日本の実話怪談を集めたアンソロジー。
明治末期から昭和初期に活躍した作家の作品を集めているんだが、この本はもともと平井呈一が編集した「屍衣の花嫁 世界怪奇実話集」(1959年)に愛着がある東雅夫がこの本を復活させるべく、対抗馬を出して盛り上げようとして企画したのがこの一冊だからである。
いわば60年以上経ってから東西実話怪談対決をさせてみようという粋な計らいから生まれた本でもある。
西洋編と同様実話怪談が収められている。
実話怪談はいわば完成された物語、娯楽としての怪談の原型のようなものできっちり落ちがついていなかったり、因果が説明されていなかったり、整合性が取れなかったりで読み終えてもスッキリするところがない。ただしその分怖いのである。この居心地の悪さはまさしく怪異、つまりよくわからないもの。
因果応報を体現した幽霊、共同体の仏教的な戒めとして機能する側面もある妖怪など、洗練された異形たちと違って、ここで語られる怪異たちにははっきりとした相貌がなく、真意がわからないところがあり、人はよくわからないものを1番恐れるのだからとても怖い。
この訳のわからなさに名前をつけて筋道を立てたのが洗練された創作怪談になるのだろう。
いわば物語の源泉であるこれらの実話怪談というのは野趣あふれて混沌としている。
私が面白いなと思ったのは橘外男「蒲団」小泉八雲「日本海に沿うて」中の蒲団のエピソードだ。
図らずとも蒲団というアイテム、そこに込められた念が怪異を引き起こすという点が共通しているのだが、それだけではなくて、結局この怪異の詳細は説明されないのだが、どうも2つとも共通して虐げられた弱者の復讐の装置として怪異が働いているところである。
いわば非業の死を遂げたもの=弱者、その肉体は消え去ったが無念を汲み取った、という構造があって、これはやはり生きている人=語り部の作為があるからひょっとして実話怪談の本領から少しずれてしまうのかもしれないが、恐ろしい存在である幽霊たちに同情できる、という極めて人間的な魅力があってやはり面白いと思ってしまう。
いわば権力によっていじめ殺された不運な人々を物語の中で復讐を遂げさせて弔ってやる、という怪談の役割があるのかもしれないというように考えた。
そういった意味では怪談は恐ろしくも、優しい物語でもあると考えることは別に捻くれた見方ではないと思う。
怪談というのは民衆のものなのだ、民衆の娯楽と言っても良い。