2017年11月5日日曜日

THE DONOR/ALL BLUES

日本は石川県金沢市のハードコアバンドの2ndアルバム。
2017年にTill Your Death Recordsからリリースされた。
前作「AGONY」からコンピレーションアルバムの参加などを経て3年ぶりにリリースされた新作。真っ黒いイメージが印象的だった前作から打って変わって白を貴重としたアートワークになっている。ギタリストは同じ金沢のGreenMachineでも活動している。このアルバムのアートワークに使われている写真も多分GreenMachineのメンバーが撮ったものだと思う。

全部で10曲を22分で駆け抜けるわけだからだいたいその音楽性はわかると思う。今年リリースされた3LAのコンピレーションにも曲を提供していたが、いわゆるネオクラスト、激情とは一線を画する音楽性。もともと内省的な音楽性を日本の激情バンドたちはさらに激化させた内容にアップデートして悩み苦しむハードコアにしている印象もあるが(批判しているわけではない)、THE DONORはその流れにはあまり与しないようだ。悩みがない人間は私が知っている限り存在しないが、その内省的な葛藤をこのバンドはすべて攻撃力と機動力のパラメータに振り切っているようだ。多分に感情的だが、叙情的とはいえない。音楽ジャンルとしてのエモーショナルなハードコアとは距離をおいた荒涼としたハードコアを演奏している。
とにかくささくれだって重量感のある、錆びついた金属のようなギターの音質はたわんだ北欧のメタル/ハードコアを彷彿とさせる。はじめ聞いたときは前作以上に例えばTrap Themのようなバンドの出すサウンドに通じるところがあると思う。速さの逆を行く遅さ、つまりスラッジ成分も取り込んでいるところもその手のハードコアに通じるところがある。いわゆるアンビエント、アトモスフェリック、ポストといった形容詞が表現するともすると冗長、高尚になってしまう要素に関してはこれを余計な夾叉物として一切を排除する。いわば極悪非道なハードコアなのだが、よくよく考えてみるとこういったピュアなバンドというのはなかなか日本にはいないかもしれない。もっと先鋭化してパワーバイオレンスの荒涼とした地平にひたすら残虐性とヘイトを求めるか、もしくは日本人の真面目さを反映した悩み多き鬱屈さを追求するエモバイオレンス方面のハードコアに舵を切るか、その二択のいずれかを選択するようなバンドが多い気がする中、あえてピュアなハードコアを鳴らすというのは結構稀有ではと思う。
ただまったくもって北欧スタイルを金沢で再生したのがTHE DONORかというとそこが少し違くて、そしてそこがこのバンドの面白いところ。激しい音楽に抒情性を混ぜ込む、というのは陳腐な言い回しだが、実際にやるとなるとある程度手法は決まっていて、そういった意味では日本の激情はその手の表現が得意である。THE DONORはここを別の手法で攻めていて、感覚的にはトレモロに感情を込めるブラックメタルに似ているが、そこまでわかり易くないのが、チャレンジンクで面白いし、仕上がりが絶妙に格好いい。そういった意味では3LAのコンピ「ろくろ」に提供した「kagerou」はやはり白眉の出来では。コンピとアルバムでは別バージョンになっており違いを楽しむことができる。とにかくアウトロの放り出すような、ヤケクソめいた表現が曲の終わりってことで最高のクライマックスになっている。
いわゆるジャパニーズスタイルのハードコアが激しい音楽性にいろいろな形で豊かな表現を取り入れたとしたら、やはりこのバンドもその系譜にあるということだろうか。

前作をまっとうにアップデートさせた素晴らしい内容でこの手の音楽が好きなら聞き逃す手はない非常におすすめしたい音源。この音源とそれに伴うライブの後、THE DONORは年内での活動休止をアナウンスしている。非常に残念なことだ。視聴できるところが見つからなかったので買って聴いてください。

ダン・シモンズ/ハイペリオンの没落

アメリカの作家によるSF小説。
「ハイペリオン」から始まる4部作の第2弾。一応この4部作は2つに分けることができるので、ここで一旦「ハイペリオン」から始まった物語に片がつく。

意を決して時間の墓標に足を踏み入れた6人の巡礼たち。しかし肝心のシュライクは顕現しない。やきもきする一行をよそに惑星はるか上空での連邦ヘゲモニーと宇宙の蛮族アウスターとの決戦は激化の一途をたどる。思いがけない方法によってウェブ内にアウスターが進行していることがわかり、連邦はその存続の危機に立たされることになる。

