後にゲーム化もしたロシアのSF。
地球規模の核戦争で世界が概ね滅んだあと、残留放射能とそれにより突然変異化した獰猛な生物から逃れるため、ロシアにわずかに残った人類はその地下鉄で暮らしている、という設定。
オプティミズムと純文学
あとがきで作者が述べているのだがこの小説は核戦争の危険性を声高に訴えるものではない。
核シェルターとしての昨日を実際荷物ロシアのメトロが地下に深く伸びていくように、この小説はアルチョムという一人の主人公がいかに困難な人生に立ち向かっていくか、というところに焦点を当て、それ故に面白くなっている。
主人公アルチョムは危険だが温かい故郷から離れ、メトロの狭いがそれでも彼らにとってそれが限界の世界、それからその境界の向こう側を遍歴する。
自分の足で動く場合もあれば流される場合もある。
若くて無知なアルチョムは概ねカモとしてまたは都合の良い敵(彼にははっきりした信念がないゆえに明確な敵にはなりえない)として騙され、殴られ、殺されかけながらもメトロの自分の地図の空白を埋めていく。
メトロが舞台なのはこれが人間世界の縮図であるから。
つまり暗く、狭く、危険で、そんな中でも人は互いに手を繋ぐでもなく、猜疑心に煽られ、宗教、イデオロギーを言い訳に他人と食べ物を取り合い、殺し合っている。
技術的に大きく退化した状況で、当てにならない伝聞に尾ひれがついてとんでもない噂が飛び交う。
頼りない懐中電灯の光で文字通り暗闇を切り開いていく。
ある意味では主人公アルチョムはこの暗闇が支配する世界で確固たるものを探しに行くわけなんだけど、この形式はロードノベルのそれがあるからSFであると同時に純文学的でもある。
アルチョムの精神的な成長が欠かれている。
この混沌とした世界での自分の役割を意識することだ。
いわば無理やり巻き込まれた旅路を自分の意志で貫徹しようとするその過程であり、傍観者からより良くするために行動する者への意識的な転換である。
ペシミズムとSF
純文学的な成長物語、そして派手などんぱちを経ての大団円という王道的な筋をたどること物語、しかしその背後にはそれらを覆す意地の悪いペシミズムがある。
当初作者がネットで発表していた版では主人公アルチョムは最後命を落としたそうだ。
これはアルチョムが感じた運命(=王道的な成長物語)の否定であるし、このペシミズムは物語の核心(結末)に迫っている。
それは人類という種の今いるステージと限界を指し示したもので、比較的ファンタジー色の強い世界観の中でここは明確にSFだなと感じた。
核戦争で地下に撤退せざるを得なかったのは人間の失敗だが、それを経て人類がどう変わったのか、というのがこの結末に結実している。
前半からの運命論的な物語をあっさり裏切るような趣があるが苦味があって良い。
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