不在がちな超自然要素
フランスのステレオタイプ、おしゃれで恋愛好きと言うのが真実であればさぞかし幻想的な怪談が生まれそうだと思って読んだんだけど、良い意味で期待を半分裏切られた。

典型的な幽霊譚、怪異譚に属するものは、②③だけ!
少ない。しっとりとした情緒は和風ホラーに通じるところがあるのでは、って気がしていたが。
他のどの話ももちろん怪異を扱っているのだが、非常に現実的なのだ。
現実に起こった(という体の)不思議な話、恐ろしい話が殆どを占める。(ただしこれは編集者の日陰の趣味も大いに関係しているとは思うからフランスの怪談全体の傾向をこれと決めつけるのは尚早か。)
例えば④なんかは華やかな社交界(女性)と勇壮な戦場(男性)で人を引きつける紳士が若い頃に遭遇した、男女間の艶っぽい出来事を扱った中編で大変怖いが超自然的な怪異の要素はゼロだ。

フランス人の恐れたもの、それは恋愛
多様な収録先の共通点として、現実的である(超自然の不在、つまり自然である)ということが根底にある。となると次にその中でどんな傾向があるかというと、これはズバリ恋愛である。
恋愛が作中で大きなファクターになっているのは①②④⑥⑨、やや弱いがロマンスという意味では③⑤⑦⑩を入れてもいいはず。
恋愛というのは強い執着を生むわけだから、これは怖い話になりやすい。(本邦だと四谷怪談か、ぱっと思い浮かぶのは。)
資料に取り憑かれる②は、日本にも通じる強烈な想いが幽霊となって結実するパターンだが、他の短編はそっちに舵を取らずに現実を変容させて悲劇に落ち込ませている。
嫉妬が不幸を招く①⑨(⑨は中編で④と合わせてこの本の中でも主役級の2編だと思う。)、恋心が破滅を招く、もしくは予兆させる⑤⑥⑩などは、そんなフランスのお国柄を意識させる短編と言える。
怪談というのは人を怖がらせないといけないから、その土地その次代の風俗や慣習を色濃く反映している。怪談を読めばそれを読む人たちが何を恐れていたかが読み取れる。
フランスの人たちにとって恋愛は大きな関心ごとで、大きな喜びを生み出す一方でときに大きな不幸や不和の種になることを知っていたのだ。

改めて超自然要素
恋愛の怖い話をそのまま書いてしまえば、まあメンヘラ化彼女がストーカーしたとか、メンヘラ化した彼女が刺しに来たとか、そういった物語としては下世話でつまらないものになってしまう。
そこで再登場するのが超自然要素なのだ。これは怪談集なのだ。
その不在がちな超自然要素がどのように働いているか、改めて考えていきたい。
①ならジプシーの魔術が現実を捻じ曲げて不幸に導く。
⑨は来たるべき破滅を超自然が横にずらす(このずらしはぜひ読んでほしい)。いわば不幸の転移であり、それが物語にもたらすのは悲しみだ。あえて怖くしなかったことで情緒が出た。この短編は常に閉鎖された状況でストレスが増大していく構成で非常に面白い。
徹頭徹尾現実的では面白さに制限がかかってしまう。それを超自然が未知の境地に押し上げてている、もしくは転移させている。
これで物語に転換がおこる。ゾンビものとは違う、現実が続いて最後に突き落とすのだ。
いわば恋愛における悲劇的な結末を一段深化させる、そんな感じか。
日常ではいけない場所に突き落とすためのスパイスのような。危ない薬と言ってもいい。