大団円に向かう前にとにかく大風呂敷を広げまくるダン・シモンズ。矢継ぎ早に連邦は危機に立たされることになる。前作では巡礼6人がそれぞれ別個の物語を旅の途中で語る、という形式だったため、作者があえて6つの物語を異なるジャンルと言ってほどのバリエーションを持たせて1冊の本にした入れ子構造がまるで「ハイペリオン」という本を連作短編集のようにしていた趣があったが、今作では過去が一通り語られたあとで物語が未来に向かって一直線に動き始める。視点の転換はさすがにあるものの、概ね主人公というのが巡礼とその他に設定されており、ある程度固定化された視座から物語を読者が俯瞰できる。
また合う人類属する連邦対アウスターの宇宙を舞台にした戦争が物語の中心を貫いており、スケール感がアップ。巨大な連邦が窮地に陥っていくさまはなかなかのスリルがある。
とにかく物語よく練られていて最近ありがちなどんでん返しだけで目を引く、オチだけで長いページを持たせる系のとんでもSF(謎がいっこしないのはいいとしても、それありきのストーリーが予定調和でむりがあって全然しっくりこない)やセンセーショナルな状況ややたらと個人の判断が世界の行く末を判断する、薄っぺらい残酷さなどで悪目立ちする軽薄な小説群とは明らかに異なる、非常にしっかりとして骨組みのある”物語”がある。この物語にどっぷり浸れるのが読書の醍醐味の一つだと思うがそれをもう120%以上満たしてくれる濃厚さ。大森望さんの解説でも書かれているとおり、実はこの「ハイペリオン」というのは全く革新性がない物語なのだが、それでも面白さというのは抜群だ。
思うに人間というのは誰かに操られている、と考えてしまってそれが許せない性質があるらしい。登場人物の一人ソルの例もあるし、「ハイペリオン」でも裏で人類を操る何者かからの開放というのが物語的なカタルシスとして働いている。シュライクというのは特定の登場人物たちによって神の立場崇め奉られているという点も興味深い。実際今息災にやれているなら一体誰に操られていようと気にしなくてもよいのでは?と怠惰な私は思うのだ。西遊記の孫悟空のごとく、お釈迦様の手のひらの上でもかまわないというのが私なのだが、それが仏なら良いが悪鬼羅刹だとかなわないというのはわかる。しかし最終的に偶然を擬人化して暴君のレッテルを貼るのも無理な話で、今自分が何者かに操られている、以内の判断はどうしたら?とも思うわけで、そう考えると宇宙に拡大した人類から一掃されない号の深さのようなものも感じられて面白い。やはり良い物語というのはそのスケールや舞台に関係なく、普遍性というのがその核に閉じ込められていると思う。

数々の謎にもきれいに答えが並べられており、決してハッタリや虚仮威しではない物語の完成度に感服する4部作の前編のフィナーレ。ぜひ「ハイペリオン」からどうぞ。私はもちろん「エンディミオン」からの後半も楽しむつもりである。

2017年10月29日日曜日

THE DILLINGER ESCAPE PLAN FINAL JAPAN TOUR 2017@渋谷Cyclone

The Dillinger Escape Planというバンド名の元ネタは私もはじめは勘違いしていたのだが、(セクシーな女スパイが隠し持っている)小さい銃のデリンジャー(Derringer)ではなくて、1930年台のアメリカの銀行強盗John Dillingerのこと。この人はFBIからは公共の敵を意味するPublic Enemy(同名のヒップホップユニットの創始者Chuck Dはここからグループ名を取った)と称されたくらいの凄腕の強盗で、義賊ということで民間にもすごく人気があったそうな。とくに逃げ際が彼の持ち味で指名手配されて多額の賞金がかけられているのに全然捕まらなかった。The Dillinger Escape Planはそんな「デリンジャーの逃亡計画」と意味。(完全に余談だが、スティーブン・キングがジョン・デリンジャーの落陽を書いた短編小説がとても面白いので興味のある人は「第四解剖室」という短編集をどうぞ。)TDEPの音楽は破天荒でスタイリッシュで、カオティックで親しみやすく私も大音量で聞きながら彼らと迫りくる警官から来るまで逃亡するような気持ち(妄想)に浸ったものだ。

さて台風が接近してまたしても荒天に見舞われる日本列島、The Dillinger Escape Plan最後の日本公演二日目に。今度のライブハウスは20週年を迎えるという老舗の渋谷サイクロン。ハロウィンで浮かれる渋谷の街は二重の意味で私のようなオタクには歩きにくいがなんとか到着。ライブハウスのハキハキとして対応も丁寧。キャパシティは300人。前売りはソールドだが、当日券で30人位入れたとのこと。(雨の中せっかく来てくれたので、ということでした。)というわけでさすがにパンパン。サイクロンはステージは一段高いところにあるものの、ほぼフロアとの隙間がない。この日は客演なしの一本勝負ということで前日以上の荒れ模様が予想され、やはり主催Realising Mediaの今西さんから怪我人ゼロでいきましょう!とアナウンス。

The Dillinger Escape Plan
期待感からか「デーリンジャー!デーリンジャー!」とコールも始まる。相変わらずちょっと焦らしてからメンバーが登場。この日も圧縮が半端なかった。死ぬとか思ったけどそれどころではなかった。死んでいる場合ではない。1曲めは前日から異なり5thアルバム「One of Us is Killer」から冒頭「Prancer」。そこから順当に「When I Lost My Bet」。からの4th「Ire Works」からの「MIlk Lizard」なのでもう0から100に一気に加速したフロアが沸点を超えて煮え立っている。ステージが近い、狭いライブハウスなのでサーフの数が半端ない。後ろから飛び出して人の頭の上を転がって、ステージ前面に行くわけだけど、Cyclamenのメンバーお二人に加えてボーカルのGregが太い腕でぐっとサーファーを捕まえて押し出していく、またはステージに上げると、華麗にさばいていく。私はと言うとぎゅうぎゅうで手を挙げると下げる隙間もない、のでほぼ腕をうえに振り上げっぱなし。ダイバーの何かが顔面にぶち当たり、早々にコンタクトレンズが脱落したのでほぼ半目でステージを見上げることに。Gregは相変わらずライブハウスの中を縱橫に動き回る。アンプの上、人の上どころか最終的には人の頭の上を通って、はるかステージ後方2回のPAスペースの作にぶら下がっっていた。(その間ももちろん叫ぶし、歌う。)Gregはとにかく終始笑顔で楽しそうだった。ちなみに客もほとんど笑顔。いかついお兄さんもすごい笑顔。唯一のオリジナルメンバーであるBenは笑顔は見せないのだけどやっぱり動き回りアンプの上に登り、ジャンプし、最終的にはなぜか客の頭の上に直立でとどまり、ギターを引いていた。天草四郎ですら水の上を歩いたのに、なぜか微動だにしないBen。どういう仕組なのでしょうか。Gregと二人で1本のマイクにシャウトを決めたり、とても良いコンビ。
演奏は相変わらず劇的にタイトで「Prancer」でもその魅力を発揮していたが、休符の使い方がとんでもなく大胆で外すと露骨にミスが目立ってしまうところをきっちり決めていく。音質は流石に前日のLiquidroomに譲るものの、この日はベースの出音がでかくて個人的には荒々しい迫力が良かった。セットリストも抑えるところは抑えつつ、やや変更してきたイメージ。看板の二人以外のメンバーも良い感じにはっちゃけていた。(もう一人のギタリストKevin Antreassianの黒いボディに蛍光緑のピックアップのギター存在感あったな〜〜。Vigierというブランドみたい。)とにかく正確性の上に快楽がある、というドグマのもとに荒々しくもかっちりとした楽曲を披露していく。メンバーは各々暴れて目配せとかもしてないようだが、よくまああんなにきっちり合っていくものだ。パワーバイオレンスとは全く異なる極端性、つまり速い遅いの二元論に加えて、ジャズを意識させるアンビエントパート、特にコアな音楽界隈では軟弱と切り捨てられかねないわかりやすいメロディという別次元を加えた多次元宇宙的な世界観を高尚さ、そしてメタルっぽさと明確に切り離したハードコアのフォーマットで繰り出していく。まさに不可能への挑戦、無限を計算し続ける艱難辛苦の果にある、お手軽に音楽が作れる現代における時代の徒花めいた非効率的な音楽にこそ、そんな複雑さ、考え抜かれた思考と試行錯誤の先に、その先にこそThe Dillinger Escape Planにしか出せない、頭のおかしいくらい複雑な曲なのに一体感のある音楽がある。音源で聞く正確性、そしてフロアとステージの高さをなくす親しみのあるステージング。”ヤバさ”が取り上げられがちだが、要するに演者と客という両者の柵を取っ払う、演者からの観客に対する接近こそが一体感の秘密かもしれない。盛り上げたいならまず自分からを地で行くステージングだ。客が拳を振り上げ、一緒にメロディを歌う(叫ぶ)というフロアの状態は、危険なピットができるハードコアとは異なり、日本のkamomekamomeのライブにちょっと似ているなと思った。インタビューによるとボーカルのGregは思い注意欠陥障害(ADHDのこと)でステージに上ると頭が真っ白になるそうなのだけど、この過激なステージングは彼にとっては世界の付き合い方の一つなのだろうか。
Gregから「今回のツアーで最高のライブだ」とアナウンスがあり、アンコールでは初日にやらなかった「Mullent Burden」を披露。爆速。その後1stからの「43%Burnt」で〆。やはり1st「Calculating Infinity」の曲はまだニュースクール的なハードコアリフがあってめちゃかっこいい。かなりゴリッゴリきて気持ちよい。

終わってみると私は本当に汚い話で申し訳ないのですがパンツまで汗びっしょり。おそらく重篤な怪我人は出なかったのではなかろうか。フロアに明かりがつくとみんな名残惜しそうにそれでも笑顔だったのが印象的だった。
主催の今西さんに握手して、また渋谷の浮かれた人混みをビショビショで帰ったのですが、今ならマスコアパンチが打てそうないい気分だったので問題なし。

バスから降りて家まで歩いている時に急にバンドが解散したらあの素晴らしい楽曲群をもう誰も演奏しないのかと思って悲しくなり泣けてくる。(私は愚かなので人が死ぬときもその後に残される知識や本とかのことを考えないとその喪失が実感できない。)私がもうずっと大好きだったバンドがなくなってしまうのである。そうしたら音源を聴いて一人で拳を突き上げようと思う。彼らの曲は永遠だ。この日は本当に破天荒なデリンジャー・ギャングたちが運転する車の後部座席に乗って派手で荒々しくも華麗な逃走劇を楽しんでいるような感じだった。当局の銃弾が飛び交う中、猛スピードで車がバウンドしていく。ばかみたいなスピードで窓の外を風景が流れていく。彼らの笑顔がすぐ先にあって、おこがましくも私もその悪事に一枚噛んでいるような背徳感のある楽しさがそこにあった。そうして時間が来ると、彼らは私を真っ黒いフォードから下ろし、またあっという間にまた駆け抜けていった。そうしてきっともう今年の終わりにはこの世界からあっという間に、そして華麗に脱出していくのだろう。ありがとう。The Dillinger Escape Plan。
主催のRealising Mediaの皆様本当にありがとうございました。

The Dillinger Escape Plan Final Japan Tour 2017@恵比寿Liquidroom

音楽好きなら自分の既存の世界観をぶち壊して、興味を次の次元に持ち上げてくれたアルバムというのがかならずあると思う。手にとって聴いたときは「なんじゃこら??」となって全然わからないのだが、しばらく聴いているとこんな世界があったのか!!と虜になる。そしてそのアルバムがゲートウェイになってまた様々な音楽を掘っていく。私は中学生の時に買ったnin inch nails「The Fragile」、それから大学生の時に買ったThe Dillinger Escape Planの「Miss Machine」がそれだ。出会ってからそれぞれ15年以上、10年以上たっても未だによく聴く私の音楽の救世主だ。
そんなThe Dillinger Escape Planは今年の年末での解散を発表している。多くのベテランバンドをディスるつもりは毛頭ないが、長いキャリアでなかなか初期の名作群を超越しながら新作を出すというのはとても難しい。ジャンルは違うが「シャッター・アイランド」などで有名なアメリカの作家デニス・ルヘインもそういう趣旨で人気シリーズに幕を下ろしていた。だから全盛期で解散、というのはなんとも潔く、そして格好良い、気持ちはわかる。そんな彼らが解散直前に日本に来ることになった。TDEPは来日経験は何回かあるのだが私は見たことがないので今回が初めての機会ということで2つの公演のチケットをとった。
招聘しているのはRealising Mediaで過去に色々な海外のバンドの来日公演を手がけ、なんと招聘率は100%だ。これは海外のライブ行く人なら結構驚異的な数値だとわかると思う。大きな会社でなくDIYでやっているところでなんせ連絡先が個人的っぽいGmailなんだよね、本当すごいです。
1日目は恵比寿Liquidroomだ。収容人数は900人と大きめだが、ほぼ前売りは売り切れ寸前だったようだ。私は初めて行くライブハウスだがきれいで、それなりに大きさのあるトイレが有るのは良いな〜と思った。
前の方で見るから物販は終演後にしようと思ったのだが、これが間違いで終演後には私の着れるサイズはほとんど売り切れておった。前売りもあったのでこれを使っとくべきだったと後悔。

Cyclamen
この日は対バンがあってそれが日本(結成はイギリスでメンバーのうち一人は半分タイに住んでいるんだけど)のCyclamen。主催者の今西さんのバンドである。
2日間のライブの段取りも完璧だったと思うし、そんな情熱が柔らかい言葉にでるMCを披露し、ライブがスタート。ドラムにギターが二人、そしてボーカルの4人組。(少なくとも曲によっては)ベースの音を同期させていたと思う。
いわゆるDjentと呼ばれるカテゴリーの属するバンドだと思うが、非常にプログレッシブでテクニカルなメタルを演奏する。まずは変拍子を含めた曲展開の複雑さ、それを支えるタッピングを始めとする(もっと他にもすごいテクがあると思うんだけど)テクニック。ボーカルもウィスパー、裏声からスクリーム、シャウトなどを多彩にこなしていく。歌詞はおそらく日本語でハード一辺倒ではなく、(最近発表された女性ボーカルを大胆にフィーチャーした曲はとても格好良い)アンビエントなパートの導入や、キャッチーなメロディーを取り入れたりしている。ハードコア感は希薄だが、こういった要素は紛れもなくTDEPからの影響も大きいはず。結構な曲数をポンポンこなしていくが終わってみると30分しか立ってない。プログレッシブになると曲が長くなりがちだが、Cyclamenは多分非常にコンパクトに纏めることにこだわりがあるみたいで、結果私にような門外漢でも楽しめた。終盤の方でやった曲間でゆったりとしたテンポ、音になる曲が個人的には良かった。タッピングってうるさいフォーマットでしか聴いたことがないので、ああいうゆったりとしたクリーンでもかっこいいというのは驚きだった。

The Dillinger Escape Plan
いよいよ本命の登場となる。私は特に意識せずに空いているところを探してステージの下手、ギタリストのBen側に。とにかく事前に主催者から相当激しいことになるから気をつけてくれとアナウンスされ、twitterでは運動会などと揶揄されている。ちなみにこの日はいかつい黒人のセキュリティがステージ全面に控えていた。前は相当きついことになるだろうが、やはりこれは前に行かねば。サウンドチェックの人が出てきたりしてなかなか始まらない。ライブが始まる前はいつも軽い緊張感があるのだが、この日は速く始めるか、もしくはいっそ中止になったからとアナウンスしてほしいくらい、期待感で心臓に負担がかかる始末。ロン毛の細身のスタッフ(ライブ中は写真を取っていた)がバンド準備OKという意味のライトをチカチカやった瞬間は一生忘れられないだろう。脳から出たアドレナリンが一瞬で体に充填されていくあの感じ。ステージが暗くなり、メンバーが登場。すかさず最新作にして最終作の「Dissociation」から冒頭の「Limerent Death」。開放された真空に空気が殺到するようにステージに客が詰めかけ圧縮される。私はここから終演後までほぼ頭が真っ白になった。ぎゅうぎゅうどころの騒ぎでない乗車率300%オーバーの中飛んだり跳ねたりの運動会である。
TDEPはとにかくハードコアにしては楽曲が複雑すぎるが、それでもどこまで言ってもハードコアでしかないというバンドで、明らかに演奏がタイトである。ライブハウスの非常に優良な音環境もあって音質はほぼ完璧だ。複雑な曲がいっぺんの狂いもない(ように思える)状態で再現される。一見盛り上がりとは無縁の様相が想像されがちだが、全く逆なのがとにかく面白い。バンドのメンバーは客に劣らず動き回る。アンプの上に登る、その上で歌うもしくは演奏する、飛び降りると。こんなに動きつつも演奏は劇的にタイト。
クラウドサーファーが大挙として発生し、ステージ全面に落ちては捌かれていく。何人かはステージの到達してからのダイブを披露していた(ように思う)。Gregもアンプの上から何メートルしたかにめがけてダイブをかまし、サーフしながらも途切れることなく歌い続けステージに復帰する荒業をやってのけていた。
私本当メロディアスなパートがある曲ほとんど歌える事に気がついた。(なんちゃって英語だけど。)ということですげー歌ってしまった。本当すごい音痴なので周りにいた人には申し訳ない気持ちがあるんだけど、多分みんな歌ってたから大丈夫。Milk Lizardとか大合唱でした。
新旧アルバムからかなりまんべんなくプレイしていたように思う。みんなもそうだと思うけど「Setting Fire to the Sleeping Giant」は最近のセットリストにはあまりないようだったのでまったくもって心躍るサプライズだった。
最終的にはドラムのBilly Rymerがシンバルを持ったまま客席にダイブし、サーフしながらシンバルを叩いていた。お祭りか。

TDEPはマスコアと称されることもあって、複雑な曲展開を持っており、激しいパートは激しく、ジャズの要素を取り入れたアンビエントパートに、一転メロディアスなパートも持っている。それをめまぐるしい速度で1曲の中で演奏していく。だからカオティックと呼ばれるわけなんだけど、じつは非常に整合性の取れたかっちりとした世界で異常な技術に支えられた演奏力でカオスを再現している(時点で正確には混沌とは言えないわけなんだけど)バンド。この日思ったのはとにかくリアルであること。弦楽器の音は非常にバリエーションが有るのだけど、どれもわかりやすい重低音などに偏向していない。どれも楽器のもとの音が生き残っている感じ。ジャギジャギしているところは非常に生々しい。メチャクチャな速さでうるさいパートを演奏していても、ギターの音は程よく中音がきいた生々しい音だったりする。これはすごい。ハードコア(のある分野の特性)はどんどんタフになっていくけど、TDEPはそうでない。本当にタフならある意味それを証明する必要はないから、いわばタフであるという物語になってくるのがハードコアの一側面である(実際にはタフでないと言っているわけではないです。)としたら、TDEPはその運動には寄与していない。じゃあハードコアじゃないじゃんって人がいたらこのステージを見てくれよ!と思う。(無理を承知で。)別に派手に人が暴れるからハードコアで、だから(ボーカルが人の頭の上を歩いて行く動画などで注目されがちだけど)TDEPはハードコアバンドだというのではない。それ(ライブ)は結果です。そもそも今MInor Threat聴いて音がしょぼいのでハードコアじゃないという人はいないのではないでしょうか。つまり音や曲(だけ)でハードコアはできてないってことが言いたい。向上心があるのが(現状を変えたいと思うのが)ハードコアだと私は思うんですけど、TDEPは複雑な曲を演奏するけど、音自体は非常に飾りっ気のないもので声もメロディも別に特別な飛び道具を使っているわけではない。手元にあるものを研ぎすませて限界に挑戦していくのがこのバンドで、だからどこまで言っても”リアル”なハードコアなのだ。一体無限を計算しきれるわけはないだろう?1stからこのバンドの精神性は一貫していますね。メンバーはタイトさが高尚さを持たないように腐心して(天然かもしれない)、ステージ上でもそのように振る舞う、そして結果一体感のあるライブになるのでは。

ぼろぼろになって物販に行くとほとんどSかMが売り切れで仕方なくパーカーのMだけ購入。頭の中がお花畑状態で帰宅。
恵比寿の駅に私より年下のおしゃれなスーツきた男性がモデルみたいな女性と歩いていてこんな世界あるのか!と思いながら帰宅。

2017年10月22日日曜日

Jlin/Black Origami

アメリカ合衆国はインディアナ州ゲイリーの女性プロデューサーの2ndアルバム。
2017年にMike ParadinasのPlanet Muからリリースされた。
ジューク/フットワークというテクノのジャンルがあり、私は日本のCRZKNYというアーティストからたまたま知ったのだが、それに属するのが彼女。2015年リリースの1stアルバムがWIREというイギリスの雑誌で年間ベストに選出されたり、日本盤が出たりとかなり注目されている人のようだ。たまたま目にしたアルバムのジャケットが良かったので購入した次第。ジューク/フットワークはシカゴで生まれたジャンルらしく、その中でもRP Booという人がとても有名、このJlinという人はそのBooが取りまとめるD'Dynamicsという集団に属しているらしい。(クルーってやつらしい。)
ジューク/フットワークは足技を中心とするダンスとの切り離すことのできない関連性(ダンスバトルの伴奏としての役割があるそうな)がある複雑で速い(一拍三連のリズムが特徴らしい)テクノ音楽。よく「ゲットー」という言葉がでてくる。

なんせCRZKNYしか聞いたことが無いから、彼の作り出す音楽と比較するしかないんだけどCRZKNYの目下の最新作「Meridian」とは結構音楽性は異なるな〜という印象。
結構色々要素はあるのだが、まずJlinは結構音の数が多い。ほぼほぼビートしかないような音楽で、つまりわかりやすいメロディラインがほぼ皆無なので、そういった意味では低音が高調された無骨な音楽のだが、Jlinの場合はそんな中でも結構音の数が多い。細かく多い感じ。金属質の小さい物体転がっていくような、速くて軽いビートはなんとも心地よい。(バスドラムの)キックがあまり多用されていない、というか主眼に置かれていないのもこの手のジャンルでは珍しい(のかな?)。これはようするにフットワークというジャンルゆえだろうと思う。面白いのはミニマルでありながらも結構展開があって曲が動いていく。これもやはりダンスミュージックゆえなのではと思う。展開があるのでダンサーにとっては縛りでもあり、新しい動きのきっかけにもなるだろうからこういった曲を使えば、きっと面白いダンスバトルになるだろうと思う。
もう一つの特徴は声のサンプリング。とにかく不気味なくらいサンプリングを重ねてくる。子供がふざけてサンプラーを叩いているみたいな無邪気さなのだが、結果的に声から感情が失われていき、無機質かつ不気味になってくるのが面白い。
全体的にはなんとも言えない異国的な情緒にあふれている。表題曲なんてちょっと和風なテイストがあるかな?と思ったけど全体的には、金属質なビートが特にもっとアフリカンだ。孫引きになってしまうのだがこの記事によると「フットワークのルーツはアフリカにある」とおっしゃっているようでなるほどな〜という感じ。アフリカという広大な大地を暗く、冷たくパッケージした感じ。こういう書き方だと悪いイメージだけど、きっとそうじゃない。ただ情熱を前出しすれば愛情が大きいわけではないと思う。

暗くて冷徹なのだが、忙しないビートが癖になる感じ。例えばハードかつミニマルなテクノとは部分部分共通項があっても、仕上がりは結構別物。ちょっとダルい感じを演出するのは最近の音楽という感じ。

2017年10月21日土曜日

デニス・リーマン/囚人同盟

アメリカの作家による長編小説。
1998年に出版された小説で、原題は「The Getback of Mother Superior」。
Mother Superiorとは聞き慣れない言葉だが、これは邦訳すると「女子修道院長」となるそうだ。
これはいわゆる塀の中、つまり監獄の中を舞台にした小説でそういった意味では、ピカレスク小説ということができる。
この手のジャンルでは”リアル”であること(というよりは”リアルらしく見えること”)が、その小説の中身を保証する指針というか、もっというとハクになるわけだけど、この小説に関しては著者のデニス・リーマンはの輝かしい経歴でとんでもないハクがついている。
というのもリーマンその人は武装強盗などで都合53年の実刑判決がでているからだ。執筆当時は保釈の予定もなかったので当然この本は塀の中で書かれたものになるわけだ。
犯罪者が書いた小説というと、私が好きなジェイムズ・エルロイだか彼は投獄歴があるがプロの犯罪者ではなかったはずだ。この間呼んだエドワード・バンカーはれっきとしたプロの犯罪者だった。
デニス・リーマンはあとがきを読むにプロの犯罪者かは議論の余地があるが、少なくとも重大な犯罪歴があるというのは間違いない。つまりこの本は重犯歴のある犯罪者が書いたリアルな犯罪小説だったことだ。

俺ことフラット・ストアはワシントン州タコマ市にあるマクニール島刑務所で刑期を務める元犯罪者だ。罪状は詐欺など。同じ牢屋には他にも個性的な面々が揃っている。
刑務官を除けば犯罪者しかいない刑務所で五体満足で生き残るのは難しい。なんてったって殺しも日常茶飯事だ。
そして刑務所長一派は立場を利用して私腹を肥やすことしか考えていない。
俺ことフラット・ストアも仲間たちもそんな世界で更生とは無縁な生き方をして、出所の日を待ちわびている。そんな房に変わった新入りが入ることになった。ガッシリとした体躯、ハンサムな顔立ち、知性を伺わせる立ち居振る舞い、軽やかな弁舌、全てが刑務所に似つかわしくないこの男は当初刑務所が派遣したスパイかと疑われたが、どうも違うらしい。マザーとあだ名されたこの男には何かしらの計画があるらしい。フラット・ストアたち同房の仲間はマザーの計画に巻き込まれていくことになる。

およそ刑務所で計画といったら脱獄計画に間違いない。
名作と名高い「ショーシャンクの空に」(原題は「塀の中のリタ・ヘイワース」というスティーブン・キングの小説だ)もそうだったし、「プリズン・ブレイク」もそうだった。
ところがこの話はそうではない。もう一度原題に戻るけど、Getbackとは復讐という意味もある。だから邦題は「女子修道院長の復讐」ってことになる。
この女子修道院長というのは謎の登場人物、通称マザーのことだ。このマザーという男が俺含め犯罪者の面々を彼の復讐に巻き込んでいくのだ。これがすごく面白い。
始めに言ってしまうとこの本には一つ短所があってそれは長いってことなんだな。なんせ著者は刑務所に入っているから時間はすごくあるのでそれもあってか結構長い小説になっている。600ページあって、無駄なシーンが多いわけではないけど、結果的に前半のテンポがやや悪くなっている感は否めないと思う。
ただしそれ以外は本当に面白い。
幾つか理由がある。(というか私にもある程度説明できると思う。)

まず一つ、登場人物が面白い。
全員犯罪者でそれもあまり学がない(マザーを除くと一人だけ例外がいる)低所得者、低学歴という犯罪者の累計のような人が登場人物の大半である。
シンナーだったりギャンブルだったりに中毒になっている奴らもいる。
ルールがないのが怖いのではなくて、常人には理解できないルールが怖いのだ。
そういった意味では一件理屈の合わないルールで動く囚人たちは魅力的で、恐ろしい(恐ろしいゆえに魅力的だ。)
主人公サイドの犯罪者に関してははっきり明言されていないが、おそらく殺人者はいないはずだから読者が嫌悪感をいだきにくいというのもある。(これは人によるだろうが。)

そしてもう一つは世界が面白い。
この話は殆どが塀の中で進行する。
刑務所というのは(それもアメリカの)常人には理解できない場所だ。
登場人物同様ここも特別ルールで動いている。
ジョジョの奇妙な冒険ストーン・オーシャンを読んだことのある人なら刑務所内の貸し借りの厳格さを知っているだろうが、あんなルールが厳格にある。
タバコが通貨のように扱われ、男色行為が存在し、ルールを破ったやつは死ぬことになる。
刑務所内で殺人なんて馬鹿な、と思う人もいるかもしれなし、今はどうだかわからないが、きっと昔は当たり前のようにあったのだろう。
犯罪者が死んで誰が気にするのだ?
刑務所の中ではもっと暴力がわかりやすく支配している。外から見たら馬鹿らしいが、命がけで虚勢を張らないと行きていけない世界なのだ。
ここは更生する場所ではなくゴミ溜めであって、刑務官はゴミが溢れないように檻の外をうろついては警棒の一撃をくれるくらいなのだ。
ただしなかには魅力的な刑務官もいるのが魅力的で、ステレオタイプでなくこの小説が面白いところなのだ。
デニス・リーマンにとってはこの異様な世界が彼の家であって、世界なのだ。
考えてみてほしい、大の男が6人で一つの監房に入れられ、用を足すにも全員の目の前でだ。最初っからまともな世界とは全く異なる。

それから話の筋が面白い。
異様な世界で異様な男たちが奮闘する話なのだが、構図的にはこうだ。
マザー率いる社会の底辺が、そんな彼らをカモにする上層構造と対決する。
びっくりすることに勧善懲悪の筋になっていて、核になっているのが「復讐」である。
忠臣蔵を始め一体日本人というやつは復讐譚が好きだが、巌窟王を引き合いに出すまでもなく外国に住む人々もそうらしい。
エドワード・バンカーは悪辣な人間が悪辣なことをするというアタリマエのことを書いたが、
リーマンは違う。塀の中で無限と思われる時間(繰り返すが懲役53年)の中で育まれた一種の夢みたいなものを真っ白いページに書きつけたのだ。
いわばファンタジーなわけだが、ゴミみたいな奴らが集まり、ちょっとずつ変わりながら、悪を打ち倒すとなればこれはもう人々が大好きな物語である。
物語の類型というか、基本的にバリエーションなんてこれしかないというくらいの、いわば物語そのものの核である。
落ちこぼれがラグビーとか野球やる話、すきでしょ?
私はそういうの全然好きじゃなかったけどこの「囚人同盟」は面白い。
特に後半の所長とのやり取りはまさに手に汗握る。
またもやジョジョに例えるなら、ジョジョリオン冒頭から引用して「呪いを解」く物語でもある。
犯罪者に生まれ、犯罪者にしかなれなかった者たちが、身に染み付いた悪という呪いを自力で解くのがこの物語なのだ。熱くないわけがない。そして同時に優しい物語でもある。

なるほど有名になるにはあまりに粗野で、あまりに汚すぎる。
リーマンはきっと素直な人で、もしくは非常に皮肉な諧謔のある人で囚人という立場を存分に利用して物語を綴った。
物語自体は典型的だが、結果非常にアクのある個性の強い物語になっていることは確かだ。
ただし、おためごかしが鼻につく人だっているはずだ。
あるいは悪という概念(仮想の、本質ではない)に惹かれる人もいるかも知れない。
ひねくれた自己評価の低い人間なら、ありがちな成功譚にはたとえフィクションでもつばを吐きかけるだろう。
しかしこの本は違うかもしれない。
「囚人同盟」という本はそんな一部の人に深く刺さるかもしれない。
心当たりがある人は是非読んでみていただきたい。非常におすすめ!

skillkills presents 「The Shape of Dope to Come Release Tour Final」@Club Asia

この日ありがちなことにライブがかぶっていたが、私が行ったのはこのライブ。
Zazen Boysのライブが見たいというのが第一で、Skillkillsはよく目にするものの訊いたことも見たこともないバンドなのでこれは良い機会と思ったわけ。この日はSkillkillsの新作のリリースツアーのファイナル日。
なんとか仕事を放り出して会場に当日券で文字通り潜り込むと、Zazen Boysのライブがまさに始まったところだった。

Zazen Boys
ベーシストの吉田が今年限りで脱退することがアナウンスされたが、ステージングは落ち着いたものだった。照明をほぼ全開にしたステージは明るくそしてあけっぴろげであった。
私は30を半ばなのだから、思春期に洋楽の洗礼を受けてもNumber GirlとスーパーカーはOKという謎の方程式により、よくよくNumber Girlの音楽を聞いていた。(こういう輩は多いのでは。)初めて接したときの印象が強いのは音というよりMutomaJapanでみたフロントマン向井による手書きのMVの漫画テイストだったんだが。
このZazen Boysというのは完全に周囲とは隔たった音楽を追求するバンドで、私はこの手のジャンルに詳しくないのでよくわからないが、ロックをベースにプログレやファンクやジャズなどが引き合いに出されるようだ。(要するにNumber Girlとは異なる音楽性でそれ故私は少し敬遠していた。)
複雑ってことなのだが、音源聞いても分かる通り非常に肉体的な音楽だ。楽曲全体がリズムでできているようになっていて、相当ややこしいのだが私のような音楽的な知識がない輩でも踊りたくなっちゃうような音楽だ。生で見て思うのはとにかくZazen Boysの音楽は身軽である。難解になると技術の鎧がどんどん分厚くなるが、このバンドは音をどんどん抜いていっている。結果的に難解なリズムの骨組みのみが残っている。音の数は決して多くないが、余計に間が重要になってきてそしてそれらがとにかくきっちりあってくる。ドラム一つとっても今拍子はなんだろう?ってくらいで、楽器隊がそれぞれ別に何かやっているのが、何かわからんが偶然合っちゃって曲ができているような感じすらする。めちゃくちゃ緊張感があるのだが、ユーモアを交えたゆるさ(演奏以外の)があって、高尚な音楽にならずにあくまでも楽しい音楽にとどまり続ける。私が音源で聞いている曲も一回ばらばらにして再構築しているように、もはや別の曲では?というくらいの再現度。即興性も取り入れつつ、コールアンドレスポンスを取り込んだり(「Whisky&Unbubore」という曲、途中なんとなくNumber Girlの「Eight Beater」を彷彿とさせる)、酩酊の楽しさがにじみ出るようなステージングを進めていく。ステージの後ろの方でゆらゆら体をしているのが楽しかった。次はもっと前でみたいな。

Killer-Bong
続いてはBlack Smokerの首魁Killer-Bong。見るのは2回めで前回はコントラバス奏者とのコラボレーションだったので、単独を見るのは今回が初めて。
卓の上に据えられたサンプラー(?)2台位とマイクのみ。照明は落とされているが、プロジェクターを使った強烈な光線が暗闇を線上に切り裂いていく。この日のVJはENDONのライブでもおなじみのロカペニス。
このKiller-Bongという人はおそらく即興をやる方で、予めサンプラーに閉じ込めた膨大な料の元ネタをその場で曲に組み立てて、それにラップを載せていく。いわばその場でつくるヒップホップだ。(ただし既存の曲も演奏する。)ヒップホップというカルチャーで言うまでもなくサンプリングは重要な要素だから、実は基本に忠実なラップミュージックをプレイしているのだが、あまりこういうやり方を演る人というのは聞いたことが無い。元ネタはキックやハイハットなど単発のビートの部品、ジャズなどから引っ張ったピアノやホーンなどのリフなん小節か。これを組み合わせてあっという間にトラックを作っていく。Killer-Bongは低音の聞いた独特の声質をしていて、それが言葉の継ぎ目をあえて明確にしない、唸るようなラップをやっているものだから、おそらくリリックは日本語なのだろうが、よく聞こえない。ただ一本調子に呻吟するのではなく、節回しのようなラップも披露して、めっぽう格好良い。どうも酩酊しているようなトリップ感がある。そして自分の声すらその場でサンプリングしてオーバーダブを繰り返していく。ヒューマンビートボックスほど明快に音楽化されていないので、相当前衛的な仕上がりのトラックになる。この日は「うわあ〜、よんよんよん」みたいな叫び声をサンプリングして繰り返し流していた。
始まっていきなり卓をひっくり返すKiller-Bong。卓の上にはなみなみと注がれた飲み物があったのだが、機材と一緒にグチャー。スタッフが袖から何人も集まってきて必死に直しているのだが、本人は気にした様子もなくいま出る音で演奏し続ける。機材が壊れるのでは…とハラハラするが、本人はあまりそこら辺に頓着がないようだ。(なんかのインタビューで自分の部屋にものがほとんど何もない、と言っていたと思う。)マイクから音が出なければ叫び出す、というはっちゃけぶり。とにかく余裕のある人でトラブル感まったくなく、機材が元通りになってからも言葉を拾いながら演奏を続けていく。最後の方ではSimi LabのトラックメイカーHi'Specとの共作「やくそくのうた」を披露。リリックは変えてくるが、繰り返される「歌うんじゃねえ、ただ歌うんだ〜」というフレーズが即興的な自分のスタイルを象徴しているように思う。かっこよかった。

Skillkills
最後はこの日主役のSkillkills。名前はよく耳にするけど聴いたことないバンド。ドラム、ベース、ラップからなる三人組で、生音のヒップホップを演奏する。とにかくベーシストががっしりとした体躯に、横を刈り込んだ爆発頭にサングラスという出で立ちでよく目立つな〜と思った。見た目にパワーが有る。
三人のバンドだが、ビートの上に上モノを同期させる。”ラップ”ミュージックというくらいだから、トラックがすごくかっこよくてもやはりいちばん目立つのはラップなのだが、Skillkillsはバックトラックが(サンプリングに対して)ライブなのでその強みを活かしてよく動く、音も大きい。ただし「やかましいヒップホップ」という表現は半分しか当たってない。生で聴いてみるとその音のデカさにびっくりするものの、よくよく聴いてみるとやはりヒップホップに忠実であることもわかる。まずヒップホップなので音の数は決して多くない。例えばラップ・メタルなんかとは明確に異なる。Skillkillsの演奏はどこまでいってもヒップホップのトラックであり続ける。鳴らし方が違うだけだ。なのでビートは非常にタイトだ。この2つは人が演奏しているが、まさにマシンのようなタイトさ。この日Zazen Boysも激タイトだったが、あちらはバカテクが楽器それぞれ独立しているのになぜか一つの曲ができました、という感じだが、Skillkillsはドラムとベースの一体感が半端でない。日本の伝統建築のようにオーガニックな要素がガッチリはまって、粘りの強い強烈なビートを作り出している。Skillkillsも”間を抜”くことによってグルーヴのあるビートを生み出していて、特にドラムの人の「ここぞ」ってときの遅らせ方が絶妙。そこ絶対叩くよね?ってところを一つか2つ送らせてくるような感じ。とにかく気持ちよくて、前半の曲ははくの終わりを告げるシンバルのクラッシュが本当必殺!という感じだったし、後半シンバルメインの決めにスネアを叩く、というリフも非常にかっこよかった。
そしてここに乗るラップの正確さ!びっくりするくらいここもタイトに決めてくる。もっとルーズなのかと思ったが、たゆまぬ努力を感じさせる言葉のビートへの落とし方よ。ガチガチ合致する。それでいて即興要素をいれてリリックをいじってくる。これは気持ち良い。リリックも独自の世界観を構築するものでユーモアを交えつつ、一体感を煽ってくるポジティブさ。ロックフォーマットは良くも悪くもわかりやすく、感情の高まりをシャウトによって吐き出せるが、Skillkillsはずっとラップで感情をじわじわ上げてくる。フックもすごく格好良いが、フックのためのバースにならずにバースで上げてフックに持ち込むというヒップホップの格好良さがギュッと詰まった演奏だった。
途中のMCもシンプルかつ素直で本人たちがとても楽しい、という気持ちが伝わってくる良いものだった。今までのツアーでは(本人たちがいないので)できなかったという、Killer-Bong、それからZazenの向井さんを迎えた曲は一つのクライマックスでフロアが前にギュッと圧縮されていた。

結構思いつきでふらっと行ってしまったんだが非常に楽しかった。普段見ているジャンルとちょっと異なるのでそういった意味でも新鮮だった。Skillkillsの新作「The Shape of Dope to Come」を購入して帰宅。